物心ついたときには誰かの一生が頭の中にあった。その誰かが自分なのだと気づくのにそう時間はかからなかった。前世の記憶なのだろうか。そんなスピリチュアルなこと、とばかばかしいと思ったが、やはりそれが単なる妄想とか夢とかそんなものではないと思った。両親は小さい頃の俺の言動を不審がった。変な言葉を言うし、やけに大人っぽかったと後に笑い話として聞かされた。だからきっとあれは夢なんかではない。事実、俺はレオン・S・ケネディの一生の記憶を持って生まれたのだ。そしてその男は俺自身だということも理解した。それから胸を焦がすこの想いの先に誰がいるのかも。

 14歳のときだった。
 学校から家に帰ると部屋が荒らされていた。泥棒でも入ったのかと焦って、でもどうすればいいのかわからず逡巡していると部屋の奥から悲鳴が聞こえた。母の声だった。助けなきゃと咄嗟に思って何の考えもなしに部屋に飛び込んだ。そこには血塗れで倒れている父と銃を向けられた母がいた。俺を見て「逃げなさい…!!」と叫んだ母は次の瞬間には倒れていた。
 逃げなきゃと思うのにガタガタと震える足は使いものにならなくて、両親を殺した男は俺を威嚇するためか銃を放った。頬を掠めたように思う。俺は尻もちをついて後退った。次に撃たれたとき俺は死ぬ。そう思った。
 死にたくない、怖い、やだ、怖い、誰か、お願い、

 ――助けて、クリス…!!

 銃声が聞こえて両手で頭を抱え込むような体勢で恐怖に震えた。一発の銃声のあと、しんと静まりかえってから焦ったような声が聞こえた。

「大丈夫か!?

 恐る恐る顔をあげて俺は目を見開いた。警察官の制服を着た男が片膝をついて俺の顔を覗き込んでいた。
 ぶわりと一瞬にして沸き上がった涙にその警官は驚いてから、怖かったな、もう大丈夫だぞと俺をその逞しい腕の中に引き込んだ。優しく髪を撫でられてますます涙が零れてくる。
 怖かった。確かに怖かった。それから父も母も血塗れで。ああ、俺はまた大切な人を失ったのだと悔しかった。どうして、また両親は死ななくちゃならないのかと、同じ運命を辿るのかと愕然とした。
 けれど、この涙の理由はそれだけじゃない。警官の首筋に額を押し当ててその背に回した腕で縋りついた。ままならない呼吸の中、それでも深く息を吸うと、警官の匂いになぜだか懐かしく感じた。
(…本当にあんたなんだな)
 嘘みたいだ、こうやって助けてくれたのがずっと追い求めていた男だなんて。
(なぁ… クリス、)
 警官は確かに俺の記憶にあるクリス・レッドフィールドそのものだった。
 よしよし、と撫でてくれる温かい手に涙は次から次へと流れてきて。そうだ、もっとよく顔が見たいと身体を離して至近距離で彼の顔を見つめた。彼はそれに戸惑いつつ、困ったように眉尻を下げながら、俺の目元を指先で拭う。それでも涙は留まることを知らず、彼の指先を濡らし続けた。

 強盗に襲われた日、父はたまたま仕事が休みだった。俺が帰ってきたら夕飯は外食でもしようと言っていた。血塗れの両親の姿が遠い記憶の両親と重なって、堪らなく哀しかった。
 俺を救ってくれた警官、クリスは職に就いたばかりの新米警官だった。たまたま巡回中に銃声を聞いて駆けつけたという。そんな近くにクリスがいたなんて知らなかった。
 家族を失った俺は親戚をたらい回しにされた。遠い昔の記憶と現在の記憶を行き来して、俺は少しおかしくなってしまった。両親の死はそれほどに深く俺に傷を負わせたようだった。それから、血を見たことからか、自分が死んだときのことを思い出した。あのときの恐怖が現在の俺に蘇り、恐怖におののく俺を周りの人間はおそろしく感じたようだった。怖くて仕方なくて、あの化け物がいつも自分の周りをうろついているみたいでおかしくなりそうだった。

 ある日、目を覚ましたら病院にいた。何があったのかわからない。身体を起こすと病室の外で言い争う声が聞こえた。叔父の声、それからクリスの…声だ。

「あの子はおかしいんだよ」
「あんた、それでも保護者かッ
「化け物が襲ってくるって宙を見ながら震えるんだ」
「それはっ…あの事件の恐怖がまだ…
「わかっている、わかってはいるが、夜な夜な起こされたらたまったもんじゃない。こっちにも息子と娘がいるんだ 経済的にも厳しく、」
「もういい

 叔父が俺を疎ましく思っているのは知っていた。でもどうすればいい。未成年の俺はどうやったって一人で生きてくことなんて――
 ガラリと乱雑に病室が開かれる。俺が目を覚ましているとは思わなかったのだろう、クリスは少し動揺しつつベッドの横の椅子に腰掛けた。

「大丈夫だ」

 優しく髪を撫でられる。

「俺と家族になろう」

 瞠目してクリスを見た俺を彼は抱き寄せて、とんとんと背中を叩く。大丈夫だ、大丈夫だから、と何度も何度も言った。
 レオン、と名を呼ばれれば何も言えないじゃないか。だってあんたの傍にいたいと願っているのはいつだって俺のほうなのに。かっこよすぎだ、ずるい、と思いながら、クリスの言葉に何度も頷いた。
 こうしてクリスと俺は家族になった。家族になるということの障害をこのときは考えもしなかったけれど。
 そういえば、どうして病院にクリスがいたのか俺は知らなかった。




