TOP > APH > Gilbert x Kiku > Long > 君に捧げる詩 > 02
君に捧げる詩:02
「嫌だな…」
ぽつりと呟かれた言葉に手もとの本から顔をあげて机を挟んで向かいに座る人物を見た。
まるで自分とは違う生き物なのではないかと思うくらい色鮮やかな容姿のその人に、私は教えを請うて彼の国までやってきた。
きらきらと輝く銀髪…いや、光によっては白金にも見える。雪のように白い肌、厚く逞しい身体。いろんな色が混じっているような不思議な瞳。それは柘榴のようにみずみずしく、窓から差す陽光に照らされている。
日本で会ったときはその姿にひどく驚いた。西洋人はすでに何人も目にしているが、こんな色彩の人など見たことがなかった。だからこそ近寄りがたく、少し恐ろしく感じた。
他国と変わらず、彼とも不本意な条約を結んだが、あまり話をする機会もなかった。その類稀な容姿と接する機会の少なさもあって、とてつもなく遠い人であると勝手に感じていた。天の遣いか、はたまた物の怪の類か。そう言われても信じてしまうくらいには遠い存在のように思えたのだ。
だが、こうして教えを請う立場になって話してみると、独特な笑声をあげて子どものような顔をすることや、呆れた顔、むっと唇を尖らせた顔など、ころころ表情が変わることを知った。そこでやっと自分と同じ生き物であると理解できたような気がする。
今や師となったその人――プロイセンは窓のほうへ顔を向け、その陽射しの光の先をぼんやりと見ていた。その姿を見て、やはり、とぼんやり思う。くっきりとした彫りの深い顔立ちも身に纏うものも髪も眼も、自分と比べて鮮やかな色彩。
この人は西洋人なのだ、と。当たり前のことを改めて認識する。今の自分にとっては西洋人は信用してはならないという感覚が大きく、無意識に気を張っていた。それでも教えを請うているのは、他でもない自国のためだった。
そういえば何故、彼は私に教鞭を振るおうと思ってくれたのだろうか。彼はこうして真向かいに座り、私にあれこれと教えてくれる。教え方はとても真摯だ。真剣に取り組んでくれていると感じる。そこに打算や邪心があるようにはとても思えないが、彼は容易く衷心を隠せるだけなのかもしれない。
嫌だな、と言った先ほどの呟きはひとり言のように感じたが、その意志の強そうな瞳が何を思っているのか気になった。聞いてみようと声を出そうとして、口を開いたと同時に眉を寄せる。息苦しさを感じたからだ。その理由に己の身体を纏う服を見て自嘲した。喉元まできつく纏う襯衣は慣れていないとどうも苦しさを感じる。手もとの本に意識を集中させていたときは忘れていた苦しさだった。
「何がですか?」
気づかれないくらいささやかに息を吐いてから、先ほどの呟きに対する疑問を口にすると、プロイセンはきょとんとしてから「ああ、口に出てたか」と日本に視線を向けた。
「…いや、何でもねえよ」
その返答に教えてはくれないのかと、少しだけ寂しいような気持ちになる。
「おまえさ…」
「はい」
「何で今日、洋装なんだよ」
「何でって…」
「いつもの服…あー、キモノ? でいいだろ」
「こちらの方に仕立てて頂いたのですよ。変ですか?」
「ああ。似合わねえ」
きっぱり紡がれたその言葉に自分の表情が崩れそうになって、慌てて取り繕う。
「マゴニモイショウ、だっけか」
目の前の男から紡がれた片言の日本語に目を丸くしてから、その意味にこめかみが微かに動く。
どうだ、日本語言ってやったぜ! とでもいうような誇らしげな顔に正直に言ってしまえば苛立ちが湧いた。
「……そんなことはわかっていますよ」
当たり障りのない言葉が口から勝手に漏れる。
似合わないだろう。けれど馬子にも衣装とは酷すぎやしないか。
悔しかった。苛立ちと共に湧き上がったのは悔しさと、そしてやはりこの人もかという諦観だ。見下されていることなどわかっていた。確かに私は…我が国は世間知らずであろう。弱いであろう。けれど、そのさも自分達が世界の中心なのだというその態度は頭にくる。西洋のものは素晴らしいし、先の時代をいく国々なのはわかっている。だからといってこちらをあざけり嗤う権利などは決してないはずだ。
(馬子、ですか…。あなた方より身分の低い、見窄らしい奴だと? 卑しい国だと貴方も思っているのですか)
「…そうでしょうね」
口から出た声は普段より幾分か低かった。でもきっと自分の顔は普段と変わらないのだろう。もはや常習となった偽物の微笑が浮かんでいるはずだ。
「…ですが、洋風のものに慣れていかないといけないので」
