「恋人はいないんですか、隊長

 ふと聞こえた隊員の声にピアーズは隊長と呼ばれたその人物に目を向けた。
 BSAAのアルファチームを率いるクリス・レッドフィールドは隊員の言葉に笑いながら、酒を煽っていた。

「いないよ。こんな職場じゃ出会いもない。おまえらも売れ残らないよう気をつけろ」

 そう軽口を叩くクリスにそんな、と哀しげに呟く隊員やそれを笑う隊員たちにクリスもまた笑みを深めていた。
 ピアーズはそんなクリスの姿を見ながら、あの日、体調を崩したピアーズがいたクリスの家にやって来たレオンという男のことを思い出していた。
 レオン・S・ケネディ。そう名乗った男はモデルのような顔立ちにそれでも鍛え抜かれた逞しい身体を持った人物で、あんな状態であったピアーズを少しの間、看病してくれた。後に隊長に聞いたのだ。彼は違う立場だが、俺たちと同じようにB.O.W.と戦う仲間だと。
 意識が多少混濁している中、ベッドの横の椅子に腰かけた彼はどこか切なげにこちらを見ていた。その視線の理由が何なのか、ピアーズは不思議に感じていた。ゆっくり休めと聞き触りのいい低音が気遣うように紡がれてから、俺が目を閉じてしばらくしてからのことだった。
『隊長、か…羨ましいな』
 ――あんたはクリスの傍で戦って…守ることができるのか。
 そう小さく呟かれた声は聞いているこっちが切なくなるような響きをもって、ピアーズの耳に微かに届いた。クリスの友人だ、と言った彼が瞳を揺らした理由も、ピアーズのことを切なげに見てきた理由も、何も言わずに帰っていった理由も全て。彼が、レオンという男がクリスに寄せる情の深さの表れだと、そう気づいた。例えその情が友情の延長線上だろうと、女を愛でるような熱い恋情だろうとピアーズは知りもしないし、どちらだろうと関係ない。けれど。
 ピアーズは隊員たちと談笑するクリスを見た。あの日、レオンが来たことを伝えたとき隊長は驚いたように目を瞠った後、苦々しく、そして切なげに眉を寄せた。その表情もまた、レオンに対する深い情を示していると、そう思った。だから行ってくださいと言った。俺の看病なんかしてないで会いに行け、と。もっと言えば会いに行って二人の互いに向ける感情がしっかりと交じり合えばいいとそう思っていた。二人は同じ表情で笑うくせに、まるで恋愛映画よろしく擦れ違っているように見えたから。それが合ってるか間違ってるかの答え合わせはピアーズには出来ないが、もしそうならば早く伝え合えばいいのにと思った。ティーンエイジャーじゃあるまいし、そんなもどかしいことを、と。

「でもこんな危険な仕事じゃ恋人作ってもな」

 ある隊員が発した言葉に周りも結婚しても任務に出ちゃえばなかなか会えないしよぉ、と酒も入ったからか、ぐずるように言っている。それにクリスが少し黙り込んで。

「…大切なことだ。大事な人がいるっていうのは帰る場所があるってことだろ。生きて必ず帰るとそう誓える」

 だから、とても重要なことなんだ。そう真摯に紡いだ。
 その表情はやはり切なげで、隊長の頭の中で浮かんでいるだろう人物を想像して、その想像が当たっているだろうことに微かに口元を緩めた。

「どうした、ピアーズ。飲んでるか

 ふいに聞こえた声に顔をあげると、クリスがこちらに近づいてきていた。

「隊長」
「ん
「今のってレオンさんのことですよね」

 きょとんとした隊長が次の瞬間には瞠目して顔を朱くした。明らかに酒のせいではない頬の朱色に思わず笑った。

「…ピアーズ」

 咎めるように低く呟かれた名前にさらに笑みを深めれば、クリスは溜め息をついてピアーズの前の席に腰を落ち着かせた。

「どうして」
「…

 そう伝えないんですか。
 そう聞こうと口を開いてから、自分が口を挟むことではないと思って躊躇った。
 クリスはピアーズの言葉の先に気づいたのか、それともふと漏らしただけなのか「俺は臆病なんだ」と自嘲するように言って酒を煽った。
 戦場に出ればどんな化け物だろうと冷静に勇敢に向かい合う男が自分は臆病だと、そう言った。ピアーズはクリスをそんなふうに思ったことなど一度もないし、彼は憧れで尊敬する唯一の人だ。どんな想いでクリスがそんなことを言ったのか、彼らの出会いやその後の邂逅を欠片も知らないピアーズはその感情の揺れを把握することなど出来なかった。
 それでも。伝えないと意味がないと、そう思うのは自分が彼らより若いからなのか。
 寂しげに笑うのがもどかしかった。互いにあれほど切なげに愛しげに名前を呼ぶくせに。




 首に提げた鍵に唇を寄せる。こんなふうに合い鍵を持っていると知ったら、あいつは面白がってからかいそうだなと思って笑った。
 いつもと違ったあの日の朝、震えた唇を噛み締めて潤んだ目を閉じたレオンを見て、思わず押し倒していた。あいつが何を思ってあんな顔をしたのかわからなかった。でも、そんな顔をさせたのは俺なのだろう。
 指につけた痕にあいつは気づいただろうか。気づかれたら気づかれたで少し恥ずかしい。
 最初はただ同じ苦しみに魘される彼を助けてあげたかった、本当にそれだけだった。
 曖昧な関係を始めてしまったのは俺だ。あいつを抱いているときだけは何もかも忘れることができた。逃げ道にしたのかもしれない。この辛さと寂しさと哀しさを埋め合わせるための。それでも憎たらしく笑う顔も、切なげに揺れる瞳も、熱に浮かされた表情も、可愛くて仕方なかった。
 でも俺は。この悪夢を終わらせないと先には進めない。いつか。この想いを言える日が来るだろうか。いや、来させてみせる。早く終わらせよう。この悪夢の連鎖を。

「隊長

 呼びかける部下の声を聞いて、俺は顔をあげて真っ直ぐに前だけを見つめた。

 

End.