TOP > Game > Resident Evil > Chris x Leon > ソリタリアの眷恋 > 04
ふいにインターホンの音で目を覚ました。帰宅してからいつの間にか惰眠を貪っていたらしい。部屋の中は真っ暗で、開けっぱなしのカーテンの向こうは既に夜の帳がおりていた。
状況を理解している間にもインターホンは鳴り続けた。数度鳴らせばいないと思うだろうに。何か宅配でも来たのか、それとも勧誘か何かか。出るのは面倒くさくて無視しようと思った。からからの喉を潤そうとテーブルの上に無造作に置かれた袋からペットボトルを手にした。グラス一つ持ってくるのも面倒で、そのまま口をつけて飲んだ。
未だインターホンが鳴り続けている。その五月蝿さに眉を顰める。仕方ない、と立ち上がり、電気を点けてから玄関に向かった。
もう確認するのすら億劫で、宅配だろうと勧誘だろうと文句でも言いつけてやろうと乱暴にドアを開けた。
さぁ、何て言ってやろうかと口を開けてから、ドアの外にいた人物に驚いて言葉を失った。
「レオン」
名前を呼ばれてもまだ身体は硬直したまま動かない。
「レオン」
また名を呼ばれる。ふいに頸の後ろに手が回され、引き寄せられたかと思ったら唇に彼の吐息がかかって。咄嗟に顔を逸らしてしまった。
沈黙が下りる。唇に触れようとした熱が頬にそっと押しつけられた。
彼が何を考えてるのか、思っているのか、怖くて顔が見られない。バレてしまっただろうか。怒っているだろうか。苛ついているだろうか。
「仕事、」
その言葉にびくりと肩を揺らす。
「嘘なんだろう?」
やはり、怒っているのか。
「レオン。こっちを向け」
強めに放たれた言葉に嫌なふうに心臓が早まった。その言葉に逆らえなくてゆっくりと彼の顔を見て、俺は自分の勘違いを知った。
彼は哀しんでいた。困ったような、それでいて哀しげに笑っていた。
傷つけた。そのことにやっと俺は気づく。
「クリス…」
何て言えばいい。何て言えば許される?
「…すまない」
下手すれば震えてしまいそうな声を絞り出した。
クリスはそんな俺を見て、少し驚いたように目を見開いてから、首を振って笑った。
「怒ってない」
知ってる。でも傷つけたんだろ、俺が。
「約束があったのに部下を家に招いたのは俺だしな」
「…当然のことだろ」
大事な家族なのだから。
「レオン、」
恐らく。互いに何を考えているのかわかってはいないのだ。だって俺はどうしてあんたがここまでわざわざ来たのかわからないし、ほら、あんただって困ったように俺の名を呼んでは沈黙する。
「…会いにきたんだ」
俺の思考を読み取ったかのような言葉にハッとした。
「すぐまた会えるなんて嘘だろう。俺は今日、おまえに会っておきたかった」
「……そんなに俺に会えなくて寂しかったのか?」
茶化すように挑発的な笑みを浮かべて言った。こんなときにまで、憎たらしく言葉を放ってしまう自分に嫌気がさす。
「ああ。寂しかった」
そう言い切ったクリスに瞠目する。クリスは驚いている俺に意を介することなく、先程重ならなかった唇を強引に重ねてきた。
会ってすぐにこんな状態になることなんて今までなかった。他愛のない話をして、友人のように会話したあと、その延長線のように軽い感覚でベッドになだれ込む。それが常だった。玄関先でこんなことはしたことなどない。
息苦しくて口を開けば、ここぞとばかりに舌が入り込んでくる。歯列をなぞり、上顎を舐め、舌が搦められる。口の際からだらしなく涎が零れるのを少し唇を離した彼が舐め取った。はぁはぁと整わない呼吸が互いの間を駆ける。
レオン、と囁くように呼ばれて薄く目を開くとクリスの熱の篭もった瞳が潤んでいるように見えた。だから、とレオンは眉を寄せた。だから、あんたは狡いんだ、と。いつも思う何度目かの台詞を内心で呟いた。そんな目で見られては、まるで愛されているのかと錯覚してしまう。
気を抜けば妙なことを口走ってしまいそうで彼から目を逸らした。
「なんだよクリス、溜まってる?」
いつもの調子を取り戻そうと不敵に笑って彼のモノをジーンズの上から撫でれば、その手を引っ張られてぎゅうっときつく抱き締められた。頭に回された手は押しつけるように力を更に込めてくる。頸筋に頬を当てれば、ドクドクと彼の鼓動が聞こえてきた。
その抱擁はあまりにも力強くて息が苦しくなる。ともすればミシリと音が聞こえそうなくらい力を込められて「痛い」と小さく文句を言えば、「うん」と返事が返ってきた。それでも緩まない腕に「だから痛いって、クリス」と息苦しさの中で言えば、またしても「うん」と一言返された。
