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君に捧げる詩:04
ヴェーという謎の声をあげながら、ものすごい勢いで逃げているイタリアと、そんな彼を恐ろしい形相で追いかけているドイツを遠目に眺めながら笑った。
「日本」
久しぶりに聞いた声に心臓が跳ねる。
師と仰いだその人とはあの後、敵として対峙した。目まぐるしく変わる世界の中では仕方のないことだと、国としてはわかっている。けれど。
この人はどう思ったのだろうと、不安な気持ちになったのは何故なのだろうか。嫌われたくないと、そんな幼稚な思いばかり浮かんでは、その凛々しい姿を脳裏に描いた。
恐る恐る振り返る。彼はどんな顔をしているのか。
「よう! 久しぶりだな」
ニカッと笑ったその人――プロイセンの姿にこみ上げた気持ちは何だったのか。変わらない笑顔に対する歓喜と安堵と。
「師匠…」
そう呼ぶと、プロイセンは少し目を瞬かせてから優しく笑った。
それだ。その彼とは似合わないような微笑み。それを見ると私は哀しいような、切ないような気持ちになって。
「ご無沙汰しています」
「おう。ちょっとは鍛えたみたいだな」
相変わらずほっせーけど、とからかうように笑う。
「…余計なお世話です」
むす、としてしまったことに対してだろう。プロイセンはケセセと愉快そうに笑って日本の頭を撫でた。その撫で方は荒い。ぐしゃぐしゃと掻き回されて、その大きな手をぐいと押し返す。
「ちょ、何するんですか! ああもう髪がぐちゃぐちゃに…!」
「うっせー。爺のくせに髪なんか気にしてんじゃねぇよ」
「そういうことではなくてですね!」
押し返してもびくともしてない腕にされるがままでいると、すごい剣幕の声が聞こえた。
「こら、兄さん! 何してるんだ!?」
「ヴェスト」
「ドイツさん」
イタリアを追いかけていたはずのドイツがいつの間にか目の前に来ていた。
「初対面の日本に何を…! 失礼だろう!」
すまないな、日本。と申し訳なさそうにしているドイツに思わずプロイセンと顔を見合わせた。二人して噴き出す。
「あー…そういやヴェストと日本は顔を合わせてなかったか」
「ふふ、そういえばそうでしたね。私がお借りしていた部屋の窓から中庭がよく見えて、ドイツさんの姿はちょくちょく見かけていたのですよ」
「へ?」
きょとんとドイツが目を丸くする。
「そうそう。おまえ、どうしてかよくこっち見てたよな! ヴェストと俺様の仲睦まじい様をよ!」
「なっ! あなた気づいて…!?」
「当たり前だろ! 俺様が人の視線に気づかないわけねーだろうが」
こつん、と頭を叩かれる。
まさかバレていたなんて。恥ずかしすぎる。顔が熱くなった。そんな日本の顔を見てプッと噴き出したプロイセンは止めていた手を動かしてまた頭をぐしゃぐしゃに撫で始めた。それに「だからやめてくださいよ!」とポコポコする日本。
そんな二人の姿を見ていたドイツはぽかんとしたまま、呆然と二人のやり取りを聞いていた。
「な、え……日本と兄さんは知り合いなのか?」
「ええ。私はプロイセンさんに師事していたことがあって」
「そうなのか。俺のことも知ってたんだな…」
「すみません。故意に黙っていたわけでは…」
「なんだ、ヴェスト。怒ってるのか?」
「い、いや、別に怒ってはいないぞ。ただ――…」
兄とやり取りする日本の姿が珍しくて驚いたんだ、とドイツは口に出そうとしてやめた。
大人っぽいというか…もはや老成していると言ってもいい、落ち着いて常に冷静な日本が子どものような顔をしていた。ふふ、と自然な笑みを浮かべたり、やめてくださいと嫌そうなそれを隠しもせず顔に出したり。
