TOP > APH > Gilbert x Kiku > Short > エゴ・イテルの愛 > 02
「――ッ…!」
目が覚めた。
同時に勢いよく身体を起こした。は、はっ、と浅い呼吸が漏れる。己の手に視線を落とした。蒼白く浮かんだ手は情けなくも小刻みに震えている。しかし己の手は確かにそこに存在し、己の瞳は確かにそれを映していた。指を動かす。手は正しく脳の指示に従って動いてくれた。「アア」呻いた。その無様な音は確かに喉を震わせ、確かに耳に届いた。
――俺は、存在している。
「……夢か」
そう呟いた。夢だとわかっていたつもりだった。あれは、もう何度も繰り返した悪夢だ。そうだ。夢だ。夢に違いない。俺は必死にそれが絶対の事実だと思い込もうと何度も胸中で呟く。だが、繰り返せば繰り返すほど、細波のようだった不安が奔流に変わり押し寄せてきた。
……そうだよな? あれは夢だよな? 俺は今、目を覚ましたんだよな? 身体の底から湧き上がる不安が意識全体を呑み込んでいく。
違うのかもしれない。目が覚めたと思った。けれど、それはさっきも同じことを思ったはずだ。目が覚めて、見知った自室の天井をぼんやり眺め――…あれ。ここは。ここは、どこだ。
「もう起きたのですか」
真横から聞こえた声にびくりと身体が大袈裟に震えた。恐る恐る向けた視線の先で男がゆっくりと身体を起こした。眠そうな目を擦りつつ俺を見る。
「……にほん」
日本だ。日本がいる。それなら、それなら――こちらが現実だ。俺は正しい世界で、現実の世界で目を覚ましたのだ。
「…モルゲン、日本」
掠れた声が朝の挨拶を勝手に紡いだ。それでも拭えない不安が俺の手を動かしてはくれない。日本に触れようと頭では思っているはずなのに、俺の手は日本へ伸びることはなかった。
「おはようございます、プロイセンくん」
プロイセンくん。名を呼ばれた。低めの滑らかな声が紡ぐ己の名。日本の声が俺を呼ぶ。日本の瞳が俺を見る。その深い夜の海のような瞳に己が映り込んでいる。
ぼう、とそれを見つめていると日本が目を眇めた。微かに恨ましげに見られる。
「またですか?」
また? 何が〝また〟だと言うのか。また、悪夢を見たのか? ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。いや、そんなこと言われるわけがない。日本は知るはずもない。俺は話したことなどない。このあまりにも残酷で、あまりにもリアルな悪夢のことを。怖いと、そう思った。知られたくない。日本には知られたくない。彼はこのことを知ったら嘆くのだろう。まるで自分のことのように悲しみ、苦しみ、その端正な顔を歪めるに違いない。
――お慕いしております。
いつか、泣きそうな顔でそう心情を吐露した日本とのあの記憶は宝物だ。何度繰り返し思い出しても色褪せることのない大切な思い出。国の化身でなくなった、ましてや家族などでも決してない、ただの何でもない〝俺〟を愛慕していると言った。その瞬間は歓喜に打ち震えた。愛されているのだ。何でもない俺が、ひとりの男に。嬉しくないわけがなかった。けれど、それと同時に歓喜に震えた自分に凄まじい嫌悪が湧いた。俺が歓喜した理由は〝愛されている〟ただそれだけだった。〝誰に〟は関係なかったのだ。頬を染め、泣きそうに、そして罪悪を感じているように苦しげで、だけど隠しきれない恋情を滲ませた日本の顔を見下ろしながら俺はただ独りよがりに歓喜していた。例え、見下ろしたその先が日本でなくとも俺は歓喜するのだ。そこにいるのが、イタリアだろうがフランスだろうがスペインだろうが、歓喜するのだ。それが国の化身でなくとも、地球上の七十億の人間のうちの誰かであろうとも、俺は歓喜に打ち震えたに違いない。
