TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Theme > ただひとつの火がきみだった > 03
3.エリ、エリ、レマ、サバクタニ
ドンッ――!
重い金属的な破裂音が空気を切り裂くように大きく響いた。
「……え?」
一つに纏めた長い金糸を翻しながら振り向いた瞬間、幾つかの衝撃音が続く。髪留めが解け、長いブロンドを散らしながらその身体は崩れ落ちた。
「流石の連王といえど、視界外から撃たれるとは予想できなかったようだな」
「あ……貴方は……」
「悪いが人類の未来のため、ここで退場してもらう」
今一度、発砲音が重く響く。
伸ばされた細い腕は空を掻き、やがて重力に従ってがくりと落ちた。
「っ……う……」
シンは崩れ落ちた瓦礫の中から飛び出し、痛みに呻きを漏らした。その片腕にはディズィーの姿があり、母の無事に安堵を打つ。
ジャスティスの起動を阻止できたものの、オルガンタワーは衝撃で倒壊、皆巻き込まれた。
母をそっとその場に降ろし、他の皆の無事を確かめるために大声で呼びかける。
「オヤジー! カイー! エルー! パラダイム! レオのおっさん! 無事なら返事してくれ!!」
答えのない静けさにぎゅっと目を瞑り、そうして今一度さらに大きな声で養父の名を叫ぶと、喧しい! と苛立った声と共にソルが姿を現す。パラダイムも無事が確認でき、あとはエルフェルトとカイとレオだと周囲を見渡したとき、それは起きた。
エルフェルトの姿はあった。しかし、シンの知る彼女ではなくなっていた。
泣いている。エルもラムも泣いている。
オヤジは見たこともないほど声を張り上げて、帰ってこい! と拳を叩きつけていた。
その場にいる誰もが場違いな美しいウェディングドレスを身に纏った少女に注視していた。だから誰も気づかなかった。世界の歯車が軋んだ音に。
取り返しに行く、と身を翻したソルにシンもラムレザルもパラダイムも付き従った。しかし次の瞬間、悲痛な慟哭が辺りを切り裂くように轟き、皆の動きが一様に止まる。
「いやぁああーーッ!!」
ディズィーの悲鳴だった。
「……おい……嘘だろ……」
レオがその傍で呆然と立ち尽くしている。
ディズィーが腕に抱えた身体を見て、誰もが息を呑んだ。
大きい真紅の眼から次から次へと雫が零れ落ちていく。呼吸の音すらしないような静寂の中、彼女の泣き声だけが響いていた。
「………カイ」
最初に言葉を発したのはシンだった。
泣きじゃくる母の腕の中にいる身体は血まみれだった。一つに括っていたはずの髪は解け、長いハニーブロンドを広げてそれはぴくりとも動かずに横たわっている。シンと同じ色の双眸は光を失い、ただただ虚空だけを広げて瞬きすることはなかった。
「ねぇもんはねぇっつってんだろ。エルフェルトの信号は感知できない」
ソルは地面に膝をつき、屈めた身体のまま耳もとで展開した通信に吐き捨てた。
『フレデリック、焦る気持ちはわかるが少しは落ち着いたらどうだ』
「あぁ゛? 落ち着いてんだろ」
『どこがだ。……連王のことは……残念だったが、今はエル殿の――』
「るせェ。あいつのことなんざどうでもいい」
『フレデリック!』
「とにかく収穫はねェ」
『どうするつもりだ』
「ダメ元でもう一件当たってみる」
兵の上に落ちてきた瓦礫をソルは何かを振り切るように粉々に打ち砕き、舌を打った。
「シン」
「ラム……」
シンが扉を開けると、ラムレザルが膝を抱えて窓の外を眺めていた。色のない澄んだ無垢な双眸がじっとシンを見つめてくる。シンは小さく吐息を吐き、今し方入ってきた扉に背を預けて小さく口を開いた。
「母さんがカイから離れなくてさ……ずっと傍で手ぇ握ってる。休んでほしくて話しかけても上の空だし……」
「シンは……だいじょうぶ?」
「……ああ、おれは……」
シンは言葉を詰まらせ、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。
