TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Novel > Unerwiderte Liebe für immer > Ⅴ
昔々、まだ人の望みがかなった頃、戦争と死の神オーディンに仕える「望みの乙女」がいた。彼女はオーディンの命を受けて戦場を駆け、勝敗を決し、戦死した勇者を選び取って天上の宮殿へ迎え入れる役割を担う半神である。
あるとき、二人の王が戦った。彼女はオーディンに命ぜられ、一人の勇士のもとへ、天上の宮殿へ導くべく死の宣告をしに向かった。そこで彼女は比類なき勇士の嘆きを耳にした。勇士は最愛の女性を胸に強く抱き、死の宣告に抗った。たとえ死の定めだろうと、天上の宮殿で永遠の歓びが待っていようと、この人を守るのだと勇士は反抗した。それは望みの乙女の心に深く突き刺さり、存在の底から揺さぶった。勝利でも死でも、この人と分かち合おう。彼女はそう誓い、オーディンの命令に逆らって戦場の運命を変えた。
「お前に鎧を、兜と武器を、喜びと慈愛を、名前と身体とを与えたのはこの私ではなかったか!」。オーディンは神聖な命に逆らった乙女に激怒した。「お前は私の「意志」によってのみ存在していたはずなのに、私に逆らう意志を持った。私の「命令」を果たす立場だったのに、私に逆らう命令を出した。お前は「望みの乙女」だったはずなのに、私に逆らう望みを抱いた。私の「盾」となる女だったはずなのに、その私に盾ついた。私の意にそって「運命を決める」女だったはずなのに、私に逆らって運命を決めたではないか! もはやお前は「望みの乙女」ではない!」。オーディンは乙女にお前を深い眠りに封じ込めると告げた。通りすがりの人間の男に見つけられ、その眠りから覚ました人間の餌食になるのだと。乙女は嘆いた。人間の手に堕ちるとしても、恐れることを知らない男がいいと乙女は縋りつく。「どうか、燃え上がる火焔で岩山を取り巻いて!」。弱い人間を振り払う炎の守護を願った。オーディンは激しい願いに揺れ動かされ、その望みを受け入れた。オーディンは望みの乙女の神性を奪い、眠りの茨で刺した。「花嫁を守る炎よ、燃え盛れ! 燃やし尽くして弱い者が近づけないようにするのだ…! 弱き者は、この岩山に近づいてはならない! なぜなら、この花嫁を手に入れる者は神である私より、もっと「自由」でなくてはならないからだ!」。燃え盛る炎を纏った竜が乙女を守護するように寄り添った。
長い時が過ぎ、一人の勇者が火の燃え盛る岩山にたどり着く。勇者は火を恐れることなく果敢に炎を超えた。その先には、鎧に身を包み、武装した男が横になっていた。兜を外し、鎧を剥ぎ取ると、そこにいたのは男ではなく、美しい女性だった。「どうか、目を覚まして。聖らかな女性よ」。勇者は命を吹き込むように唇に触れた。女は瞼を開け、美しい瞳を覗かせた。「私を眠りから覚ましたのは誰?」
勇者と女は恋に落ち、結婚の誓いを立てた。
かつて戦場を駆け、人の命運を握っていた望みの乙女は、神々の不死の世界を捨て、人間の世界に身を堕とした。
「どうした、カイ」
首を傾げた子どもにクリフが訊ねる。
「望みの乙女はどうして出会ったばかりの勇者と結婚したのですか?」
「恋に落ちたからじゃよ」
形の整った眉が寄り、どうにも腑に落ちないとばかりに大きい蒼碧の瞳を細めている。
昔ながらのおとぎ話には、出会ったばかりの男と恋に落ちる話はごまんとある。そして決まってこう続くのだ。「そして二人はいつまでも幸せに暮らしました」。
平和を知らない子どもはメルヘンチックな予定調和の展開に首を傾げていた。望みの乙女と同じように戦場を駆け、勝負を決める宿命を負った子どもは、彼女と同じようにただ一人の誰かを愛することをまだ知らなかった。
「ではな、カイ」
「はい」
「お主が望みの乙女だったら、」
「私は男です」
むうっと唇を尖らせた子どもに、クリフは微苦笑して続けた。
「知っておる。もしも、の話じゃ。お主が望みの乙女だったら、目を覚ましてくれた恐れを知らない勇者を愛さないのか?」
子どもは少しの間思案してからクリフを仰ぎ見た。
「よくわからないですが……きっと私だったら、出会ったばかりの誰かより、炎の壁を作ってずっと傍で守ってくれていた竜のほうに恋をします」