「今日はオフなのか

 のんびりしているクリスに聞くと「あぁ」と返事が返ってくる。

「そうなんだ。じゃあ俺も学校サボろうかな」
「何がじゃあ、だ。ちゃんと勉強してこい」

 ハイスクールに通う俺はもう、あの頃のように恐怖でいっぱいになったりはしなくなった。それは悪夢に魘される俺をクリスがいつも宥めてくれたからだ。仕事も大変なはずなのに。

「進路はもう決めたのか
「え…
「そろそろちゃんと考えなきゃだろ
「あ、ああ、うん」

 少し戸惑う俺の様子を見たクリスは真剣な眼差しで言う。

「大学に進学したいならちゃんとそう言っていいんだからな」

 俺を養ってくれるクリスはお金の心配なんかするなとそう言ってくれる。けど、俺にはなりたいものがあった。何度も何度も考えたことだ。その職に就くということがたとえ、過去の俺と同じだとしても。

「俺、なりたい職業があって」
「お、そうなのか? 何なんだ

 クリスは興味津々といった感じで楽しげな笑みを浮かべた。

「警官に、なりたい」

 俺がそう言った瞬間、クリスの顔が凍りついたように感じた。楽しげな笑みで固まった顔が次の瞬間にはまるで無表情かのように色を失った。何でそんな顔をするのかわからなくて、そんな顔をするクリスが怖くて俺はひくりと口元を震わせる。

「……ダメだ」

 俺を家族として迎え入れてくれたクリスは俺の言うことに明確な否定をしたことなんてなかった。この四年間、こんな顔をすることなんてなかった。

「…なんで、」

 口の中が乾いていて上手く言葉が紡げない。

「ダメなもんはダメだ。なぁ、レオン」

 クリスは俺の両肩を掴んで顔を覗き込むようにして小さく首を振った。じっと見つめてくる。

「おまえがそんな危ない職に就くのだけは許せない。おまえならいくらでも――
「何で…
「レオン…」

 強く。強くならなくてはないのだ。レオンはずっとそう思っていた。大切な人を守るためには強くならないといけない。大切な――そう、クリスを守るためには。もう二度と辛い想いをさせないために。
(いや…違う…)
 俺はきっと自分が辛い思いをしたくないのだ。もう誰かが死んでしまうのは嫌だった。だから、守らないと。守るための力を身につけないと。そのために、

「…俺、警官になる」

 バンッと鳴り響いた音に驚いて肩を震わせる。音はクリスが手のひらをテーブルに叩きつけた音だった。

「ッ…

 俯いてしまっていてクリスがどんな表情をしているのかわからなかった。
 近づいてきたクリスにぐっと腕を掴まれる。あまりの力強さに痛みが走った。間近で見たクリスはどこか怒ったような顔をしていて、何がなんだかわからなくて、どうすればいいのかわからなくて、怖かった。

「……駄目だ…おまえはそんなふうに危険に身を置かなくていい」

 低く呟くような小さい声だった。
 けど、そんなこと俺だって思っていた。あんたが仕事に向かうのを見送るたび、帰ってこないんじゃないかっていつも不安だった。ただいま、と帰ってくるたびに安堵して。そんな気持ち、あんたは知らないんだろ。

「どうしてもと言うなら、」
「え…

 両手を捉えられ足を払われる。そのまま背中が床に叩きつけられて押し倒されたような姿勢になった。

「ッ、」

 痛みに一瞬息が止まる。

「俺はおまえをここから出さない」

 彼の目に昏い色が宿っていると思ったのは気のせいなのか。クリスはこんな目をする男だったろうか。
 すぐ間近の息が互いにかかるような距離。驚きに目を見開く俺をクリスは暫しその目に映してから、自嘲気味な歪な表情を浮かべて目を逸らした。
 それから俺の首元に額を押し付けてくる。ごめん、すまない、すまない、レオン、と懺悔するかの如く何度も繰り返すクリスに、俺は今そんな状況ではないとわかっていながら、彼のその熱い体温に密着することで鼓動を高鳴らせた。
 いつの間にか解放されていた腕を彼の背に回して抱き締める。もっと、もっと近くにと強く引き寄せた。それに呼応するように額が強く押しつけられた。
 こんなことおかしい。男同士で、家族で、こんなふうにきつく抱き合うのはおかしい。そんなことわかっているけれど、クリスが拒否しないのならと甘える俺はずるい人間なのだろう。
 クリスの言動はどういう意味なのだろうか。家族として、危険な職につけさせたくないと、それだけの意味なのだろうか。それとも――
 ここから、この家から出さないというならそうしてほしいなんて思う俺はもうどうしようもない。だってわかっていた。本当の家族ではない俺はいつか独り立ちしないといけない、この家から出ないといけない。クリスはきっと俺がここに留まろうと出ていこうと引き留めないと思った。けど、俺がここにいるとクリスは結婚どころか恋人を作ることもままならないとわかっていた。
 本当は。本当は過去の俺の最期の望みを口にするつもりでいた。クリスに会ったら真っ先に好きだと言うつもりでいた。でも、兄だと思ってくれて構わないと快活な笑みを浮かべて言われてしまえば、恋愛の意味としての好きだなんて言えるはずもなかった。彼の好意を、家族としての慈しみを裏切ると思ったから。
 彼の体温を感じながら、遠い過去の情景を思い出した。無様に恐怖に怯える俺を抱き寄せて大丈夫だと何度も言ってくれた。頭を撫でて、わかってるからと強く抱き締めてくれた。あの、雨の中での出来事を。孤独の中にいた俺に辛いなら辛いと言えばいいと、助けてと声をあげろと言ってくれた。あのとき俺はこの男の厚い情と慈しみに憧れて、そして。


「…ハイスクールはサボれ」

 ふいに聞こえた言葉に俺はおかしくて堪らないと笑った。