「ソル……! あなたという人は……っ、最早かける言葉もありません。手錠を!」

 まだ幼さの残る顔が怒気と呆れを乗せてソルを睨む。何度目かの同じ台詞を聞きながら、ソルは彼の部下により手錠をかけられた。

 聖騎士団の飛空艇の独房の中で、ソルはぼんやり瞬いた。
 同じ現実を歩もうと思った。そうして、この坊やが大人になり、聖戦の英雄から平和を守る使徒へ、それから希望の王となり、そして――人類を騙し続け裏切った悪逆皇帝となったのなら、そのときにすべてを話そうと思った。信じてもらえなくても、お前の死でお前の愛する女は狂い、愛する息子は絶望し、命を賭してまで守りたかった人類は滅びの道へと歩むのだと。だからどうか死んでくれるなと、伝えようと思っていた。
 ――こうなるまでは。

 俺の記憶が正しければ、ローマでの会戦は生き残りの人間を救うという割の合わない撤退戦だった。それだけだった、はずなのに。

「っ……遅刻癖の直らん子守りだ」
「テメェ……」

 知らない。こんな出来事。
 あのときソルが駆けつけたときには周囲のギアを一掃したカイが一人立っていたはずだ。それなのに、何だこれは。
 カイは大量の血を垂れ流し、今にも呼吸を止めそうだった。
 頼みがある、と痛ましい声が願う。

「クリフ団長のあとは……お前が聖騎士団を継いでくれ……」
「やめろ。そりゃテメェの仕事だ……っ!」

 お前ならできる。
 そう言って、カイはぴくりとも動かなくなった。
 まただ。また、この命を救えなかった。
 名を呼んだソルの絶叫がこだました。



 繰り返す。目覚める場所はいつも同じだった。独房の中だ。
 騎士団の飛空艇の中、先の戦いで被災者だった得体の知れない――いや、イノと刃を交え、上司である少年に叱られ独房へと入る。ローマからの緊急要請が入り、民間人の救出のために出動、避難の完了までの時間稼ぎをカイが買って出る。少年の部下が彼を追おうとしたところにソルが駆けつけ、「坊やは連れて帰る」と俺は駆け出すが、ギアを縫ってカイを見つけたときには、その命は今まさに零れ落ちようとするところだった。

 何度繰り返しても少年はローマの地で命を落とし、俺に人類の希望の団長という未来を預けて冷たくなっていく。
 何度も目の前でカイが死んでいくのを見ているうちに、正気を保つのも困難になってきた。そうして、いっそ人類を滅ぼしてみようかと、そんなことを思い始めた。そうだ。この子どもを希望にまつりあげたのも、悪人に仕立てたのも、首を斬り落としたのも人間じゃないか。なんて憎たらしい。
 しかし、命を懸けてローマ市民を救いだそうとするカイを見てしまうと、それを実行することはソルにはとてもできなかった。
 また、カイの身体は冷たくなっていく。
 なぜだ。どうして知らない歴史を何度も繰り返す。俺が幾度も過去を繰り返した弊害だとでもいうのか。俺の所為で、この子どもは大人にすらなる前に戦場で命を落とすというのか。
 ――俺の、所為で。
 瞬間、ソルはあることに気づいた。
 彼の死を回避することばかりに目がいき、ある一つのことをしていないことに気づく。フレデリックのときは何度もした。しかし、そのとき、彼はまだ生まれていない。
 繰り返す時の中で、「ソル」は自死したことがなかった。当然だ。滅多なことでは死ぬことのないこの身体は簡単に自殺もできなかった。
 「これ」だったのではないか。少年が、青年が、王が、悲惨な死を迎えるその原因。