そのことに思い至って、自分があまりにも酷い男だと思い知って嫌悪感に苛まれた。だって俺は日本を抱き締めていたのだから。気がついたら手を伸ばしていて、その己よりも小さい身体を引き寄せていた。ダンケ、と言った。愛している、とはどうしても言えなかった。なぜなら、その言葉は嘘でしかない。今起こしている行動が嘘そのものであるのに、嘘を吐いてはいけないという泥に塗れた誠実さを翳すなんて滑稽だった。でも手放したくなかった。こんなどうしようもない酷い男を慕っているという酔狂な男を手に入れなければならないと思った。愛されていたかった。この告白を受け入れなかったら、日本はいつかその慕情を風化させてしまうのだろうと思ったら、嫌で嫌で仕方なくて。俺は細い顎に指をかけて日本の唇を塞いでいた。見開かれた闇色の瞳が零れ落ちそうだと思いながら、日本の呼吸を奪うように口づけた。苦しいと訴えてきた手にようやく唇を解放すると、日本の荒い息がかかった。日本は信じられないというような表情をしながら、けれど期待に瞳を揺らしていた。俺は笑った。日本の髪を撫で、目尻を撫で、頬を撫でて、笑った。日本は控えめに、けれど嬉しそうにはにかんだ。
手に入れた。そう確信した。これでこの男は俺を愛し続けてくれる。恋人という唯一無二の立場にいる限り、愛してくれる。ああ、最低だ。俺はこれっぽっちも日本に恋情を向けてなどいないというのに。日本の瞳に映った俺は、まるで恋が叶ったことの幸福感でいっぱいであるかのような顔で笑っていた。吐き気がした。こんな酷く醜い自分自身に。
愛したい。俺は日本を愛したい。そう思ったのは確かだけれど、彼の恋情を彼の知らぬところで踏みにじっていることもまた事実であった。だから、大切に大切に、決して傷つけないように日本に接さなければならないのだと、そう思った。ひどい罪悪感に苛まれながらも、でもどうしても手放せないのなら、せめて傷つけることのないように。
だから、怖かった。俺の悪夢を知り、俺のために――こんな最低な男のために――日本が傷つくなんてことはあってはならない。恐怖に唇が戦慄いた。またですか、と問うた日本が言葉を続けるより先に何かを言わなければと思ったのに、俺の口は動かなかった。…いや、正確には動く前に塞がれた。触れた熱が暖かい。冷え切っていた身体に熱を灯すかのように日本が俺に触れた。唇を離した日本が微笑う。
「満足ですか?」
「え…」
「おや、おはようのキスをして欲しかったのではないのですか」
目を丸くする俺に日本はまた笑った。
「共寝をした朝はおはようの口づけは必須なのでしょう? 貴方が言ったのですよ。「おはようのチューは絶対だからな!」、と。勝手に約束事にしたではないですか。私を見つめたままじっとしているので、お前からしろよってことだと思ったのですが」
日本はプロイセンの頬に触れたまま目を細める。
「まったくあなたは…そうやって〝また〟私からさせようとするのですから」
爺には恥ずかしいのですよ、こういうことは。
日本はそう言って、不機嫌である体を装ってプロイセンを睨む。それがポーズでしかないことはプロイセンにもわかった。羞恥から怒っているように振る舞っているだけだと。
〝また〟とはそういうことだったのか。プロイセンは安堵の息を漏らした。
「まだ起きるには早いですよ。もう少しお布団の中にいましょう?」
日本はプロイセンの肩を押して二人傾れるように身体を倒した。日本の細い腕がプロイセンの身体に絡まる。プロイセンも日本の身体に腕を回す。そっと、優しく。決して傷をつけないように、そっと。密着した日本の体温はとても温かかった。
首筋に唇を寄せる。痕が決してつかないような、ささやかな接触。もっと熱を感じたくて、浴衣の裾から手を差しこんだ。むずかるように身を捩った日本が、こら、とでも叱るようにプロイセンの髪を緩く引っ張る。
