TOP > Game > Resident Evil > Chris x Leon > voile pluvieux > 04
久しぶりに飲まないか。そんな連絡を彼にしたのは気が向いたからというだけの単純な理由だった。休みがとれて彼に電話をした。会うことは少なかったが、初めて会ったあのときから俺たちは連絡をとるようになった。お互いの仕事上、会うことはままならなくとも、話をするたびにどこか安心した。違う場所で生きていても同じ未来を望む同志がいることに安心したのかもしれない。
顔が見たくなった。あのおそらくは女性に好かれるだろう整った顔を思い出しながら電話越しに声を聞いていたら。飲みにいかないか、と気がつけば口に出していた。すると彼は少し言葉に詰まったようだった。そこではたと気づく。彼の声はどこか覇気がないような気がした。なぜ今まで気づかなかったのか。もしかしたら体調が悪いのかもしれない。
大丈夫か? と聞くと少し間を置いて、
「…すまない、クリス。少し…体調が優れなくて」
と申し訳なさそうな返事が返ってくる。
「俺のほうこそ気づかなくてすまん、ゆっくり休め」
そう言えば、「うん」と小さく聞こえた。会話は終わっただろうになぜか彼は電話を切ろうとはしなかった。俺は戸惑いつつも「しっかりと休むんだぞ、また今度な」と電話を切った。
そこでふと思う。彼には体調が優れないとき、例えば風邪をひいたとかなどに看病してくれる人はいるのだろうか。あれほどの容姿なのだから恋人がいそうなものだが、以前にそんな話になったときはいないよと困ったように笑って言っていた。彼が一人で苦しんでいると思ったらいてもたってもいられなくて家を飛び出した。クレアに彼の住所を尋ねて車を走らせた。途中で降り出した雨に視界をとられ苛々しながらも彼の家に到着した。
彼の家の玄関前に立って、やっと自分は冷静になったのかもしれない。突然やってこられても迷惑じゃないか。ましてや俺たちはまだ数回しか会ったことがなくて。自分の考えなしの行動に頭を抱えながらも、それでも多少の看病はできるはずだと道中で寄ったスーパーの買い物袋を眺めながら意を決した。
呼び鈴を鳴らしても反応がなかった。何度か試す。嫌な汗が浮かんだ。これはもしかして。あれはただレオンがクリスの誘いを断ろうとして吐いた嘘なのではないだろうか。嫌な思いになったわけではない、ただ勝手にここまで来てしまった自分に呆れて傷心した。
取り敢えず車に戻ろう、と引き返す。ますます強く降り出した雨に傘を持たないため走ろうとすると少し遠目に人影が見えた。ゆらゆらと頼りなげに動く人影。目を凝らすとそれが見知った姿だとわかった。
ふらふらと危なっかしい人影は道路をゆらゆらと渡り始める。突然雨の中に車のクラクションが響く。危ねぇだろ、おい! と窓越しに怒鳴りつけてその車は去っていった。怒鳴られた頼りなげに動く人影はそれでも心ここにあらずな様子でふらふらとしていた。
俺は思わずスーパーの袋をその場に投げ出してその人影に駆け寄った。
「レオン…!」
傘をさしてもいない彼は俺の声にこちらを向くと目を見開いた。
「クリス…? どうしてここに、」
「おまえこそ何やってんだ! こんな雨の中…! 体調が優れないなら家でおとなしくしてろ。風邪ひくだろ?」
駆け寄ってすぐ取り敢えず彼の家に入ろうと肩に腕を回して誘導するように動くと、彼はそれに反して立ち止まった。
「レオン?」
「追いかけてくるんだ」
「…?」
「あいつら、死体なのに動くんだ。変な動きをして…俺を追いかけてくる。舌をだした四つん這いの化け物とか、俺を追ってきて…」
「レオン」
「何で殺したの? って」
「レオン!」
「そうだ、俺は殺したんだ」
「ッ、」
「元々同じ人間だったのに…!」
うぅ、とまるで子どものように彼は呻いた。彼が何を言ってるのか俺にはわかる。そして彼があの悪夢から抜け出せないでいることを知ってしまった。
やだ、やだ、怖い、と首を振る彼は俺の知っている青年には見えなかった。雨に濡れてわからないけど、もしかしたら泣いているのかもしれない。
「レオン、」
そっと、彼の身体が、心が壊れないようにできるだけ優しく抱き寄せた。彼の細い身体は驚くくらいぴったりと自分の腕の中に収まる。
びくり、と不安げに跳ねた彼はそれでも体温に安堵したのか、恐る恐るといった感じでクリスの背に腕を回して、それからぎゅうっと縋りつくように抱きついてきた。