「人間ってさ、あんなに脆いんだな。ついさっきまで話してたのにあんな……人形みたいに動かなくなって……。銃で撃たれたんだってさ。俺や母さんやオヤジなら……あんなの訳ないはずなのによ。はっ……馬鹿みてぇ。やっぱりカイなんか嫌いだ。いつも母さんのこと哀しませてばっかで――いッ!!」
突然背後で空いた扉が頭に直撃し、シンは涙目で振り返った。
「――ッてぇぇええ!!」
「……あ?」
人に盛大に扉をぶつけた男は赤茶の鋭い双眸でシンを見て、面倒そうに溜め息を吐いただけだった。
「っ、オヤジ……! ドアは人がいないことを確認してから優しく開けろっていつもカイが――っ……」
勢いよく張り上げられたシンの声は不自然に途切れ、尻すぼみになって消えていった。
「何ボサッとしてやがる。エルフェルトを取り返すんだろ」
「っ……」
シンは思わず拳を強く握った。
ソルはまるでシンの言葉など聞こえていなかったかのような口振りで、事も無げに続ける。
ずっとこうだ。……あのときから、オヤジは。
「……んで、」
「あ?」
「何でそんな普通でいられんだよ!? エルエルエルって! そりゃ俺だって早くエルのこと取り戻してぇよッ! でもだからって……っ、んで、何でそんなッ、カイなんてまるでいなかったみてぇに振る舞えんだよっ!?」
怒りと不安と苛立たしさといろいろなものが交じった一つの蒼碧の眼に睥睨されても、ソルは表情ひとつ変えなかった。
無だ。普段から表情の起伏が大きいわけではないが、その顔はまるで人形のように無感情だった。シンは息を呑む。
「俺にどう振る舞えってんだよ。死んだ人間は戻らねェ。あいつはエルフェルトとは違う。この道を自分で選んだんだ。その半ばで死のうが仕方ねぇことだろ」
「なッ……」
「それにあいつは俺にとってただの腐れ縁でしかない」
頭に血が上ったシンがソルに向かって拳を振り上げたのを、細い腕が制した。
「……ラム」
ラムレザルはソルの前まで行き、その大きい身体を見上げた。ヘッドギアの影から覗くレディッシュブラウンの瞳は、以前よりも随分と暗く澱んで見えた。
「カイはあなたにとって「違う」じゃないの?」
沈黙が落ちる。
呼吸音すら聞こえないような静寂がどんなに続いても、ラムレザルの問いに答える声はなかった。
肩にかけられたブランケットのあたたかさに、ディズィーは落ちかけていた意識を覚醒させた。両手でぎゅっと握っている手は冷たいままで、残酷な現実が嫌でも突き立てられる。エンバーミングの施された身体は、まるでただ安らかな眠りの中にいるような美しさだった。その長い金の睫毛が震え、あの綺麗な蒼碧を覗かせてくれるのではないかと期待してしまうほどに。
一方の手でブランケットがずり落ちないように支え、身体を起こす。
「……ソルさん」
「そろそろシャキッとしろ。シンが待ってる」
それだけ言って踵を返した大きい背に慌てて声をかけた。
「どうすれば……っ!」
思いの外、大きく響いた声に自分でも驚いて口を噤む。
ゆっくりと緩慢に振り返ったヘッドギアの影にある瞳は、ぞっとするような冷たさだった。ブランケットをかけてくれた温かさなど、まるで感じないような。
ディズィーは何も問えない雰囲気を感じながらも、それでも今一度口を開いた。
「………一番愛する人を失って……どうすれば生きていけますか」
自分でも何てことを聞いているのだろうと辟易する。それでも、もう誰かに縋らなければ、身体を支えてもらわなければ、立つことはできなかった。このままでは彼から離れられそうにない。このまま、この冷たい瞼が開かれるのを永遠に待ち続けてしまう気がした。
ソルが小さく唇を開ける。しかし、何かを紡ごうとした口は何かを振り切るように一度きゅっと引き結ばれ、そうして再度開かれた。
「何も変わらない」
「え……?」
「腹は減るし、眠くもなる。テメェの身体は勝手に生きようとするし、世界は変わらず時を刻む。何も変わらない明日が来るだけだ。生きていくことなんて簡単だ」
残酷な言葉だと感じるより先に、ディズィーは気づいてしまった。常なら真っ直ぐに貫いてくる鋭い視線が合わない。それはディズィーの胸もとより下をゆらゆらと彷徨っている。
気づいてしまった。ディズィーの奥に横たわる身体を視界に入れまいとしている。