「いてぇ」
まったく痛くなどないのに、そう言って唇を尖らす。
「何をするおつもりですか」
「何ってそりゃナニだろ」
「…親父くさいこと言ってないで寝てください」
「眠くない」
「私は眠いんです」
「爺なんだから爺らしく早起きしようぜ?」
情欲を煽るように足を撫でると、日本の瞳が微かに揺れた。
「ぁ…ちょっと…やめ――」
「なあ」
日本の制止を遮る。
「――愛してくれよ」
ぴたりと動きを止めた日本が抵抗を諦めたように身体から力を抜いた。
可哀想な奴。俺みたいな、こんな男に捕まって。日本は俺に告白なんてするべきじゃなかった。そうすれば交わることはなかったのに。こんなふうに身体を差し出すようなこともする必要はなかったのに。
帯を解いて象牙色の肌を晒す。足許から徐々に上へと唇を滑らせて、ゆっくりと時間をかけて全身に触れた。日本の震えた吐息が熱く空気を揺らす。
「っ…プロイセンくん」
囁かれるように名を呼ばれた。
「ん?」
ちゅ、と唇を重ねて先を促す。
「愛して、います」
ドクドクと身体中の血が沸騰したかのように全身が熱くなった。俺は日本の顔を見ないように、首筋に顔を埋める。
「……ん」
そうして日本の言葉にコクリと頷いた。同じ言葉を返すことはない。そんなことはどうしても出来なかった。愛を語ることを決してしない俺に〝どうしてあなたは言ってくれないのですか〟というように悲痛な顔をされるのが嫌で、日本の顔を見ることは出来なかった。だから、彼がどんな表情をしているのかわからない。日本はただ頷くだけの俺にいつだって何かを言うことはなかった。
ふふ、と吐息を零すようにして日本が笑った。驚いて顔を上げる。
「あなたは温かいですねぇ」
日本はプロイセンの背に腕を回して頬を染めて満足気に微笑った。
「……子ども体温とでも言いてぇのか」
「おや、ご不満ですか」
不満なんてあるわけねぇだろ。お前こそ不満じゃないのか。どうして何も聞かない? 言わない? 何でそんなふうに幸せそうに笑う? こんな最低な男に身体を、心を、いいようにされて。愛してるなど、決して口にしない男に組み敷かれて。
「…どうしました?」
「あ…?」
「続き…しないなら、このまま寝てしまいますよ。あなたの体温で眠気がさらに誘発されましたので」
「…寝んなよ、クソ爺」
ぐ、と身体を密着させて日本の身体を抱き締めた。可愛くないことを言う口を塞いで貪る。傷をつけないように警戒しながら。
――ああ、俺は存在するのだ。
日本の熱を感じてようやくそのことに確証を持てた。まるで今まで無かった身体が実体を得たような感覚に陥る。必要だ。この男が。こうして現実を見失いそうな俺に熱を分け与え、悪夢をかき消してくれる、この男が。俺を愛してくれる誰か―――日本が。
彼の清潔な匂いに包まれながら俺は目を閉じた。今はもう悪夢は蘇らないだろうと、そう思えたから瞼を閉じるのも怖くはなかった。
***
『話したいことがあるんだけど、時間取れる?』
そんな改まった文面のメールには不審さしか湧かなかったが了承の返事をした。取り決めた時間の十五分前に指定されたバーに入ると相手はすでに席に着いていた。そのことに少しばかり驚きつつ、「よう」と片手をあげる。
「随分早ぇじゃねーか。遅刻してくるかと思ったぜ」
「自分から呼び出しておいて遅刻するほど落ちぶれてないです、お兄さんは」
「そうだったか?」
長めの髪を後ろで縛ったフランスは、いつものような軽口の応酬をしたがどこか覇気がなかった。彼の手元にあるグラスに入っているのは水のようで、プロイセンは酒を頼もうとしたのをやめてフランスを見つめた。
「どうしたよ?」