正直、何て言葉をかけてやればいいのかわからなかった。けれどどうにか安心させたくて。大丈夫だと、そんなに怖がる必要はないと。悪夢から解放してあげたくて。その雨に濡れた冷たい身体を温めたくて。優しく抱き寄せたはずの腕に少しだけ力を込めた。首筋にあたる濡れた髪が肌をくすぐる。そこに顔を埋めると雨の匂いに混じっておそらくは彼特有の匂いを感じた。それをもっと感じとろうとさらに腕に力を込めれば応えるように強く抱きついてくる。
クリス、クリスと。掠れた声で何度も名前を呼ばれた。怖い、やだ、と繰り返しながら。大丈夫、わかっている、大丈夫だと一言一言返していく。同じことを何度も何度も。
それでも彼は一度も『助けて』とは言わなかった。そのことに気づいたとき、俺はどうしようもなく哀しくなって。彼の濡れた髪を掻き乱すようにして抱き締める腕にさらに力を込めた。
泣き疲れたのか、かくりと力を失った身体を抱き留めて、どうしようかと逡巡する。このまま抱き上げて家に入ればいいのだが、鍵を探そうと彼の身体をまさぐっていると何だかいけないことをしている気になって手を止めた。レオンと何度か呼びかければ薄らと開けた目がきょとんとしてから、はっとしてクリスの身体を突き放すようにして離れた。
「く、クリス…」
「? ああ。取り敢えずびしょぬれだから、その、家に」
レオンはどこか戸惑ったようにしながらも鍵を取り出してあがってくれと扉を開けた。その様は普段通りの彼のようでいつものペースに戻ったかと安堵した。
シャワーをどちらが先に浴びるかで譲り合いのすえ揉めた。あんた客なんだから先に入ってくれと最終的にむすっとされてしまっては仕方ない。先に借りるなとシャワーを浴びた。俺の服はあんたには小さいと思うからバスローブ置いとくな、と浴槽のガラス越しに聞こえた声に頷き、浴びたあとバスローブを着てリビングに行けばレオンは俺から目を逸らしたまま「俺も浴びてくる」とそそくさと行ってしまった。人の家にぽつんといるとどこに腰を下ろしていいかわからない。取り敢えずソファを背に床に座って彼が出てくるのを待った。
シャワーを浴び終わったレオンはどこか戸惑うような、そして恥ずかしげな面持ちでリビングの入り口に突っ立ったままでいた。不思議に思い、立ち上がって近づく。
「レオン? どうした?」
「あ、いや…さっきのことなんだが」
「ん?」
「すまなかった」
真剣な目で彼は謝った。彼に謝られるようなことはされていない。けどその謝罪がどういった意味からきたのかくらいはわかった。
「レオン」
「…別に何ともないんだ。ただ、その…ちょっと夢見が悪くて、それで気分転換に散歩でもしようと思って…それで雨が降ってきて、」
「レオン」
「ッ…」
彼の言葉を遮る。
「別に謝ることじゃないだろ?」
「でも」
「俺のほうこそ悪かった。勝手に家に押しかけて。体調が優れないと言っていたから少しお見舞いくらいと思ったんだが」
レオンはふるふると首を振った。それから俯いてしまう。
「レオン、なぁレオン」
まだ顔はあげてくれない。
「こんな陳腐な言葉しか浮かばないんだが…その、おまえは頑張ってる。突然起きた不幸に巻き込まれたんだ。怖いと思うことは恥じることじゃない」
「…でも俺は」
「ウィルスに完全に感染してしまえばそれは人じゃない。おまえが罪を感じる必要はない。おまえがやらなくても誰かがやっていた。それくらい普通のことだ」
「………」
「俺はおまえのことを立派だと思う。クレアのことも助けてくれただろ?」
「クリス…」
顔をあげたレオンの目元は朱く染まっていて。泣くのを堪えているんだろうか、この優しくて呆れるほど不器用な男は。
「それと、今すぐじゃなくてもいい」
いつか、彼があと少しでも心に余裕が持てたのなら。
「辛いなら辛いと、助けてほしいと声に出していいんだぞ」
言ってから少し恥ずかしくなった。まだ数回しか会ったこともない奴にそんなこと言われるなんて、とか思われやしないかと。
沈黙がおりてしまい、やっぱりまずかったかと何か言い訳でもしようと口を開きかけとき、身体に衝撃が走った。ドンッと勢いよくぶつかってきた彼は雨の中でそうしたのと同じようにぎゅうっと抱きついてきた。クリス、なぁクリス、とレオンが耳もとで俺の名を呼ぶ。熱い息がかかって少しおかしな気分になる。
「クリス、俺、俺ね」
どこか急ぐように言葉を紡ぐ彼の声はなぜか嬉しげに跳ねているように感じた。その言動が少し幼さを増したように思う。
「嬉しい」
「嬉しい?」
「うん。あんたがそういうふうに言ってくれるの」
「そうか」
「うん、だから、さ」
「ん?」
「ありがとな」
少し身体を離して顔を覗き込んでレオンは言った。ありがとなと紡いだその表情は恥ずかしいのか少し頬を朱く染めていたけれど、はにかむように笑っていた。歳の割にはまだ幼さを残す彼の顔はクリスを真っ直ぐに見つめて笑う。彼が笑顔を取り戻したことが嬉しくてこちらも笑みを返して、まだ少し濡れている髪を撫で回した。やめろよ、なんて言ってくる彼になんなら乾かしてやろうかと言い返せば、俺はガキじゃないなんて言ってくる。じゃれ合うように会話を紡げば、可笑しくなってお互いに吹き出した。
