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君に捧げる詩:05
「イタリア君…!」
「やっほー、にほん! 来ちゃった!」
ハグ! と抱きつかれて、そのお日さまのような匂いに思わず笑みが浮かぶが、未だに馴れないスキンシップに焦っていると、その身体が唐突に離された。
「来ちゃったじゃないだろう!」
イタリアの身体をべりっと引き剥がしたのはドイツである。
「ドイツさんも!」
「あー…すまない、日本。何の連絡もなしに」
本当にすまなそうに頬を掻くドイツに微笑んだ。
「いえいえ、構いませんよ。どうぞお上がりください」
来てくださって嬉しいですと言えば二人ともどこか安心したように笑った。
「それにしてもどうかなさったのですか? 今はドイツさんもとてもお忙しいのでは?」
お茶を出しながらそう聞くと、イタリアが真っ先に口を開いた。
「そうなんだよ! こいつ、全然休まないから俺が無理矢理連れてきたんだ」
「まったく…おまえは。突然押しかけてなんだが、明日には帰らないと」
よく見てみればドイツは目の下に隈を作っていて、どことなく頬は痩けているように感じる。今の状況は彼にとって精神的にも辛いのだろう。
「そうなのですね…。せめて今日だけでもゆっくりなさってください」
「すまないな、日本」
「いえ、私はお二人に会えてとても嬉しいですから」
「俺も日本に会えて嬉しいよ~!」
「イタリア! せめてちゃんと日本に連絡してからだな…!」
「ヴェー…怒らないでよー…」
そんな二人のやり取りに変わらないですねえと微笑ましく見ていて、ふと「そういえば」と口を開いた。
「お二人ともちょうどこの日にいらっしゃるとは」
「この日?」
「何かあるの?」
「ええ。今日は十五夜と言ってお月見をする日なんですよ」
「月を見るの?」
「はい。中秋の月とか芋の月とも言います」
芋、のとこでぴくりと微かに反応したドイツに笑う。
「農作物の収穫への感謝などをお月さまにするんですよ」
日本は外の向こうの晴れやかな空を見て微笑む。その様子にイタリアが「どうしたの?」と首を傾げた。
「十五夜の日がこんなに晴れ晴れとしているのは珍しいのです」
「そうなんだ?」
「はい。この時期は台風などとも重なりますから。昔、「中秋の名月、十年に九年は見えず」とも言われたくらいです」
「へえ! じゃあきっと良いことがあるっていう兆しだね!」
満面の笑みを浮かべて嬉しそうにそう言ったイタリアに日本は目を丸くした。
良いことがある兆し。そうだとしたらそれはなんて嬉しいことか。
遠くの地にいる会うことも叶わない人を思い浮かべては、イタリアの言う〝良いこと〟が彼に降り注ぐことを願った。
「うさぎ うさぎ なに見てはねる
十五夜お月さま 見てはねる」
「ウサギ…?」
聞こえた声に振り返ると、イタリアがタオルを首にかけて不思議そうに日本を見ていた。
夕飯を食べ終えたあとお風呂を勧めたため、イタリアとドイツは共に入っていたはずだけれど。
「おや、イタリア君。早いですね。ドイツさんは?」
「もうちょっと入ってるって。…ひとりになりたいみたい」
「…そうですか」
ドイツは相当に参っているらしい。国としての立場と弟としての感情は相反しているはずだ。ドイツ自身が望んでいるわけがない。あの人に全てを背負わせてしまうことなど。
「それで何を歌ってたの? ウサギって?」
「十五夜の歌です。お月さまには兎さんが住んでいてるのですよ」
す、と真ん丸の月を指さして言うとイタリアは訝しげに首を傾げた。
「日本ではうさぎに見えるんだね。俺んちではカニとか、ローマ神話だと本を読む人とか言われてるんだ~」
「全然違うのですね」