 ――「ソル=バッドガイ」と出会ったから。

「はは……」

 ソルは思わず嗤っていた。こんなにも簡単なことだった。
 視界が歪み、世界が崩れ落ちた。



 気がつくと、どこかの酒場のカウンターに突っ伏していた。身に纏う服は聖騎士の装束ではなく着慣れたジャケットで、傍にあったタブロイド紙に記された西暦は二一七〇年だった。ソルが騎士団に入る前だ。
 ついにやった。あの独房から抜け出したのだ……!
 これで、今のソルはカイと出会ってすらいない。快哉をあげたい気分だった。
 あとは、この鼓動を止めることを知らない身体の殺し方を考えればいい。
 思えば、出逢わないという選択肢はあった。例えば孤児院から老夫婦にカイを引き取らせたとき、ソルはカイと接触していない。しかし、カイはギアに殺される運命を辿った。だが、フレデリックであったときを除き――あるいはそのときも間接的にカイの人生に絡んでいたのか。例えば、彼の両親の出逢いが聖戦の混乱の最中という条件でしかなしえなかった、とか――すべての分岐でソルが何かしらカイの人生に介入していた。彼の死を回避するために奔走していたのだ。当然のことだった。きっとそれがいけなかった。
 「ソル」が「カイ」に関わるすべてがカイを死へと至らせる条件だとしたら。
 袖すら触れ合ってはならなかった。一瞬でも、一ミリでも、だめだったのだ。カイは絶対に出逢ってはならなかった。関わってはいけなかった。――ソルと。
 あの戦うことしか知らない少年。今まさに命を落とそうというときに微笑った王の顔。そこに乗る色の変わった双瞳。宿命に振り回されながらも家族を得て柔らかく笑っていたはずの女は気のたぶった血の眼に憎しみだけを宿し、愛する夫の首を抱えていた。どうしてこんなことになったのだ、と決して人類を責めることなく養い子は嘆いていた。
 それらすべてを見たときに感じてきた激しく責め苛んでくる陰惨な憂戚。その惨たらしい罪悪は間違いではなかった。結局、どれもあれもそれもこれも、すべて俺の所為なのだ。俺が壊した。守りたかったあの三つを、俺が。


 とりあえず心臓に剣を突き刺してみたが、当然のように死ねなかった。最早痛みすら感じない。しかし、噴き出す鮮血と傷ついた自身の身体を見たとき、胸がわずかに軽くなった気がした。
 自分の存在が彼らを不幸に貶めると思ったら、この身体がひどく汚らわしい存在に思えた。この身体を、罪にまみれた身体を、傷つけたくて仕方なかった。腕をもいだり、足をもいだり、残虐に傷つけていくことで幾らか胸がすっとした。身体はすぐにくっついたり生えてきたり、あっという間に元通りに戻ってしまうけど。
 何度も繰り返した。この体から血が噴き出すたびに、脳裏に浮かぶ三人は笑みを取り戻していく。嬉しくて、何度も何度も惨忍に傷つけた。

 そろそろ死のう。ふいに思い立ち、ソルは立ちあがった。
 あとはボタンを押すだけだ。高出力のエネルギーが生体法紋を追ってソルに射出されるよう設計した。この街は跡形もなく消し飛ぶだろうが、人ひとりいないことは確認済みだ。

 ……カタン。
 外から音がした。野良猫だろうか。ずっとこのゴーストタウンの廃墟の地下に閉じ篭っていたから、今が朝なのか夜なのかわからない。散々身体を傷つけていた所為で部屋は吐き気がするほど血なまぐさく、眩暈がした。
 最後に空を拝みたい気持ちになった。本当は彼に会いたかった。ひと目でも生きている姿を見たかった。けれど、そんな些細な関わりと呼べない事象すら彼を地獄へ落とす行為のようがして出来なかった。
 せめて、と。ソルは願った。あの意志の強い誰にも汚されない澄んだ瞳のような青空を最期に焼きつけたかった。
 人の気配のない外に出る。願いが叶ったのか偶然だったのか、外は雲ひとつない青空が浮かんでいた。できることなら、この色に似たあの瞳が血に染まることがないことを祈る。たとえ違う色になってしまったとしても、彼が愛する妻子とともに生きていけるのなら、あるいは。
 恐怖などなかった。不安も何もなかった。これまで歩んだ生への感傷すら、何一つ。これで彼らが少しでも幸福に近づくというのなら、いくらでも何度でもこんな命など殺してやる。きっと、これで願いは叶う。
 漣すらない凪いだ胸中のまま地下へ戻ろうとした、そのときだった。
 背中に衝撃が走った。突然のことにたたらを踏んだソルは、背中に感じる温もりに大きく目を見開いた。

「やっと……っ、やっと追いついた……ッ!」

 その声を、知っている。

「もういい……もういいんだ……」

 振り向かされた身体はなされるがままに動いた。そうしてようやく視界に映った目映い金に目頭が熱くなる。
 伸ばされた細い指先が震えている。その手は随分と痩けてしまったソルの頬を優しく包み込んだ。

「ありがとう、ソル」
「カ、イ……」

 身体が震え、何度も切り落とした腕は動かない。目の前にある信じ難いこの温もりを腕の中に閉じ込めたいのに。

「もういいんだ……。もうやめてくれ」

 首を振る。やめたらお前がいなくなる。幻だろうが何だろうが、今、目の前にいる左目だけが赤い、長いハニーブロンドを靡かせるお前が。
 男は拒否を示したソルにわずかばかり瞠目し、そして微苦笑したようだった。