しばらくは離してはくれなさそうだ。こんなに苦しいのに嬉しいと思うなんて、自分には被虐趣味でもあったのかと可笑しくて薄く笑った。
このまま。このままあんたの一番近くにいられたらと、そう思ってしまう。何もかも捨てたら傍にいることは叶うだろうか。そんな想像をしては、でもそれが途轍もなく無意味な想像だと分かって苦笑する。無理なのだ。あの日、悪夢と遭遇して。その後、銃を持つことを決心したときから決まっていた。戻れない。ここから抜け出すことはもう出来ない。一つ、それが叶うとしたら。終わらせるしかないのだろう、この悪夢の連鎖を。
「なぁ、」
「うん」
「苦しいって」
「うん」
うん、て何だよ。
そろそろ本当に窒息しそうだ。あんたに焦がれるこの気持ちで。
――…、…レ……ン、…ろ
「レオン、起きろ」
身体を揺すられて意識が浮上する。それでもまだ揺り籠のような微睡みに身を預けていると、唇に熱が触れた。覆うように塞いできた唇がはむと俺の下唇を優しく噛んでくる。息を吸おうと口を開いたところでぬるりとした感触が咥内に拡がったところで、意識がはっきりと覚醒した。それと同時に驚いて覆い被さる男の肩をぐいっと押せば、それに抵抗するようにさらに強く唇を押しつけられた。抗議しようとして漏れた声がんぅ、と鼻にかかった甘え声みたくなってしまって、恥ずかしさに顔が熱くなる。やっと離されたと思ったときには、いまいち状況を理解できていない俺は茫然と自分に覆い被さる男を見ていた。
前髪を掻き上げられ、額に口づけられる。その唇が滑るように耳に移動して囁いた。
「目は覚めたか?」
ハッとして視線を向ければ、彼は悪戯が成功した子どものような笑顔で俺を見つめてきた。
「……さ、」
「さ?」
「めた」
驚きすぎて片言のようになってしまった。
「それはよかった。仕事に遅れるんじゃないかと思ってな」
ぐいっと腕を引っ張られて上体を強引に起こされる。纏っていたシーツが肌を滑って落ちる感触に身震いしながら、未だいつもと違う朝に戸惑っていた。
頸筋を撫でられ、頬に手を添えられ、キスをされる。
何で。どうして。そんな疑問ばかりが頭に浮かんでされるがままになっていた。
いつもなら、こんなことはあり得ない。俺が目を覚ませば、彼はいつも先に起きていて。きっちりと服を着て、リビングのソファで新聞かテレビを見ているか、キッチンでコーヒーを入れているか。そして起きてきた俺にいつもの顔で、普段通りの友人の顔で「おはよう」と言うのだ。昨夜の熱情などまるで無かったかのように。
「おはよう、レオン」
いつもの台詞を彼は言った。いつもとは違うベッドの上、未だ服一つ身につけていないシーツの中で。昨夜の熱情の延長のまま、こちらを焦がす瞳のまま。
返事は? とでも言うように頬に寄せられた唇に目を閉じた。
あんたはどれだけ俺を振り回す気なんだ。やっと今の状況への理解が追いついたのか、バクバクと早鐘を打ち始めた心臓に息苦しさを感じた。振り回されていることへの決して嫌ではない苛つきをどうにか相手にぶつけようと、震えた手を彼の首に腕を回して顔を寄せて額を合わせる。動かせば唇が触れ合う距離で言ってやった。
「おはよう、クリス」
いつもの如く、からかうように不敵に言ったつもりが、まるで甘い睦言のように響いて羞恥に苛まれた。
そんな挨拶にクリスは笑った。この男は俺の気持ちなんてとっくに何もかもわかってるんじゃないのかと思えた。今、気持ちを告げたら「知ってる」なんて返ってきそうだ。それでもそれを口にする勇気は持ち合わせていなかった。
俺の気持ちを知っていたとしても、まるで知らなかったとしても、彼が俺に向ける情を言葉にしないのなら、それがすべてだ。自分からは言わないくせに相手が言わないなら、なんて。やっぱり自分勝手だけれど。恋人にも家族にもなれないなら、友人という繋がりまで手放すわけにはいかないのだ。
クリスが俺の頸筋に顔を埋める。その際にふと彼の身体の向こうに見えたチェストの上に置かれた写真立てが日の光に反射してキラリと光った。そこに写る父と母の笑顔を思い出してはある想いが胸を過ぎる。
やっぱり家族になりたいなぁ、なんてことを。恋人になれないなら、家族のように想われてみたかった。昨日の青年のように。当たり前のように傍にいたい。彼は守られることなんて望んではいないのだろうけど、守ることができるという特権を得てみたかった。
結局俺は寂しいのだろう。家族はとっくにいなくて。長く付き合った彼女も、悪夢の中で好きになった女性も、生死を預け合ったはずの戦友も皆俺の元からいなくなってしまった。クリスはどうだろう。いつかいなくなってしまうのだろうか。不安で仕方なくて、だから、確かな関係が欲しかった。それさえあれば、ずっと繋がっていられるような、そんな。