「ドイツはどんな風に見えるのかな?」
「あちらでは薪を担いだ男とか月に幽閉された男の姿とか言われているそうですよ」
「ヴェー、そうなんだ! 日本、詳しいね」
「…ええ。昔、教えて頂いたので」
イタリアは目を丸くしたあと、小さく「そっか」と呟いた。柔らかく笑むその瞳の奥が揺らいだのを日本は見逃さなかった。彼は時々とんでもなく聡いのだ。誰に教わったかなどお見通しなのだろう。
「へー、でもうさぎが月に住んでるって不思議だね」
「…兎は、」
輝く銀と美しい緋を思い浮かべて日本は言葉に詰まった。会いたいと思うのは一体何度目だろう。何度も何度も繰り返しては、容易く叶わないことに嘆く。
「兎は…自らの身を焼いて捧げたのです。その慈悲深さを讃えた神さまが月へ昇らせたそうですよ」
「え?」
「元は仏教説話なんですけどね。猿と狐と兎の三匹が力尽きて倒れている老人を助けようとして、猿は木の実を、狐は魚をとって食料を与えたのですが、兎は何も採ってくることができなかった。それを嘆いた兎は自ら火に飛び込んで自分の身体を食料として老人に捧げました。その老人は実は帝釈天という神さまで三匹の行いを試そうとしたのです。帝釈天は兎を哀れみ、月の中にうさぎを甦らせたといわれています」
「そうなんだ」
「はい。だから月には兎がいるのです。自らの身を焼いて捧げた兎が」
「…うさぎの友だちは悲しむのにね」
「イタリア君?」
「…ううん、何でもない」
イタリアは月を見上げて哀しげに笑った。何かを振り払うように。彼が月の兎を見て描いた人物はきっと日本と同じなのだろう。
日本もイタリアに倣って月を見上げた。光の加減ではあの人の髪も月光のようだったなと思い出す。
(…貴方はどこにでも現れるのですね)
日常の風景の中、その人の影を追うように思い出してしまう自分に自嘲した。
「日本はさ、どうして国の化身である俺たちに感情があると思う?」
おもむろにイタリアが発した言葉に視線を向ければ、彼は真っ直ぐに日本を見ていた。
どうして?
その疑問を強く抱いたのはいつだったか。
そうだ、あれはあの人のもとで学んでいたときだ。
***
風を通すために少しだけ開けられた窓から楽しげな笑い声が聞こえた。声につられるように、開いていた本をそのままにして窓から外の様子を窺った。
プロイセンに借りている部屋の窓からは中庭が見える。そこには予想通りの姿があった。
師の姿と、彼の幼い弟の姿だ。天使のような愛らしい弟さんと直接お会いしたことはなかった。けれどその姿はすでに何度もこの窓から見かけていた。そして傍らには必ずプロイセンがいた。
仲睦まじい兄弟だと微笑ましく思うのは確かなのに。それと同時に少しの寂しさを感じてしまうの自分がとても嫌だった。
この窓を隔てた向こうの世界と自分の世界が別のように感じるのだ。どうしてか。そんなことはわかっている。
机の傍らに置かれた地球儀を横目に見て自嘲した。
国を出てから嫌でも感じることがある。自国とはまったく違う景色、色、モノ。見たこともないそれらには好奇心を擽られる。けれど、それらはこれから取り入れていくものでもある。
(…取り残されている)
そうだ。ずっとそう感じている。世界からひとりぽつんと取り残されているかのよう。
寂しいという感情は己が感じる孤独から来るのだ。ぽんっとあっという間に世界に放り出された。そうしたら、それまで一人であることが普通だったのに、それは普通ではないよと囁く声が聞こえた。
兄弟という固い絆。それを私は持っていない。無償で与えられる慈しみを欲しいと思うなど、こんな年寄りが馬鹿なことを、と嗤う。幼き頃、それは確かに与えられた。それを与えてくれた人は今や西洋の餌食となってしまった。