「そりゃそうだけどよ」
プロイセンはムスッとどこか拗ねたような顔をした。
「Kleider machen Leute.」
「え…?」
「けどよ、重要なのは中身だろ? そりゃあ、時と場合によって服装は変えなきゃならないだろうが今は別にいいじゃねえか。どうせおまえはすぐ洋装とやらに慣れていくんだろ。…慣れざるを得ない状況だ。でも今は誰が見てるわけじゃないし、別にいつもの服でいいんじゃねえの?」
そうだろう? と同意を求めてくる瞳に首を傾げる。話の繋がりがよくわからなかった。
「あ、あの…」
「何だよ?」
「く、ら…?」
「Kleider machen Leute.」
「と言うのは…」
「あ? だから日本語ではマゴニモイショウって言うんだろ? 服が人を作るってやつ」
「え?」
「ん?」
服が人を作る。馬子にも衣装。
「えーと…服によって立派に見えると言うことですよね?」
「ああ? まあそういうことも含むだろうな」
そういうことも含む? 話が噛み合ってないような。
Kleider machen Leute=服が人を作る。日本語では馬子にも衣装。
そうですよね。語源というものが言葉にはあるのでした。馬子とは馬に荷物や人を乗せて運ぶことを職業とした人のことで、彼らは身分が低いとされた人々だが、そのように身分の低いものでも上等な服を着れば立派に見えるという意味だ。
(これは確実に我が国特有の由来ですよね…)
ドイツ語のそれはもちろん違うのだろう。別に身分が低いなどという意味など彼は含んではいなかったのかもしれない。
(ああなんて勝手な…恥ずかしい)
「おい、」
強めに呼びかけられて弾かれたように顔をあげる。
「俺、変なこと言ったか?」
「い、いえ…」
机の向こうから手が伸ばされて、さらりと目もとに触れられた。突然の接触に驚いてビクッと身体を震わせると、プロイセンは「あー…悪ぃ」と言って気まずげに手を離す。
「ひでえ隈作りやがって」
「………」
「苦しいんだろ、ソレ」
それ、と指されたのは首の辺りだ。
洋装に慣れず、苦しげにしていたのがばれていたらしい。プロイセンは驚くほどよく人のことを見ている。その強い眼差しには何もかも見透かされていそうで少し苦手だった。見透かされるのはとても恐ろしい。
「…別に苦しくなどないです」
ただの強がりだ。取り繕うにしてはあまりにも杜撰な。
ハァ、とプロイセンが深い溜め息吐く。呆れているのだろうか。
「本閉じろ」
「え、」
「聞こえなかったのか? 本を閉じろ」
有無を言わせない強さでプロイセンから紡がれた言葉に「…Ja」と反射的に返事をしてしまっていた。
「授業は終わりだ」
「え…ですが、まだ…!」
「終わりだ。今からは俺様の話を聞け」
「はい?」
プロイセンは不遜な態度でそう言うと一度席を立ち、何かの本を手にとって戻ってきた。その本から一枚の紙を取り出して日本の前に置いた。
「これは、」
日本は目を見開く。
「おまえんとこの風景だ」
それは写真だった。そこに写し出されているのは紛れもない故郷の風景。白黒で色などなくても、日本の脳裏では鮮やかに思い出された。
「条約結びにおまえの国に行ったとき、使節が着いたのは秋だった。いや、まだ残暑が残ってる頃か。すげえなって思ったんだよ。当たり前だけどよ、こっちと景色がまったく違う」
プロイセンは思い出すように目を瞬かせた。
「それに自然豊かだし…そうだ、紅葉! おまえんとこの紅葉すげえよな! 何つーか、こっちの紅葉より鮮やかっていうかさ。秋に行ってよかったぜー」
ケセセと嬉しそうに笑う。
紅葉。鮮やかに色づく数々の葉を思い出す。思い出そうとすればそれは鮮明に描き出すことができるのに、私は。
(こちらに来てから焦るばかりで…思い出そうともしていなかったですね)
思い浮かべた風景は温かな郷愁をもたらしてくれる。ふ、と肩の力が抜けていくように感じた。
「それに江戸は人で溢れててめちゃくちゃ賑わってるしよ。あんなに人がいるのにやけに清潔だし。使節の連中と離れて俺一人で歩いてると、子どもたちがイジンサン、イジンサンって寄ってくんだよ。何の警戒もなくだぜ?」
おまえんとこのガキは好奇心旺盛だよなあ、とその光景を思い出しているのだろう、面白げに口端があがる。
「あとあれは…あー、もう冬だったな。こっちの冬はすげえ厳しいからなんか不思議な感覚だったな。雪が少し積もっててさ、ガキがそこら中で遊んでんだよ。それで俺に何か雪で作ったもんを手のひらに乗っけて見せてきてよ。それと俺を交互に指差して「ウサギサン!」って」