ディズィーは手を冷たい夫のそれからそっと外し、ゆっくりと立ちあがった。
「シンのところに行ってきます。だからどうか……少しだけでいいので、カイさんの傍にいてあげてください。こんなところにひとりぼっちじゃ寂しいですから」
ディズィーは否定を紡ぐだろうソルの返事を聞かずに、その横を通り過ぎてその場を後にした。
ソルは否定を紡ごうと開いた唇を小さく震わせて閉じた。閉まった扉に背を預けて視線を床に落とす。
しばらくそのままでいたソルは苛立ったようにぐしゃぐしゃと髪を掻き乱し、預けていた背を浮かせた。一歩、また一歩と、機械人形のようなぎこちなさで前に進む。視線は下に落としたまま。寝台の脚が見える。純白のシーツ、そして。
生白い指先が視界に入った。ゆっくりと目線をあげていくと、カイ=キスクが豪奢な寝台で眠っていた。……いや。
――死んでいた。
ぴくり、と動いたソルの指先がおっかなびっくりと生白い頬へと伸びる。もとより抜けるように白かった頬は白を通り越して透けてしまいそうだと、馬鹿なことを思った。
その頬に触れたことなど、一度としてない。散々勝負をけしかけられ続けた所為で、仕合いの最中に身体が接触することはあっても、それ以外で触れるわけがなかった。
指先が頬に到達する。ただ爪の先が触れただけで、弾かれたように腕を引いた。確かに触れたはずの指先には、ただただ冷たさしか感じなかった。死人の温度だ。
ソルはやたらと重い気がする身体をのそりと動かし、寝台の端っこに腰を落とした。ソルの体重でわずかにカイの肢体が動く。その動きがただの慣性でしかないことが、妙に重く胸の底に落ちた。
「なァ、坊や」
懐かしい呼び方がすんなりと出て、思わず微苦笑する。
「俺はもう疲れた」
絡繰り人形の糸でも切れたみたいに、ソルの身体は動きを止めた。しかし、レッドベリルの瞳だけが虚ろに宙を揺らめいていた。何かを探し求めるように。
百年以上の時を経て、対峙した二人の間で重い空気が落ちる。それを遮るように、ジャック・オーの少女のような明るい声が響いた。
「――ところで、第一連王の姿がないみたいだけど」
飛鳥は空間転移した場所をゆっくりと見渡して呟いた。
しかし答える声はなく、その場にいる誰もが口を開こうとしなかった。沈黙を破ったのはソルだった。
「あいつは死んだ」
ぴく、と飛鳥の指先が動く。
「……死んだ?」
「まだ公表していない。この事件が収束するまで漏らさないでほしい。これ以上の混乱を避けるためだ」
レオがソルの答えに付け足すように早口で事務的に続けた。
「……そう。また随分と迷惑をかけるんだね、彼は。……何事もなければいいけど」
ソルは剣呑に鋭い双眸を光らせて飛鳥を睨んだ。
「………何だって?」
「いや、こっちの話だ」
ソルの慟哭が轟く。
かつての親友から真実を聞かされたソルは言葉を失い、飛鳥の胸座から手を離してふらふらと後ずさり頭を抱えた。
「俺は……おれ、は……」
少しの沈黙のあと、レオがそっと口を開いた。
「……ソル、落ち着いてくれ」
「そうだ、フレデリック。今は時間がない。エル殿を救うためにも……いや、人類を救うためにはギアメーカーの協力が――」
「るせぇッ!!」
混乱に陥っているソルをその場にいる誰も止めることはできず、人類滅亡のカウントダウンが迫る中、徒に時は過ぎていった。
「万策尽きたか……っ!」
パラダイムが歯を食いしばる。
祝勝会でアリエルスの生体法紋を入手することは叶わず、ギアの出没した街はパニックになるばかりだ。集結した戦士たちが戦うも肝心のエルフェルトの行方は一向にわからないままだった。このままジャスティスとエルフェルトが融合してしまえば、現人類の未来はない。
――……最悪なことに人類の滅亡が現実味を帯びてきてしまった。……こんなこと、昔もあったな。あれも「彼」の所為だったよね。……イノ。
頭の中で響いた声に、イノは眉を顰めた。
「坊やのお守りはバケモノ一匹で充分だろうが。ったく、世話かけやがる」
舌打ちし、イノはその場から姿を消した。
「……それで、あの坊やを助ければいいのかしら?」
