君に捧げる詩:01

 

 ああ、独りだ。
 唐突にそう思った。いや、きっとそれは長い間、胸の奥底で滞留していた思いだったのだろう。国を開いたあのときから。ひとりぼっちだったときは何とも思ってなかった。一人であることが当たり前だった。けれど、いざ国を開けば知らない世界があって、それはあまりにも大きく広かった。世界地図を見れば、大陸から切り取られたようにぽつんと浮かぶ島の姿は不安を掻き立てた。その不安は徐々に現実となっていった。でも上手くいっていたのだ。いくら理不尽な目に遭おうと、我が国は世界の中心たる国々の仲間入りを果たしたのだから。
 結局、上手くいっていたのは最初のうちだけだったけれど。だってどうしろと言うのだ。周りは西洋の国々ばかり。色も文化も価値観も何もかもが違っていた。知己の隣国はすでに傷だらけになっていて、そうならないためにと、ただ生き残るために西洋の真似をした。だから東洋からも異端な存在となり、どんなに真似しても西洋の真の仲間入りは果たせることもなく。たった一人でどう足掻いていけというのだ。
 孤立。今思えば、それは当然の帰結だったように思う。
 今更、そのずっと感じていた孤独を今一度噛み締めた理由は遠い地の仲間たちが膝をついたからなのだろう。
 楽しかったな、と場違いにも思いを馳せた。いろんな訓練をして笑い合った日々は今ではもうひどく遠い日のことのように思う。ほんの少し前のことなのに。長く続いてきた生のうちのたった一瞬であるはずなのに。もう、その日々がとても遠くなってしまった。
(……どうなってしまうのでしょうね)
 もうあのくるくる表情を変える子の柔らかい笑顔や、生真面目な彼の照れた横顔を見ることは叶わなくなってしまうのだろうか。
 例え、彼らが膝をつこうと私は歩みを止められなかった。もう戻ることなど出来なかった。いくら彼らと友情を育もうと私と彼らの国は遠すぎて、連携なんてできたものではなかった。だからなのか。一人残ってしまおうとも足を動かし続けたのは。
 全身傷だらけで、痛みと蜻蛉にゆらゆらとする視界で、何にも無くなったような真っさらな大地で。それでも決して膝を折ってなるものか。そう思ったのは何故なのか。もう何もわからなかった。私はどうして戦っているのだろう。こんな状態で。

 ――ひとりぼっちで。

 突然走った鋭い痛みに身体が勝手に崩れ落ちた。精神力だけで支えていたような身体はあっけなく地面に倒れ伏した。じくじくと身体を灼かれるような感覚に意識が次第に薄れていく。すべてが真っ白になっていく中で、あの人の声が聞こえた気がした。



 目を覚ますと白い天井が見えた。寝台に横たわる自分の身体はこれっぽっちも動きそうになかった。無機質な医療機器の音と苦しげな自分の呼吸音だけが部屋に響く。
 終わったのか。終わってしまったのか。
 がちゃりと扉が開かれた音がした。動かない身体で視線だけを入ってきた人物に向ける。

「これから君は俺の保護下になるんだぞ」

 憎かった。そう言った男が。
 もしまともに口が動くのなら罵倒していたかもしれない。
 目を閉じた。もう何も見たくない。敵であった若き大国の姿も。愛する故郷の焦土と化した地も。
 ……醜く歪んだ己の心も。



 それからどれくらい経ったか。少しはまともに動くようになった身体だが、それでも一日の大半をベッドの上で過ごすしかなかった。
 何も出来ずに過ぎていく日々。作り替えられていく感覚があった。ありとあらゆるものの大きな変化が身体に異変を訴えている。国が大きく動いているのだろう。ぐらりと頭の中が揺らいだり、吐き気を催すような気持ち悪さを感じたりするようになった。
 そのうち、何も考えられなくなっていく気がした。足元が崩れ落ちていくような感覚が襲う。大切な何かを忘れていっているようだった。昔のことを思い出せないことがあったり、その反面はっきりと昨日のことのように浮かぶ記憶もある。それはその日その日で違った。自分の頭も体も、まるで他人のもののように意思通りに動かなくなってしまっていた。恐怖と不安と怯臆と、厭な情動が綯い交ぜになっておかしくなりそうだ。
 変わってしまうと、思った。それは何よりも恐ろしくて。
 だってそれは。私の、私たちの世界が。あの人が美しいと褒めてくれた世界が無くなって――
(あのひと…
 あの人とは誰のことだ。
 内側から鐘を打つように痛み始めた頭を抱えてベッドに倒れ込む。横向きに倒れた視界の先には簡素な机が置かれていた。そしてそこに置かれた花瓶にささっているのは。

「さくら…」

 その桜はとても濃い色をしていた。桜といって思い浮かぶ色よりももっと深く、緋に近い色。ふんわりと幾重にも重なった花弁は柔らかさと力強さを併せ持って咲いている。それは。
(あの人の瞳の色…)
 そうだ。どうして忘れることなどできよう。あれほど焦がれたあの人のことを。

「…ししょう」

 酷い頭痛の中、どうにかしてその姿を脳裏に描く。ぼやけていく思考の中でゆっくりと目を閉じた。

 

(続く)