何てことのないようにそう問いかけた。フランスは躊躇うようにプロイセンから一度目を逸らして、小さく笑みを浮かべた。その顔を知っている。人を揶揄おうとしている顔だ。何か重大な話をし出すかと思ったため、プロイセンは少し拍子抜けしたが、目の前の男が心のうちを隠しつつ何かを伝えようとしているのかもしれないと気を持ち直した。
「見ちゃったんだよね」
「あ?」
「お前、あれはさすがにダメっしょ」
「はあ? 何がだよ?」
「日本の手首のこと」
日本。その名前に心臓が跳ねたが、フランスが何を言っているのかまるでわからなかった。
「手首? …ってなんのことだよ?」
「はー、お前とぼけるわけ? 日本の手首にあんな痕つけといてさ」
「痕?」
「そ。真っ赤にくっきりついてた。まさかお前らがそんなプレイしてるとはね。もちろん、日本も了承済みなんだよね? 無理矢理とかはさすがに――」
「おい待て。何の話だよ?」
プロイセンが眉を寄せてそう言うと、フランスは目を見開いて口を噤んだ。動揺したように揺れる菫色を見つめながら思案する。
日本の手首。真っ赤な痕。くっきりついていた。そういうプレイ? 日本は了承済み? まさか無理矢理――ドクンドクンと嫌なふうに心臓が早鐘を打ち始めた。
「……おい」
思いがけず低い声だった。
「…ごめん。忘れて」
「忘れられるわけねーだろ。ちゃんと説明しろ」
フランスは明らかにやってしまったというような顔をしていた。暫くの沈黙のあと、ふう、と深く息を吐いたフランスがどこか覚悟を決めたかのように口を開いた。
「ごめん、早とちりした。この間、日本の手首に赤い痕がついてて…って言っても俺が見たわけじゃないんだけど」
「誰が見たんだよ?」
「…イタリア」
「へえ」
「すごく痛そうな痕だったってあいつ言ってた。俺も会議中に日本が腕に痛みを感じたような顔をしたのを見たんだわ」
「それを俺がつけたって?」
「…違うの?」
「つけた覚えはねえよ」
フランスが黙り込んだ。何か考えを巡らせ、どこか青褪めた顔でプロイセンを見た。
「悪い」
「何で謝んだよ。あいつ意外とどんくさい爺だから、どこかにぶつけただけじゃねえか?」
「…うん。そうかも」
頷いてはいるが、それが本意でなさそうなのはプロイセンにも見て取れた。
「どんな痕なんだよ」
胸の奥に沸々と何か知らない感情が湧き出してきた気がする。苛立ちを含んだようなその感情のまま、低い声で問う。
「…俺だって見たわけじゃないし、わかんないけど。イタリアは縛られたのかって気にしてた」
「だから、それとなく俺様に聞いてみたってか」
「……勘違いだったってことっしょ」
自分の唇が歪むのがわかった。なぜかひどく苛立つ。気に食わない。…何が気に食わないのだろう? イタリアが大切な友人を心配するのは当然だ。俺が恋人を縛るような性癖があると思われているのは少しばかり落ち込むが、それに対して苛立ちはない。イタリアちゃんいい子だぜ、さすがヴェストの一番の友達! だなんて思うほどだ。
では俺は何に苛立っているのだろうか。フランスか? 揶揄するような口調で真実を探ろうとしたから? いや、そんなことに腹を立てるものか。フランスだって心配したからこその行動だろう。あるいは、イタリアに頼まれたのかもしれない。なぜだ。俺は何が気に食わないというのだ。
「本当に縛られた痕かもな」
ふいに口を衝いて出た言葉に自分でも驚いた。
フランスが目を瞬かせている。何でそんな顔をする。お前もそう思っていたんじゃないのか。日本の手首の痕が俺がつけたものでないのなら、それは別の誰かがつけたのだと。
「浮気か」
零れた声はひどく冷たく響いた。
「ちょっと待って。日本って誠実そう…っていうかすごく真面目で誠実だと思うんだけど。浮気とかそんな、」
「するかもしれねえ」
「え…」