恐ろしい。怖い。そんな世界を独りで歩いていけと時代は云う。どんなに頑張っても褒めてくれる人も、しっかりしろと叱ってくれる人も私にはいない。兄弟のような、ただそこに在るだけでいいと思ってくれる存在はいないのだ。
――ルッツ。
窓の外から聞こえてきた師の声は弟の名前を呼んだ。その名は彼の弟の個としての名前だ。国としてではない、一人の人格を持った個人としての名前。優しく、殊更に優しく宝物のように紡がれた名前。
羨ましい。心の中でぽつりと溢れた感情に傍にあった机に拳を叩きつけた。借りものの部屋で、傷つけていいはずのないそれに八つ当たりをしてしまうほどには自分に憤りを感じていた。じんじんと痛みを訴える拳をぎゅうっと握り締めて激情が過ぎるのを待つ。
決して伸びているわけではない爪が肌に突き刺さって血が滴るのを見ていると、机の横に慎重に立て掛けた刀袋が視界に入った。そこに描かれた十六八重表菊の紋に、泣き出してしまいそうな何かが喉もとから咳き上げるのを感じた。
深く息を吐く。
「しっかりなさい、日本国」
私は日本だ。感傷に浸っている暇はない。
(ならば、国に個の感情など無ければいいのに)
そうすれば寂しいなんて思わないのに。
ぐるぐると回る思考と、それに追いついてくれない感情に吐き気のような気持ち悪さを感じて、視界がぐらりと大きく揺れた。
***
そこまで思い出してから、あれ? と日本は首を傾げた。あのあと、自分はどうしたのだろう。気持ち悪くなって、それから。机に向かって本を開いた? しばらく兄弟の姿を眺めた?
強く目を閉じてから後の行動が全く思い出せなかった。
「日本?」
心配そうなイタリアの声にハッとする。何でもないと首を振って、先ほどのイタリアの質問に答える。答えなど、持ち合わせてはいないのだけれど。
「…どうしてでしょうね」
絞り出した声は殊の外、不安げに揺れていた。
イタリアが日本の手を両手でぎゅっと包んだ。その温かさに胸が締め付けられる。
「俺はね、幸せになるためだと思うんだ」
イタリアはふわりと笑った。
幸せに。思いも寄らない応えだった。
「国の意向とは違う感情を抱けるんだよ? それは俺たち自身が誰かと友情を育んだり、誰かを強く思ったりできるってこと。…たとえ、国が亡くなっても、その化身自身を想ってあげられる。助けてあげられる。心がなくちゃできないことだよ。それってすごく素敵なことだと思う。だからね、心は神さまが幸せになってねって贈ってくれたものだと俺は思うんだ」
想っていられる。ああ、それは何て素敵なことだろう。
日本は目の前が明けていくのを感じた。自分があの人を想う気持ちを認めてもらえたような、そんな気分だった。
えへへ、と笑うイタリアの手を握り返せば彼は嬉しそうに頬を緩める。
「だからね、幸せになろうね」
何だか泣き出してしまいたいような気持ちになって日本は必死にこくりと頷いた。
「ドイツも、ね」
そう言ったイタリアの視線を追えば、風呂上りのドイツが立っていた。ドイツは耐え難い痛みを堪えているかのような表情で立ち尽くしている。
いつもあげている髪が下ろされていた。そうすると、少し幼くなったような印象を抱く。それに。
(…似ていますね)
やはり兄弟なのだ。あの人の面影がそこには確かにある。
幸せになろう。イタリアはそう言った。言外に『大丈夫だよ』と含まれているのがわかる。
どうしてひとりぼっちだなんて思えたのだろう。戦時下だから仕方なしに取った手ではない、確かにここにあるのは友情だ。友がこんなに傍にいてくれているのだ。幸せになれないなんてことはない。そしてその幸せの中にはあの人が含まれている。今ここにいる三人ともそう思っている。
たとえ、今は会うことが叶わなくても、貴方を想い続けていくと覚悟を決めた。
(続く)