その言葉に思わず吹き出しかけた。
(白い姿に赤いお目々…確かに兎さんですね)
「ウサギサンって…ウサギ?つーのはあれだよな。Haseのことだろ。サンってのは――…」
吹き出しそうだったのを堪えたために、くっと漏れた息に気づいたプロイセンが言葉を止める。笑みを堪えられずにふふ、と笑ってプロイセンを見ると彼が目を見開いていた。その表情に首を傾げる。
「どうしました?」
「……おまえ、そんな顔もできるんじゃねえかよ」
「はい?」
「笑っただろ、今」
「? ええ。すみません、気を悪くしてしまいましたか?」
「そうじゃなくて」
がしがしと自分の髪を掻き乱して、どこか混乱しているような姿にさらに首を傾げる。
笑うことは別におかしいことではないはずだけれど。
「そういう風に笑うのは初めて見た」
「はあ…」
意味がわからなくて曖昧な返事を返す。
「おまえ、あんまり表情変えないだろ。講義を真剣に聞いてる顔か、本見て難しげな表情浮かべた顔か、困ったような顔か、貼り付けたみたいな微笑みくらいしか見たことなかった」
その言葉に思わず羞恥で顔が熱くなった。だって、それではまるで表情をじっくり観察されていたようではないか。それにそんな顔もできるのかとこの人は言ったのだ。兎さんだなんて言われていたのかと自然に浮かべてしまった笑み。
こっちに来てから休まることなどなくて、急いで身につけないと、と気ばかりが焦っていた。きっと私は笑うことなどなかったのだ。笑うことなど忘れていた。この人が言った通り、貼り付けたような微笑みは文字通り『貼り付けた』ものであって、自然な微笑みではない。自己防衛のようなものだ。
けれど、私は今自然に笑っていた。それが何だか恥ずかしくて堪らなくなって目を伏せる。
「お、その顔も初めて見るな」
おそらく顔は微かに朱く染まっているのだろう。
ニヨニヨと意地の悪い笑みを浮かべるプロイセンから顔を逸らした。
「ケセッ、おまえ面白いな!」
その言葉は嬉しくない。
「笑えるなら笑えよ。おまえ根詰めすぎ。切羽詰まりすぎていつか爆発すんぞ」
「…余計なお世話です」
「拗ねんな。ガキみてえ」
「貴方よりはだいぶ歳くってますよ」
「そのナリで二千歳超えてるとか詐欺だよな、お爺ちゃん」
あまりの言いようによくない気持ちが顔に出てしまった。
「はは、その顔も初めて見る」
そう言って嬉しそうに目を細める姿に戸惑う。なぜそうも嬉しそうな顔をするのか。
「それで何の話してたっけ? ああ、そうだ。雪のウサギサン。おまえんとこのガキは器用だな」
そうですかね? と返すとなぜか少しの間沈黙が落ちた。目の前のプロイセンは窓の外へ視線を向けた。陽光が兎と同じような色の瞳を包み込んで、その色が微かに淡くなったような気がした。その色はまるで――。ああ、ドイツ語でなんと言ったか。この人がその単語を読めと示した、あれは。
「Kirschblüte」
「へ?」
間抜けな声が漏れた。
思考と読まれたのかと思った。
「桜…?」
「え?…ああ、悪ぃ。また口に出してた」
彼は困ったように笑った。
「四季が美しいんだなっておまえのとこの人間に言ったんだ。そしたら、異人さんはいつまで日本にいるんだ? って聞かれてよ。条約も締結したし、すぐに行かないとって言ったらひどく残念そうな顔してさ。春になったら桜が咲くんだって、見てほしかったなあってよ」
少し寂しげな表情を浮かべた彼は窓の外を見たままだ。
「これからおまえはそうやって洋服を身につけたみたいに、こっちのモノを取り入れていくんだろ?」
唐突な質問に目を丸くする。
「そうしなきゃならねえってのは勿論わかってるし…というか、西洋人の俺がこんなこと言うのも変つーか…おまえにとってはムカつくかもしれないけどよ」
珍しく歯切れの悪い言葉を紡ぐ。
「勿体ねえなって思って」
「……?」
「あんな風に」
くい、と窓の外を顎で指す。
「西洋建築の建物とか建てられまくって…俺が見たあの景色が無くなっちまうんじゃねえかって、ふと思ったらよ」
彼のその強い意志を孕む瞳を桜のように儚げだと思ったのは初めてだった。
「嫌だなって、思った」
嫌だな。窓の外へ視線を向けて放ったあの最初の呟きに繋がる。
「だってすげえじゃんか。国を鎖してたなんて俺からしたら考えらんねえんだよ。他国の干渉がほとんど無いってのは…それはおまえだけの世界だったってことだろ?」
「…私だけの」