クリフはきょとんと目を瞬かせ、長い口髭を揺らして愉快に「そうかそうか」と笑声をあげた。
「でもな、カイ」
少しの沈黙のあと、クリフは眉尻を下げて静かに口を開いた。
「竜はきっとそれを許さんよ」
「どうしてですか?」
戦の中で心を持たず生きてきた望みの乙女が一人の人間と恋に落ちる。そして、それまで生きてきた聖らかな神々の世界を捨てて、人間として生きることを決意するように。
「――人間として生きてほしいからじゃ」
Ⅴ. No one is immortal. - ともに笑いながら、滅びましょう
「……ん…」
前髪を梳く温かい指先に意識が浮上する。眠気で重い瞼を薄く開くと、精悍な顔が間近にあった。
「起きたか?」
低く掠れた声が耳に届き、カイは自然と笑みを浮かべていた。こくん、と幼子のように頷くカイの背中に回った武骨な指先が背骨をなぞるように動いて、思わず肩を揺らす。
「ん……それ、くすぐった……っ」
逞しい腕の中で身を捩ると、喉を震わすような低い笑声が密着した身体を通して直接伝わってくる。カイの抗議など物ともせず、男の悪戯な指先は下着一つ纏わない細い裸身をあちこち触れていった。対抗するように、カイも男の逞しい身体へ指先を滑らす。寝起きだからか、やけに熱い身体を絡ませ合っているうちに自然と唇が重なった。
ちゅ、ちゅ、とティーンがするような一瞬だけのささやかな口づけが何度も続く。カイは甘い吐息の最中に囁くように口を開いた。
「ソル、今日は……?」
「情報探しに街に出る」
「ん」
頷き、猫のように擦り寄ると、ざらりとした感触が頬に当たった。
「ちくちくする」
「剃ってねぇからな」
目を丸くして、カイはソルの顎に指先を滑らした。ざらざらした感触をしばらく味わったあと、カイはもう一度頬をソルの顔にすり寄せて、ふふっと少女のように微笑った。
「なんだよ」
ううん、と吐息混じりの否定をして曖昧に濁す。
わずかに伸びた無精髭が共同生活を示唆しているようで嬉しかった、だなんてとても言えない。カイは目もとを微かに染め、にまにまと緩みそうな頬をどうにか抑えるのに必死だった。
ソルが身じろぎ、くぁ、と大きな欠伸をしながら上体を起こした。シーツの上で胡坐をかいて伸びをしているソルを追って身体を起こす。大きい欠伸が移ってしまい、それを噛み殺したカイの瞳に涙の膜が張る。それを節くれ立った指先が掬うと同時に腰を引き寄せられた。逞しい腕の中に収まると、当たり前のように顔が近づいてくる。自然に目を閉じれば優しく唇が重なった。そういえばまだ朝の決まり文句を口にしていなかった。
「おはよう、ソル」
「ん」
わずかに離れた隙間で吐息のように囁くと、短い返事だけが返ってくる。それに微苦笑しているうちにソルがベッドから下りた。絡まっていたシーツが滑り、美術品のように逞しい裸身が晒されて慌てて目を逸らす。寝起きのぼさぼさの髪を掻きながら、ソルは乱雑な動きでスウェットだけ身に着けて洗面所のほうへ向かった。
その背を見送り、見えなくなったところでカイも動き出した。シーツを剥げば、布一つ纏わない白い肢体が剥き出しになる。何も着ないで動けるほど不精ではなく、手近にあったソルの寝間着を手に取った。体格差から一回り以上大きいトレーナーを頭から被って寝台から下りる。下はソルが身に着けたためにもうないが、カイは半分こ、と小さく呟き、長い裾を剥き出しの腿の上で揺らしながら、頬を上気させてはにかんだ。
荷物から清潔な服を取りだそうとしたとき、ベッドの様子が目に入った。いろんな液体やら何やらでひどい状態になっているのを見て、慌てて寝台に戻る。ぐちゃぐちゃになっているシーツを見下ろし、カイは一人頬を染めた。当然、わざわざベッドメイキングする必要はないのだが、この有り様を宿の従業員に見られるのかと思うと居たたまれなくて、カイは顔を火照らせながら少しだけ整えておいた。
ぽすぽす、と仕上げにシーツを叩いていると水音が耳に届く。その音の出処を追ってカイはユニットバスに向かった。壁に手をかけてひょいっと覗くと、大きい図体が浴槽とトイレに挟まれた申し訳程度についた洗面台の前に狭苦しそうに立っていた。汚れの落ちていない、罅すら入った小さい鏡の前でシェービングクリームを塗っている。その背に視線と滑らせると、半分こにした寝間着の下衣から筋肉のついたお尻が少しはみ出していた。カイは寝間着のもう半分を揺らしながら、くいっとソルのスウェットのウエストをあげた。