弟がいればこんな感じだろうか、とクリスは思った。彼は幼い頃に両親を亡くしているらしい。それに加えてあのラクーン事件の生き残り。政府に半ば監視されるという状態だ。孤独に生きているのだろう。それゆえに助けてとそのただ一言も紡げない。だから、クレアに対して思うようにレオンのことも思いたかった。力になりたいと、そう強く思った。
泊まってけよ、というレオンに甘えて彼の家に泊まることになった。ベッドを使えと言ってくるレオンに遠慮し、最終的にじゃあジャンケンなと子どもみたいに言い争って、俺はソファを借りることになった。レオンは渋々と言った感じで、それでも「おやすみ」と寝室に行った。
ソファに横たわってうつらうつらとしていると、人の気配が近づいてくる。レオンだろう。何かあったのだろうかと思うが、眠気に負けて目を閉じたままでいると「クリス、」と名を呼ばれた。それはどこか切なくなるような響きでまた悪い夢でも見たのかと思い、目を開けようとしたとき、頬に彼の手が触れた。
驚いて動けずにいると、さらりと指先で優しく頬を撫でられてぞくりと背が粟立つ。その熱を含む感覚が何だったのかそのときのクリスにはわからなかった。
「……、」
ふと彼が何か呟いた。けれどそれはほとんど音にならなかったらしい。クリスの耳は微かな息の音しか聞き取れなかった。何と言ったのか気になるのに、なぜか目を開けることができなかった。
ただ、窓を叩きつける雨の音だけが嫌に五月蝿く耳に響いていた。
*
あのとき、頬に触れた熱を思い出した。彼はなんと言ったのだろう。結局聞き出すこともできず、彼が何を俺に伝えたかったのかはわからなかった。
ふと写真の裏を見ると少し乱雑な彼の文字が書かれていた。ところどころ擦れて見えづらくなっている。
With an irreplaceable friends.
かけがえない友人と共に。
友人。そう、友人だった。同じ夢を見た友。彼は死を察したとき紡いだだろうか。『助けて』とあの日言わなかった言葉を口にしただろうか。もしそれが自分に対しても向けられていたとしたら、助けてと望んだ彼に何もできなかった俺をなんて思うのだろう。孤独に生き、悪夢から抜け出せない彼が発した『助けて』のサインに俺は気づけなかったのか。そう思っただけで辛くて哀しくて苦しくてどうにかなりそうだった。
エイダはそれから何も言わずに去っていった。彼女のことを碌に知らないクリスにもわかってしまった。彼女がレオンを助けられなかったことを悔やんで苦しんでいるだろうことを。
それから数日後。
レオン・S・ケネディの死が公式に伝えられた。葬儀の日程と共に。
強く雨が降る中、傘をさして彼の墓前にいた。レオンの墓前に花を添えた妹のクレアの背を見ながら、五月蝿く響く雨の音に眉を顰める。
あの日もこんな天気だった。雨の音に紛れ、聞けずにいた彼の言葉が気になった。どうしてあの日、翌日でもいい、何て言ったのかと尋ねなかったのだろう。彼は何て言ったのだろう。
「クリス」
振り返ったクレアの目元が朱くなっている。無意識に傘を持たないほうの腕を広げた。そこへクレアが飛び込んでくる。傘を投げ出して。
お互いにもういい歳した大人だった。暫くぶりに会えば軽くハグを交わしたけれど、こんなふうに縋るように抱きついてくる妹を見たのは何年ぶりだろうか。いや、縋りついているのは俺のほうかもしれない。背負わせてしまっている。巻き込んでしまっている。けれどクレアは兄さんのせいじゃないわと明るく笑う。私が決めたことだから、と。クレアはまたこうして大切な友人を失ってしまった。どうして。早く。早く終わらせなければ…! この悲しみの連鎖を。
中国の地でレオンと互いに銃を向け合ったときのことを思い出した。復讐に駆られていた俺に彼は信じてると言った。あのときは互いに余裕などなかったが、随分と久しぶりに会った気がする。もう幼さを残す顔ではなく、大人の顔だった。強く逞しい男だった。彼はあのときもまだ悪夢の最中だったのだろうか。敵と対峙しながら、元々はヒトだったそれを殺しながら、罪悪に苦しんでいたのだろうか。
『信じてる』
その声を頼りに俺はまだ進めそうだ。彼のような悲しい生涯を生みださぬよう、俺は戦い続けるのだろう。何人もの仲間が家族が先に死んでいこうとも。
だから。彼を失って空虚さが胸を占める意味に。こうまで苦しく哀しくやるせないその理由に蓋をして、すべて終わらせようと、そう強く誓った。