「その、他国の干渉なんて受けないおまえだけの世界が見られなくなっちまうかもしれないって…おまえが洋服着てんの見て今更思った。せめて一年、おまえの民があんなに嬉しげに語った景色とか、四季の移り変わりを、真っさらなおまえの世界で見てみたかったなって」
彼はどこか恥ずかしげに頬を掻きながら視線をこちらに向けた。
恥ずかしいのは私のほうだ。ドクンドクンと耳鳴りのように心臓の音が大きく聞こえる。頬は熱い。これはきっと歓喜だ。この人がそんな風に我が国を思ってくれていたという。
怖かった。恐ろしかった。変わることは。でも変わるしか道はなかった。
これまでだって変容してきた。無くなっていく文化も、変化していく時代も感じてきた。けれど、ここまで大きな変化は初めてだった。きっとあらゆることが変化して、あるいは無くなっていくのだろうと。そんなことは覚悟していた。寂しいことではあれど仕方ないのだ。そうしなければついていけない。この広く開かれた世界には。ふいに可愛らしい小さな女の子が脳裏に浮かんで、すぐに消えていった。浮かんだ彼女が誰かさえ、私はもう思い出せない。
私が。我が国の国民が愛した、私たちだけの世界。それをこの人は美しいと、すごいことだと、勿体ないと、そう言ってくれたのだ。
「……きっと大きく変わるのでしょう。その中で無くなってしまうものもあるのでしょうけれど、変わらないものもあると私は信じています。春にはお花見をするのです。お花見が庶民に広まったのはここ最近のことですが、お花見自体は千年ほど前からあることなのですよ」
「千年…」
プロイセンが驚いたように目を丸くしてから、噛み締めるように呟いた。
「桜は我が国にはそこら中にあるのです。いつか、いらしてください。我が国の国民が愛する景色を見に」
目を見て話すのは苦手だった。けれど今はこれが心からの言葉だと、嬉しかったのだとわかってほしいから。じっとその不思議な色合いの瞳を見つめて、はっきりと口にした。
彼は私の言葉に子どものような顔をしてニッと笑った。楽しげに嬉しげに。
けれどその言葉に対する明確な返事が返ってくることはなかった。
(…約束はできないと言うことですか)
プロイセンと日本の距離は遠い。地理的にも、化身の心情的にも。それがとても哀しく、寂しく感じたのはどうしてだろうか。
キラキラと輝くその瞳にやはり桜を垣間見たようなそんな気がする。何度も何度も繰り返してきた春の景色が脳裏に浮かぶ。その光景の中にプロイセンが桜を見上げる姿が思い浮かんだ。彼はどんな顔で桜を見上げるのだろうか。子どものように目を輝かせるのか。それとも、優しげに微笑むのだろうか。
そんなことを考えていると、うっかり本音が漏れていた。
「お互いのんびりできたらいいですねえ…」
自宅の縁側で中庭を見ながら呟いたような、そんな自分の声にハッとして唇を引き結ぶ。
そんなことを言える状況ではない。
プロイセンはパチパチとその鋭い目を瞬かせてから、どこか自嘲するような笑みを浮かべた。彼の唇が歪む。赤を増した瞳が鋭く光ったように見えた。
「……そうだな」
そんなときが来ることはないのだと。彼は遠い未来に自分の姿を見出すことが出来なかったのかもしれない。
それでも肯定をしてくれたその返事に未来を願わずにはいられなかった。だから、貴方の国のあらゆることを学んで、それがこの国からは遥か遠くの極東で生き続けていけるようにと、そんなことを思ったのだ。
国のために侵食される前にと焦る気持ち以外で、学ぶことに対する感情を抱いたのはこのときが初めてのことだった。
その日はとても心が軽くなったような気がしていた。
そうしてくれたのは勿論プロイセンだ。根詰めすぎ、と言った。彼が写真を見せて日本でのことを話し始めたのは、日本に故郷を思い出させて心安まるようにと思ってくれたのだろう。その優しさが身にしみた。あの強い眼差しが苦手だと思わなくなった。だってそこには不器用ながらも、とてもとても優しい色があるのだ。
桜。彼がそれを日本に見に来てくれることはあるのだろうか。
変わるもの。変わらないもの。変化はとても残酷だ。
西欧化していく中で、もしかしたら桜もなくなっていくのかもしれない。彼の言った通り、西洋風の建築物が建てられていくだろう。そしてその中で桜の木も刈られていくのかもしれない。
無くなっていって――…
(……貴方もいなくなってしまうのですか)
今しがた、この人を師としてよかったと心から思った。そんな人もいつかいなくなってしまうというのか。
彼が未来の約束を口に出そうとはしなかったことがとても怖ろしかった。
(続く)