何度も繰り返した。あらゆる方法を考え、繰り返したすえ、その子どもが聖騎士に――「希望」になることは止められないのだと覚った。
 ならばもっと後なのだと、彼が王になるのを阻んだ。突然一々干渉してくるようになったソルに辟易して絶縁されたようなこともあった。そうなると彼の家族は元老院に捕えられ、余計に軋轢を生み、彼らの一家団欒など絵空事にすらならなかった。何をどう足掻いても最終的に彼は王への道を歩み、人類の希望としての生を歩む。
 だから、こうした。

「……なぜだ、何故こんなことをする……ッ!?」

 窓一つない地下牢のような部屋で両手両足に枷を嵌められた男が喚く。

「ソル……っ!!」

 怒りの迸る蒼碧が強く睨みつけてくる。
 ああ、よかった。その色がまだあって。どこまでも澄んでいたはずの青が怒りや懐疑で濁っているのに気づかないふりで、ソルは笑った。その眼がどんなに濁ったとしても、それが血の色になるよりマシだ。
 気の触れたような狂気の宿る笑みに蒼碧の双瞳が心許無く揺れ、余計に痩せ細ってしまった肢体が震えたことには、ソルは気づくことはなかった。
 幾らか伸びた金糸を撫で、側頭部を滑った手をそのまま首筋に当てる。トク、トク、トク……。少し速い心音が聞こえる。ソルはそこに顔を埋め、ぴたりと耳を当ててその温かさに酔い痴れた。背後で行き場をなくして中空で彷徨う細い腕が震えていたことに気づかないまま。
 あと少しだ。ソルは元老院を抹消する計画を立てていた。世界は多少混乱するだろうが、それでソルの大事な三つが守れるのなら問題なかった。
 それなのに。

 計画遂行のための準備を着実に進めながらカイを監禁している部屋に戻ってきたら、そこにあったのは冷たい身体だった。

「………なぜだ、カイ……」

 細い指の先に血が滲んでいる。冷たい灰色の床には「もう耐えられない」と一言書かれていた。
 ――また、失敗だ。


 何度も何度も繰り返した。でもどうしたって、カイは必ず無惨な死を迎えた。
 どうすればいい。どうしたら、あの残酷な未来は回避される。

 ソルは何度目かの戦場に立っていた。
 天才剣士の噂を聞いた。聖騎士団で小さい守護天使が活躍しているらしい。
 振り上げた剣は硬い皮膚に呆気なく負けて砕けた。舌打ちし、剣を放り投げ左手に集中する。赤く燃え滾る炎の柱が迸り、化け物の無様な悲鳴が轟いた。
 ぼろぼろになった懐から煙草を取り出して咥えたところで、どっと疲れが出た。
 次期的にはそろそろクリフから聖騎士団への誘いがある頃だ。
 ソルは行き場のない情動をぶつけるように、絶命して転がっている化け物を蹴った。戦争の終わりは、いまだ見えない。
 傍に転がる息絶えた化け物の赤い眼が虚ろにソルを見ていた。ヘッドギアの外れた額に手を当て、そこに爪を立てる。流れ出た血が顔面に伝う中、ソルは思った。
 ――……こんなものGEARなど、なければ。

 視界が暗転する。



 気がつくと青い空が広がっていた。背に感じる芝生の感触、緑の匂い。

「あ、やっぱり今日もここだった。研究室にいないときは大体ここよね」

 顎を持ち上げ視線をあげると、赤い髪を靡かせた恋人が覗き込んでいた。
 膝に乗ってくる小さい頭の重み。艶やかな髪の感触。交わす会話。その懐かしさに浸る暇などなかった。熱くなる目頭を知らないふりをする。
 まさかこんな昔まで遡れるとは。
 覚えている記憶と何ら変わらなかった。アリアと恋人としての時間を過ごす前に飛鳥が現れ、ヴァルガヘクタシンの話をする。
 軍部が介入するまで、ソルの欠けた記憶を照合してあと一ヶ月。