「おしり出てる」
「あー」
気の抜けた返事に呆れながら覗き込むと、シェーバーを顎に当てようとしているところだった。思わず、つん、と肩を押していた。
「っぶねぇな」
危ないと言いつつ、そんなこと思ってすらいないような口振りでシェーバーを放したソルが振り返る。
「なんだよ」
「それやりたい」
「ハァ?」
「ソルの髭剃りたい」
子どもが新しいおもちゃでも見つけたみたいにきらきらした瞳で見上げられて、ソルは思わず憮然とした顔つきになった。返事などしていないのに、イエスと勝手に決めつけたカイが剃刀に手を伸ばしてくるのを咄嗟に腕をあげて避けた。途端に、むぅっと小振りな唇が咎る。本当に坊やかよ、と内心呆れを零し、随分と幼げの増してしまった成人男性を見下ろした。
「すぐ終わるから、あっちで準備して待ってろ」
まるきり父親が息子にでも接するような態度で、ぽんぽんと蜂蜜色を叩く。剃刀を奪われる前に鏡に向き直ろうとしたが、強い力で腕を掴まれて叶わなかった。
「大丈夫だから、ソル」
彼が言うにしては、やけに安っぽい〝大丈夫〟だった。そういうことを言う男が一番信用ならないという世の常識をこの坊やはまだ知らないらしい。
避けるように上がっているシェーバーを持った左腕に、ぶら下がろうとでもしているみたいにカイがくっついてくる。「刃の扱いには慣れてるから」と的外れなことまで言われ、ソルは深い溜め息を零してわずかに眉尻をさげた。どう足掻いても髭剃りなんていうどうでもいいことをやりたいらしい。
「わぁった、わぁった」
降参、とハンズアップして剃刀を渡すと頬を上気させたカイが少女のように喜色を浮かべる。何がそんなに嬉しいのか、と呆れつつもソルも口もとを緩めた。
早速、とばかりに頬に伸びてくる手を制して、傍らのバスタブの縁に腰かけた。ソルは別にうっかり切って血だらけになろうと構わないが、そうなるとカイは自らの失敗を後々まで引き摺りそうなので安定した場所で事にあたってほしい。ぽん、と膝を叩き、両手を広げると、カイは目を丸くしてからさぁっと頬を染めた。剃刀を手にしたまま突っ立っているカイに痺れを切らして腕を引っ張る。
「早く乗れ」
戸惑ったような顔でこくんと頷いて、カイが恐る恐るといった感じでソルの片膝を跨いだ。ちょこん、と控えめに座ったものの、体勢のせいでトレーナーがめくれあがった。カイはとっさに剃刀を持たないほうの手で裾をぐいぐい引っ張ってどうにか下腹部を隠したが、ソルにはばっちり見えていた。下着履いてねぇのかよ、と剥き出しの下半身を揶揄おうとしたが、彼の片手で光る刃を見て口に出すのを憚った。それを振り回されるのはご免だ。ソルはカイの腰に手を回して支え、早くしろと顎を少し吐き出した。
意外なことにカイの髭剃りは下手ではなかった。右のもみ上げの下から顎へ刃が慎重に滑る。ショリショリ鳴る音までもが楽しんでいるかのように聞こえた。
カイは右頬を攻略中だが、やけにゆっくり進められる髭剃りに手持ち無沙汰になったソルは早くも飽き始めていた。真剣なカイをちらと見やってから腰に当てていた手を下げていく。ソルの膝を跨いだことで捲れあがったトレーナーの先には瑞々しい腿が剥き出しのまま晒されていた。抜けるように白いそこへ指先を滑らせると、ぴくっとカイの身体が跳ねる。
「っ……ソル」
据わった目がじとりと見下ろしてきた。危ないだろう、と尖った唇が紡ぐ。腿に手を置いたまま口先だけの謝罪をすると、シェイビングが再開した。
右を終え、左頬、そして顎下へとゆっくり進められていく。まだ終わりそうにないことに内心溜め息を吐きながら、ソルは目を閉じた。
どうしよう。カイは閉じられた瞼の先の長い睫毛をぼんやり見ながら、のろのろとした動きで髭剃りを続けていた。無意識なのか、故意なのか、ソルの指先が擽るように腿を動き、カイを乗せた膝が時折かくんっと動く。トレーナーの下に何も身に着けていない身体は、剥き出しのままソルの右腿にぺたんとくっついていた。股のあわいがソルが身じろぐたびに擦れ、へにゃんと懸下している中心はトレーナーの裾に隠れた先でソルの腿に落ちている。少しでもソルが動けばそこに刺激を感じてしまい、熱い吐息が勝手に漏れてしまった。