「いや、ちょっと趣向を凝らしてみよう。いい加減、こんなことはうんざりだ。誰かの悪意でも善意でも信仰でもなく、たった一人の命で人類が滅亡への道を進むなんて」
「どうするのですか?」
「〝人間〟だから困るんだ」
「それは……」
イノは怪しげに笑みを浮かべ、猥らに唇を舐めた。
「愉しそう」
「それと、ちょっとした仕置きをしよう。また同じようなことが起きても困る。……それに、フレデリックは随分と彼へと執着しているようだからね」
「……そんなふうには見えませんでしたが」
「そうかい? 僕と対峙していたとしても、あまりにも取り乱していたよ。まるで精神安定剤を飲み忘れたみたいに。……いや、どちらかというと静か過ぎたのかな。心をなくしてしまったみたいだった。……何でだろう。カイ=キスクが彼にとってそれほど重要だとは思えないけど。とにかく、またあっさり死んでもらっては迷惑だ。だから彼にはちょっとした仕置きを――」
「それは〝お仕置き〟じゃないよ~」
幼げな声が子どものようなテンポで飛鳥の言葉を遮った。ぶらぶらと足を揺らして飴を舐めていたジャック・オーの赤い眼が飛鳥を見る。
「〝やきもち〟っていうの」
大人びた女性の声がやけに柔らかく飛鳥を貫いた。
「おい、インコ野郎。まだわかんねぇのか!?」
『ドラゴンだ……! そうは言われても、信号がないんじゃ探しようが――』
「何とかしろ」
『なんとかって……』
「あいつはどうした」
『あいつ?』
「……ギアメーカーだ」
『席を外しておるが』
「……こんなときにか?」
『何か策があるのかもしれん。そっちはどうだ』
ソルは顔を顰め、おい、とジョニーに声をかけた。
「……あのなぁ。闇雲に探したってどうにかなるもんじゃねぇだろう。地球上全部探し回っているうちにとっくに人類は滅亡だ」
「………〝人類〟はな」
「あ?」
ソルは喉もとを押さえ、目を伏せた。
眼裏には知り合いの顔がまるで走馬燈に浮かんでは消えていく。あと数十分後に皆いなくなる。
こんなときに憎々しいほど晴れ渡った空を窓越しに眺め、ソルは拳を握り締めた。
今ほどこの身体を呪ったことはなかった。もう現人類の消えた世界に取り残されたところで、生きる気力はなかった。もう疲れた。無になりたい。何も見ず、何も聞かなくていいように。もういいだろう。そろそろ楽になりたい。
澄んだ青空が、まるでそんなことを思うソルを咎めるかのように、あいつの目の色に見えた。
諦めるなって? テメェだって死んで楽になったくせに。ずりぃだろ。呆気なく逝きやがって。
――ソル……っ!
「っ……」
「オヤジ?」
シンは窓の外を眺めていたソルが突然勢いよく振り返ったことに驚いて目を丸くした。
「今……」
「どうかしたのか?」
呼ばれた気がした。
今まで、何十回、何百回とその声に呼ばれてきた。二言目には説教か勝負しろが続いたうざったい呼びかけだ。その面倒な呼びかけも、もう二度と聞くことはないものだった。
まるで、前を向くことをやめたソルを咎めるように聞こえた幻聴に自嘲する。あのブルーグリーンの瞳は曇ることなく、いつだって前を向いていた。この場にあいつがいたなら、最後の瞬間まで諦めはしないのだろう。
ソルはふいにはたと自嘲に歪んでいた唇を戻した。
幻聴が耳の奥で残響している。しかし、それはこれから説教を始めようとする咎めるような呼びかけだったろうか。むしろ、痛切に響く縋るような声音だった気がした。
……気のせいか。
ただの幻聴だ。どう聞こえたところで意味はない。それでも。
「おい、オヤジ? 何か見つけたのか?」
シンは、レッドベリルの双眸が再度窓のほうへ向けられ、何かを探すように彷徨っていることに気づいた。シンの声など聞こえていないのか、一向に返事は返ってこない。唇を尖らせたシンがもう一度呼びかけようとしたところで、それは聞こえた。
常人より聴力がいいはずのシンにすら、あまりにも小さく聞こえたそれに空耳かと思った。それに、まさかオヤジがその名を呟くとは思っていなかったから。
ジョニーやエイプリルを見ても変わらず前を見たままで、何かが聞こえた様子はなかった。でも確かに聞こえたのだ。
「……カイ」
と。
(続く)