「……飛鳥。話がある」

 二人と別れる間際、飛鳥だけに聞こえるように囁く。長い前髪に隠れて目は見えないが、不思議そうにしていることはわかった。手に取るようにわかる。そうだった。お前は唯一無二の親友だった。それなのに。

 睡眠薬の入ったコーヒーを飲んだ飛鳥は起きる気配はない。ガンマセクションに入るIDを手に入れ、ソルは複雑な情の灯る目で眠る親友を見下ろした。


「なぜだ、フレデリック! どうして君がこんなことを……っ!」

 ガードマンに取り押さえられた身体は呆気なく拘束され、びくともしない。

「こんなもんがあるからッ!!」

 目に映るすべてが憎く見えた。
 赤い赤い血のような不吉な眸が眼裏に鮮明に浮かぶ。それは俺を見つけ、微笑んだ。次の瞬間にはその身体は二つにわかれ、鮮血が迸る中、首が転がった。
あの未来に繋がるすべてが憎い。
 いつか人間の自由意思がなくなる? 種がなんだって? どうだっていい。何で俺なんだ。あれもどれもそれもこれも、何で俺がこんな惨痛を味わわなければならない。……どうしてあいつは、人類に使い古されたうえに首を斬られるんだ。
 なぜだ。どうして動かない。ただの人間に取り押さえられただけなのに。俺が少し身体に力を入れて振り払えば、人間なんか吹っ飛ぶはずなのに。
 身体は思うように動かず、すぐに息があがる。
 ふいにガラス窓に誰かが映っているのが見えた。そいつは乱暴な言葉を次々と汚らしく喚き散らしている。誰だ、そいつは。
 ハッとしてソルは動きを止めた。そこに映る男を知っている。

「フレデリック……」

 アリアが涙を堪え、茫然と呟いた。
 ああ、そうだ。そいつは、その男は「フレデリック」だ。
 まるで人格が変わったかのように乱暴で聞くに堪えない言葉を喚く恋人を、愕然とアリアが見ている。
 大切だった、何よりも。彼女が、そして親友が。彼らがいれば他の何もいらなかった。何も、いらなかったんだ。他には何一つ。たったそれだけのことが高望みだったのか。あんなにも些細でありふれた日常だけで幸せだったのに。
 このまま。アリアと飛鳥と――「フレデリック」で、ずっとこのままでいられたらどんなに……。

 ――ソル。
 ――お父さん。
 ――オヤジ!

 声が聞こえる。目の奥が熱い。ただの幻聴だと知っていた。
 わかっている。俺はもう「フレデリック」に戻ることなんて出来やしない。あまりにも地獄を見すぎてしまった。守りたいものに出逢ってしまった。
 暴れていた身体が崩れ落ちる。自身の研究職然した腕を見下ろしながら、人間がこんなにも脆いことを今さら思い出した。


 気が触れたと思われた俺はそのまま拘束され、病院送りになった。テレビで次世代医療研究所の爆発事故のニュースを見た日、俺は四階の病室から飛び降りた。このまま死ねたらどんなにいいかと思わなかったわけではない。けど、きっと世界はそんな優しいことをしてくれないとわかっていた。
 次の瞬間には、また青い空とアリアがこの目に映っていた。

 結局、望む通りの結末にたどり着くことは一度としてなかった。生態系強化計画のすべての記録を消去することを試みたが、何度も失敗を繰り返した。軍部を止めることなど、研究所のジムにすら足を運ばなかったフレデリックが出来るわけもなく、一人で軍の計画を阻止することもできず、ヴィーディアの命すら一度として救えなかった。
 最後には、ついに親友に手をかけた。血まみれの親友を見下ろしていると視界が暗転した。彼の死が引き金だったのか、気がつくとまた聖戦の戦場に立っていた。