ツン、と目の奥が熱くなって。ああやばい、と思ってぎゅっと目を閉じた。漏れてしまいそうな嗚咽のような呻きを唇を噛んでやり過ごしていると、起こされたはずの身体がベッドに逆戻りした。クリスが俺を押し倒したのだ。
「なに、…ん、」
あんたが起こしたんだろう、と文句を言ってやろうとした口はまたしても塞がれてしまう。
「ぁ…こら、クリス…遅刻、する…ッから…!」
塞いでくることに抵抗して顔を逸らしたり、肩を押しやりながら、絶え絶えに訴えれば、クリスは少し不満げな顔をした。
だから、さっきからいったい何なんだ。今日のクリスはおかしい。
少しムスッとしている顔が拗ねた子どもみたいに見えた。それが可笑しくて、ついクスリと笑ってしまうと、彼はきょとんとしてから片眉をあげて不思議そうな、また笑われたことが不満だと言うような顔をした。
それが何だか可愛くて、もっとからかってやろうとその逞しい身体をなぞるようにして撫でる。ゆっくりと撫でていき、腕を伝って手のひらに辿り着く。その太い指を自分の指と搦めて引き寄せた。いつかの夜、彼がそうしたように手の甲にちゅ、と口吻た。もう一方の手が触れていた彼の胸がドクンと鳴ったのを感じて笑みを浮かべた。なぁ、と吐息混じりに甘く囁いてみた。胸に触れていた手を下げていき、彼のペニスに触れる。欲求を高めるように緩慢に触って刺激したまま、囁いた。
「グリルドチーズが食べたい。ベーコンたっぷりの」
は、ぁ? と吐息混じりの気の抜けた声がクリスから漏れたのが面白かった。
「作って」
「…おまえな」
「俺はシャワー浴びてくる」
「どうしてくれるんだ、これは」
「さぁ? 右手使えば?」
こいつ、とコツンと頭を叩かれる。それを気にもせず、ベッドを抜け出してバスルームに向かうと背後から深い溜め息が聞こえた。
結局、俺の望み通りに朝食にはグリルドチーズが出てきたが、中にはベーコンが一切入っていなかった。そんな些細な仕返しをしてくるクリスがやっぱり可愛くて笑うと、煙草の箱を投げつけられた。
いつも振り回してくるのはあんたなんだなら、これくらいの揶揄は許してくれたっていいだろ。
「じゃあ、また」
クリスは別れのとき、いつも微かに瞳を揺らして“また”と言う。互いに危険に身を置いている。その〝また〟が来る保障などないのも十分理解していた。
この男は優しいから、そんな顔をするのだろう。俺のことまで背負わなくてもいいのに。もうその広い背中には抱えきれないほどの哀しみを背負っているはずなのだから。俺は死なない。この悪夢を終わらせるまでは。あんただってそうだろう?
「ああ、またな」
だから俺はいつだって何てことの無いように言い返す。明日すぐ会えるかのように軽く。
背を向けて歩き始めたクリスを見つめていてそういえば、と思い出した。
「クリス!」
玄関先に置いていたものを手にとってクリスに向かって投げる。振り返ったクリスがそれをなんなく受け取った。彼は手の中のモノを見て笑みを浮かべた。チャリ、とクリスの手の中で揺れた俺の家の合い鍵が近いうちに使われればいいな、と去っていく彼の背中を見つめながら願った。
俺も出るか、と鍵を手にしたときに玄関先にかけてある鏡に写った自分の指のつけ根あたりを見て首を傾げる。一点が紅く色づいている。左手の薬指。俺は目を見開いた。
いつの間に、とか、なぜ今まで気づかなかった、とか。頭の中にいろいろ浮かんでは消えていく。だから。だから、どうしてあんたはこんなことをするんだ。こんな痕、今まで残したことなんて一度もないくせに。
レオン、とクリスが熱く囁く声を思い出してぞくりと背筋が粟立つ。鏡に映った自分を横目で見れば、頬を紅潮させて、だらしなく口端を緩めていた。はぁ、と熱い息を吐き出して、冷ますように手で顔を扇いだ。
(遅刻したらあんたのせいだからな、クリス)
やはり振り回されているのは俺のほうだ。
薬指の紅い痕に唇を寄せる。そこはただの自分の指でしかないのに、クリスの熱の残滓が残っているようで堪らなくなった。
ふぅ、と早い鼓動を静めるように息を吐いて、今度こそ家を出た。そこにはもうクリスの姿はない。けれど、今朝までの寂しさはいつの間にか胡散していた。
クリスが去っていった方向とは真逆の道路へと一歩を踏み出してふと思った。道が違えど、向かう未来は同じなんだと、そんな単純なことに今さら気づいて。真っ直ぐに前を向いて歩くクリスの背を脳裏に描いては、その行く先が同じであることを誇りに思った。