いまだにじゃれ合うようなやり取りを続ける二人の姿はドイツにとっては不思議だった。いつも煩いくらいにはしゃぐ兄と落ち着いて表情も変わらないような日本が、まるで。そうまるで、隣にいるのが自然であるかのような。
「ドイツさん?」
日本の訝る声に思考の波から現実に戻る。
どうかしましたか、とドイツに問う日本の顔はやはり兄に向ける顔とは違うように見えた。
「…いや、何でもない」
その違和感が何なのかわからず、心あらずといった感じでしてしまった返事に日本が何か言い募ろうとするのを明るい声が遮った。
「そういやもう昼だろ?」
腹減ったなーという唐突な話題にぽかんとする。
俺様、昼飯作ってくるぜー! と高らかに宣言して去っていくプロイセンの背をドイツと日本は呆然と見つめた。
「あの人はまったく…唐突に」
はぁ、と溜め息を吐いてから首を傾げた。まったく反応のない日本を不思議に思い、視線を向ける。日本は遠くなっていくプロイセンの背をじっと見つめていた。
日本、と呼びかけようとしてやめる。その眼差しは普段の日本とは違う。ゆらゆらと蜻蛉のように熱く揺れる瞳。そこにあるのは何だ。
「師匠…」
ぽつりと漏れた声。聞き慣れぬ呼び方。
そこにあるのはきっと憧憬だ。
不思議だった。兄にそんな視線を向ける人は他にいない。
「日本、」
ドイツの呼び声にハッとしてこちらを向く日本に苦笑した。
「あー…兄貴を手伝ってくれると有難いんだが」
「あ、はい、勿論です」
「俺はイタリアを連れ戻してくる」
プロイセンの背を追っていく日本の姿をぼんやりと眺める。追いついて隣に並ぶ二人。何を話しているのかは遠くてわからない。日本がプロイセンの数歩後ろを歩いた。そしてプロイセンが日本の歩調に合わせたように隣に並ぶ。それからやけにゆっくり歩きだしたかと思うと、立ち止まって顔を見合わせた二人はとても親しげだった。
びゅるり、と一際強く風が吹いた。視界がぶれる。蜻蛉のように二人の背が揺らめいた気がした。
どうしてだろう。二人の姿がまるで。
「ドイツ? どうしたの?」
イタリアがいつの間にか隣にいた。びくりとも動かないドイツを不審がっている。
「あの二人がどうかした?」
「…おまえは」
「んー?」
「あの二人がどう見える?」
イタリアはきょとんとしてから、うーんそうだなあと唸った後、いつものように晴れやかに笑った。
「似てるなって思う」
「似てる?」
「うん」
そんなことは思ったことはなかった。だって正反対のようではないか。性格も見た目も。
「おまえはどう思ったのさ?」
「俺は…」
『一斉に花咲き、そして潔く散っていく。その儚さが美しいとされます』
日本がそう言ったのはいつのことだったか。桜という花を愛する彼は愛しげに、それでいて哀しげに語った。それを俺はよく理解できなかった。
けれど今、その儚さを感じたのだ。あの二人に。視界がぶれたあのとき、二人の姿が消えてしまうのかと思った。
イタリアの問いに口を噤む。それを口に出すのは嫌だった。本当にそうであると認めてしまいそうで。
「いや…よくわからん」
「そっか。…俺、実はすっごく怖いんだ」
おまえが怖がりなのは誰でも知っているぞ、と言えばえへへと照れた顔をしたイタリアの頭を引っぱたいた。褒めてはいない。
へらりと笑っていたイタリアがふいに哀しげに瞬いた。
「あの二人はさ…戦いにすべてを懸けるんだと思う」
「………」
すべて。それは。
「それが俺はすごく怖いよ」
「イタリア、」
「どうなっちゃうんだろうって」
きっとイタリアも俺と同じ儚さをあの二人に感じたのだろう。
「俺、がんばるから」
その言葉に感じたのは恐怖だった。イタリアが頑張るとそんな決意を秘めた眼差しをするくらい。そうだ、それくらい今回は先の見えない戦いなのだ。