「お前がいつまでも気づかないから、とっておきの秘密を教えてやる」

 吐息のかかる距離で、少女が秘め事を語るような甘やかさで男が囁く。

「私は一度として不幸だと思ったことはない。なぜなら――

 左右色の違う双眸がソルと合っていた視線を外し、少し下を向いた。次の瞬間には唇に熱が灯った。

「お前と出逢えたから」

 重なったままの唇から熱く振動が伝わる。

「お前を、」

 真っ直ぐに見つめてくる澄んだ瞳は、

――愛したから」

 紛れもない愛しさでいっぱいだった。
 大きく見開かれたレッドベリルの双眸に、男はしてやったりというような悪戯な笑みを浮かべ、再度ちゅっと子どものような口づけを落とした。
 息をしている。重なる呼吸に生を感じ、心臓が焼けるように痛くなる。ドクンドクン、と鼓動を刻む音がやけに大きく聞こえた。身体中に張り巡らされた血管の中を熱い血が流れているのを感じる。あれだけ死にたかった身体がこんなにも強く鼓動を刻んでいる。
 今さら、気づいた。ずっと怨嗟がソルを生かしていた。あの人間としての最期の日の気持ちのまま生きてきた。親友への復讐と、ヴィーディアの最期の言葉。アリアへの想い。旧時代の業。それを清算してなお、生きることに躊躇いがなかったのは、「これ」があったからだ。ひとを生かすのは生命力でも心悸でも、ましてや情なんかではない。――「希望」だ。
 お前がいない世界など、俺は。
 嗚呼、これが俺だけのもの希望になればいいのに。
 ソルは弾かれたように細い背へ腕を回し、その温もりを掻き抱いた。視界に揺らめく金が眩しい。その眩しさに熱くなる目に耐えきれなくなり、頬を伝う何かには気づかないふりで瞼を下ろした。



 択べない道にだけ君がいる




「ソル……! いい加減に起きないか」

 柔らかいソファで惰眠を貪っていた男の瞼がゆっくりと開く。徐々に覗いていくレッドベリルがカイを映し、焦点を合わせ、そして大きく見開かれた。
 まるで幽霊でも見たかのような珍しい表情に首を傾げる。

「どうかしたのか? ディズィーがお茶の用意をしてくれた。今日は家族でお茶会だ」

 謳うように紡いで、カイは上機嫌に屈めていた腰をあげた。そうして妻のもとへ運ぼうとした足は後ろから引っ張られた腕によってつんのめった。

「っ……なに、」

 先まで男が眠っていたソファに突き飛ばされたかと思ったら、熱く重い肢体に潰された。うっ、と呻いてから、ようやく何が起きたか理解した。上からのしかかってきた逞しい身体にぎゅううっと強く抱きしめられている。
 カイは瞬く間に真っ赤になり慌てて腕を突っ張ったが、逞しい腕はびくともしない。一気に身体が熱をあげ、汗が滲んだ。
 なんで、こんなこと……。
 寝惚けて誰かと間違えているのだろうか。そう思い胸を痛めながらも抗議をしようとした口は、名を呼ばれたことで動かなくなった。
 カイ、と。その声は聞いているほうが哀しくなるほど痛ましく、憂積の乗る声だった。まるでずっと焦がれ続けていたかのように呼ばれ、もう何も言えなくなった。心臓が焼けるように痛い。
 こんな機会はもうないかもしれない。こんな相いれなくて憎らしくて好敵手で最も近しい友でいつの間にか家族にもなっていた男が私を抱きしめてくるなんて。
 浅ましい欲が疼く。結局欲望に逆らえず、カイは腕を伸ばした。広い背中へ腕を回してそっと抱きしめ返すと、絡みつく腕が痛いほどに強くなった。

「カイさん、準備できましたよ。お父さんは――まぁ」
「オヤジ! カイ! 早くしろよ! せっかく母さんが菓子焼いて――

 二つの赤い眼と一つの蒼碧がきょとんと丸くなった。

「お、プロレスごっこか!? 俺も混ぜろよ!」

 飛び乗ってきたシンに二人分の呻きが漏れる。

「シン、カイさんが潰れちゃいます」

 笑声の乗る妻の声を聞きながら、カイは目頭を熱くした。
 やっと。やっとだ。
 こんなことは初めてだった。この日、ソルに抱きしめられるのも、シンに飛びかかられるのも、ディズィーの言葉も。
 二人分の体重に押し潰されながらも腕の中の大きい身体をぎゅうっと抱きしめると、嗚咽に似た呻きが聞こえた。
 ああ、あたたかい。この熱を失うのは耐えられない。
 首もとを濡らす何かには気づかないふりで、カイは何度目かの今日を繰り返した。
 お前と出逢えない世界など、私は。



 End. (title by : afaik 様)
 2018.10.15