だって俺はあいつを愛していない。そのことに日本が気付いているとしたら? そうだ。俺はあいつを愛してなんかいないのだ。ただ、俺を愛してくれる誰かを手放したくなくて手を伸ばしただけ。今にも脆く崩れ去ってしまいそうな己のあやふやな存在を確固たるものだと信じたくて、そんな俺を引き留めてくれる誰かに傍にいてほしくて。自分のもとに囲い込んで、駄々を捏ねるガキのように愛してくれよと、己の欲望を押し付けているだけ。日本の俺を想う恋情を盾にひどい方法で縛り付けている。愛している振りすらして。唇を重ね、身体も…重ねた。
日本はそのことに気付いて、逃げようとしているのかもしれない。こんな酷い男から、本当に自分を愛してくれる人のもとへ。痕をつけられてもいいような、そんな――痕…そうだ、痕だ。俺は自分の醜い罪悪感から日本を傷つけてはならないとずっと思っていた。騙して恋人の位置にいることが既に傷つける要素だというのに、だ。それでも俺のせいで哀しむ顔も苦しむ顔も見たくなかった。だから、彼に触れるときはおっかなびっくり触れた。己のこの、戦うことしか知らない、今は役に立ちもしない手が彼の肌を、心を、決して傷つけないようにと。――痕を残さないように、と。
そうやって大切に大切に触れてきたあいつに痕を残した奴がいるのか。あの、俺を愛してくれる清らかな男に真っ赤な痕をつけた奴が。
「……これか」
これだ。苛立ちの発端はここだ。胸の奥から沸々と湧き上がったこの感情のもとは、きっとここだ。許せない。日本が? いや、違う。日本に痕をつけたという誰かが許せない。あいつは、あいつは俺の――、
「プロイセン?」
フランスの呼びかけにハッとする。心配そうに揺れる瞳に映る己の顔を見ながら茫然とした。
今、俺はなんと思った? あいつは、日本は俺の――なんだ。
「恋人、なんでしょ?」
プロイセンの胸中の問いかけに応えるかのようなタイミングでフランスが言った。
「付き合ってるって言ってたよね?」
不安そうな顔で問われた。なんでそんな顔をする。
「…ああ」
頷いた。恋人のはずだ。その真実は一方的な…日本の一方通行の恋情と俺の勝手な願望によって成り立った歪な関係だけれど。抱きしめ合った。口づけを交わした。互いの身体の深くまで重ねた。そんなことができるのは恋人しか――。
「…できるか」
「ん?」
「キスもセックスも恋人じゃなくてもできるよな」
フランスが目を見開く。
自分の言葉に納得した。できるのだ、そんなことは。ならば俺たちの関係は何なのだろう。俺が日本に恋情を抱いていないから、歪な関係でしかなり得ない。
「…どういう意味? お前は日本が好きじゃないの?」
フランスの声はどこか非難めいていた。あるいは、心配を含んでいた。
俺は沈黙を返す。その問いには答えられない。答えたくない。――好きじゃない。そんな酷い言葉を吐きたくなかった。かといって、嘘を吐くこともしたくなかった。
深い沈黙が続く。
その沈黙を、ガシャン、突如響いたグラスの割れた音が破った。音の出処へ視線を向けると、店内の中央で男女が言い争っていた。その男女の諍いは恋人関係の彼らのなんてことない喧嘩だろう。そういえば日本と喧嘩なんてしたことねぇなぁ、とぼんやり思う。プロイセンと同様に同じタイミングで男女の方を見たフランスを横目に、ふと考える。
この愛の国を語る男は、どんな気持ちで恋しい人に愛を囁くのだろう。生きてきた長い年月の間、この恋多き男でも本気になった奴はいたはずだ。それがヒトだったのなら、どんな気持ちで愛を語ったのだろう。その愛する誰かがどれだけ長生きしたとしても、いつか必ずフランスより先にこの世を去る。辛くはないのだろうか、この男は――……日本、だって――なんで伝えるのだろう、愛してるなどと。置いていかれるとわかりきっているのに。
フランスが俺を見た。視線が交わる。ひどく真剣な顔をしたフランスが口を開くのを、プロイセンはただ茫洋と見つめた。