「頑張らなくていい」
「え…?」
国だからそう簡単には死なない。けれど、今、なぜかとてつもない恐怖を感じる。
前を見る。兄と友の姿はもう見えない。
頑張って頑張って。その果てにいなくなってしまうのだとしたら。そんなことは嫌なのだ。どうなったって生きていてほしい。生きていてさえくれれば。
「生きててくれ」
真っ直ぐ目を見て言う。
イタリアは驚いたように目を見開いてから、泣き笑いのような顔で頷いた。
「例えどうなっても、また皆で笑い合えるよね」
「…当たり前だろう」
「うん」
無くしたくはない。友も家族も。
例え、どんなに中身や見た目が変わってしまおうとも、無くなってしまうのはどうしても嫌なのだ。
ドイツに言われてプロイセンを追いかける。その半歩後ろについて声をかけた。
「お手伝いしますよ、師匠」
プロイセンはちらと日本を見てから歩みを緩めた。それにより、日本がプロイセンの真隣に並ぶことになる。
その距離感にドキリとした。師と仰いでいた頃は背中を見ることのほうが多くて、真横というのはどこか怯んでしまう。
「おー助かるぜ」
もう一度半歩後ろに下がろうと歩く速度を遅くすると、それに合わせてプロイセンまで遅くする。
そんな攻防を数回繰り返した。その結果、やけにのんびり歩くこととなった。
「おまえな…」
彼は呆れたように息を吐く。
「そんなに俺様とゆっくり歩きたいのか?」
ニヨニヨ笑ってそんなことを言うプロイセンは、きっと日本の本心など気づいているのだろう。
「違いますよ」
それでも咄嗟に反論の言葉が出た。それに対しても面白げに高らかに笑うプロイセンに羞恥と苛立ちが湧き上がって、彼の横をさっさと通り過ぎて足早に歩いた。楽しげな笑い声が背後から聞こえたかと思うと、ふいにぴたりと沈黙がおりて、それまでとは違う静かな声が響いた。
「ホンダ」
その声にぴたりと足を止める。
いつも大きすぎるといっていい彼の声は静かに紡いだ。日本の、いや、個の名前を。
地を踏みしめる軍靴の足音が日本の背後まで来て止まった。プロイセンの大きい影が日本を覆う。
ぽん、と頭に手が置かれる。
「頑張ったな」
日本は目を見開いた。
『見ていてやる。俺が…ギルベルト・バイルシュミットがおまえを、ホンダキクのことを』
プロイセンが日本の隣に並ぶ。真横から少し背を屈めて日本の顔を覗き込んだ。
「俺はもうおまえの師じゃねえよ」
優しい眼差しが爛々と輝いて、ニカッと歯を見せて笑った。太陽のようだと日本は思う。
「隣を歩くんだ」
その笑顔も、言葉も。眩しかった。
「Mein guter Kamerad」
「ッ…!」
〝我が戦友〟
息が詰まった。
嘻。その言葉がどれだけ嬉しいか。
泣き出したいような、大声で笑いたいような。ぎゅうっと心臓を鷲掴みにされたような歓喜の苦しさが胸を襲う。
「…そんな顔をするな、馬鹿」
「……どんな顔ですか」
「んー? いや知らなくていいや、おまえは」
「はい?」
「俺が知ってればいい」
「何なんですか、もう」
ぐしゃぐしゃと頭を撫で回される。今度はそれを振り払おうとは思えなかった。
「行こうぜ」
そう言って歩き出したプロイセンの横に並んだ。その位置が嬉しくて、でもちょっと気恥ずかしくて。
けれど行く先が同じであることが嬉しかった。あの日は彼に背を押されて、世界へひとり飛び出したのだから。
その隣を歩めることを光栄に思う。世界の舞台に立てたことを誇りに思う。仲間を得たことを倖せに思う。
ああ、どうか。お願いします。明るい未来を見出せないようなこの時勢の中、彼らだけはどうしても失いたくないのです。譬え、酷く険しい道になろうとも、何かを無くしてしまうとしても。どうか、彼らのいつかの未来に必ず日が射すように。
(続く)