こんな体勢になるとは思っていなかった。こんなふうに二人で迎えた朝にソルの髭を剃った人はいないのではないかと思ったら、どうしてもやりたくなって強引に頼み込んだが、ソルはあまり乗り気じゃなかったし、失敗したと嘆く。
意図せず熱を帯びていく下半身に、もじもじと足を動かしてどうにか集中しようとしたときだった。
「ひ、ぁ……っ!」
ソルが膝を上下に揺すったのと同時に裾を豪快にめくってきた。冷えた洗面所の空気に下腹部が晒された挙げ句、ぎゅむっとお尻を揉まれて、飛びあがって声をあげていた。
びくんっと跳ねたカイの手先がぶれて刃が右頬の皮を突き破る。慌てて手を離した先で、つーっと滲み出た赤に、ドクン、と一際大きく心臓が鳴った。なぜか頭が靄にかかったように急激に鈍くなっていく。
流れ出す赤をぼんやり見ていると、ソルの唇が妖しく歪んだ。刹那、弾かれたように舌を伸ばしていた。咥内に鉄の味を感じた瞬間、右手から剃刀が落ちてからんと床に転がった。
流れ出た血を猫のようにぺろぺろと舐め続けるカイの顔はどこか陶酔が滲んでいた。ソルは歪に口角をゆがめて、赤茶の双眸を細めた。
これ以上は無理だというのに、ぐいぐいとくっついてくる身体の所為で背後に倒れ込みそうになる。後ろはバスタブだ。慌てて支えようと手を伸ばして掴んだものがキュッと動いた。瞬間、ザァァ、と鳴った水温とともに濡れた感触が一気に身体を包み込む。どうやら掴んだものはシャワーコックだったらしい。水流が激しく浴槽を叩く音に舌打ちしながら、水に濡れた重い髪を掻き上げたときだった。
ばちり、とカイと目が合った。小ぶりな唇についた赤を舌が舐め取り、ソルを見てカイの花顔が綻ぶ。そのありったけの幸せを詰め込んだような微笑を見た瞬間、衝動的に細い身体を掻き抱いていた。
「んぅっ!……ぅ、う……ん、ぅ」
細腰を力任せに持ち上げ、壁に押しつける。頭上から雨のように叩きつけてくるシャワーの下で荒々しく唇を重ねた。一度触れてしまえばだめだった。何かを考える余裕もなく、咬みきれるのではないかと思うほど激しく重なった唇は、形を変え、角度を変え、何度も何度も重なった。
円を描くように絡まる舌は、まるでそれがあるべき姿だと主張するように絡まったまま離れない。くちゅ、じゅぷ、ぢう。とても口づけとは思えない、肉食獣の食事のような音が響いた。水に濡れた髪を互いの指先が乱暴に乱し、滅茶苦茶に掻き抱き、掻き抱かれる。隙間なんてないのではないかと思うくらいぴったりと唇を合わせたまま、舌は絡み合い、吸われ、そして時折噛まれ、激しく顔を交差するようにして口づけは続けられた。
熱に蕩けたカイの身体がずるずると壁伝いに落ちていく。唇を離さないまま追っていくと、ちゃぷんと水音が鳴った。
「んぅ……ふ、ぁ…そる、ッ…んっ!」
「、は……カイ…」
呼吸のために時折隙間の出来るふたつの口唇の間では、壊れた玩具のように互いの名前だけが飛び交う。もう完全に思考回路は麻痺していて、頭を占めるのは互いの存在だけだった。
どれくらいの間、口づけを交わしていたのかわからない。それでもようやく離れた唇の狭間で、はあはあと互いの乱れた息が交わる。
つき合わせた顔の狭間で荒い呼気に肩を揺らしていたソルの視界の端っこに、ゆらゆらと揺蕩う十字架が見えた。気がつくと、だしっ放しのシャワーがバスタブに水を溜めている。その上にいつの間にか外れていたらしいカイのロザリオが浮かんでいた。
無惨に千切れた鎖の先で揺れるそれは、無意味なガラクタのように見えた。カイはそれに手を伸ばすことはなく、一瞥すら向けなかった。その唯一無二の瞳はソルだけを映している。ソルは打ち捨てられた十字架に勝ち誇ったような気になった。
ああ、そうだ。
カイ=キスクは死んだのだ。
それはもう、二度と祈りの道具になることはない。
ソルの左手とカイの右手が触れた。それらは当たり前のように絡まり、きゅっと互いの指が折り重なる。まるで祈りの形に組んだかのような指先はぴたりとくっついたまま離れることはなかった。
(続く)