TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Novel > いつか祝う誕生日 > 03
第一連王カイ=キスクの生誕祭は国を挙げて盛大に行われた。その夜、王城の一室では家族と近しい者たちのみで祝杯が交わされ、カイは胸を温かいものでいっぱいにしながら自室へ戻った。片付けを手伝っていたのだが、妻に「あとは私がやります」といっそ幼子のように頑なに駄々を捏ねられ、渋々といった感じではあったけれど。
たくさんのプレゼントでいっぱいになった自室を見渡し、目を伏せる。こんなにも胸は幸せで満ち溢れているというのに、それが少年の頃から消えることのない罪悪感をちくちくと刺激してくる。こんなに祝されていいのか、とまだ人類の種をかけて戦場を駆けずり回っていた頃の情景が鮮明に蘇る。
廃墟と化した街。獣のような咆哮。劈くような悲鳴。救済を求める手。仲間を死地へと送る号令。天を貫かんばかりの雷撃。そして――すべての罪を雪ぐような、鮮やかな炎。
一面が鼓動をなくした命で埋め尽くされた光景を知っている。自分に背を向け、敵に突撃していった仲間を覚えている。己に寄せられたたくさんの祈りの重さを、知っている。
ぎゅうっと胸のあたりを掴み、嘆きの吐息を漏らそうとしたカイを遮ったのは扉の開く音だった。
ハッとして見やると、ノックもなしに訪れたのは眠そうな目を擦る愛する息子だった。
「シン?」
「……ん」
くぁ、と寝間着姿で大きな欠伸をしているくらいだ。もうすぐにでも寝たいだろうに、突然どうしたのだろう。おぼつかない足取りで近づいてくるシンに首を傾げながらも、カイは口を開いた。
「シン、」
「うん?」
「今日はありがとう。すごく嬉しかった」
目もとを微かに赤らめて、気恥ずかしげに目を逸らしたシンに微笑う。
「それで、どうしたんだ? いつもならもう寝ている時間だろう?」
「……ああ。ちょっとカイに聞きたいことあって」
「うん? なんだ?」
「カイはオヤジと付き合い長いんだよな?」
「ああ、まぁ……出会ってからはそれなりに経っているけどね」
「じゃあ知ってる? オヤジの誕生日」
カイは予想外の質問に目を丸くして瞬かせた。
「ソルの、ですか……すみません。私は知らないな」
「そっか」
残念そうに眉を下げるシンにカイは曖昧な微笑を浮かべた。
「……突然どうしたんだ?」
「え? ああ、そういやオヤジの誕生日って祝ったことないなって思ってさ。オヤジと旅してた頃、俺ももっとちっちゃかったときさ、オヤジが俺の誕生日祝ってくれたんだ。今日だけ随分と豪華な食事だなーとか思ったら、『誕生日だろ』って言ってさ。スゲー嬉しかったから、そのときにオヤジの誕生日聞いたんだけど、『忘れた』って言われて。そんときはその言葉まんま受け取って、そっかって思っただけだったんだけど。よくよく考えると誕生日忘れるってなくね? って思ってよ。カイなら知ってるかと思ったんだけどな……」
「……そうか。すまない、役に立てなくて」
「いや、別にカイが悪いわけじゃねぇし」
「私も昔、聞いたことがある。でも『忘れた』って言われたよ」
「ふぅん? 案外、オヤジがまじで忘れてるだけかもしれねぇな!」
歯を見せて笑ったシンが「でも、」と少し寂しそうに続けた。
「祝いたいんだよな、オヤジの誕生日。前に母さんが誕生日を祝うのはその人が生まれたことを、生まれて自分に出逢ってくれたことを感謝する日って言ってたからさ」
「……そうですね。いつか……」
「うん?」
「いつか、ソルも教えてくれると思いますよ」
「そうかな。オヤジって一度言ったこと翻すってことなさそうだけど」
「いや、きっと教えてくれるさ。シンがもっとずっとソルの傍にいればな」
「傍に?」
「ああ。それであいつをもっと振り回してやれ」
「ええー、なにそれ。ンなことでオヤジが教えてくれんのか?」
意味がわからないと唇を尖らせたシンにカイは微苦笑しつつ、それでもしっかりと頷いた。それが真実になることを願って。
「あいつは……ソルは、お前と共にいるようになって少し変わったよ。前よりずっと、柔らかくなった」
「オヤジが?」
「ああ。きっとシンに絆されたんだ。お前の柔らかくてあったくて純粋な姿があいつを変えたんだろう」
「……なんか恥ずいんだけど」
「ふふ。私はずっとあいつとは相いれなくて……会えば毎回ものすごく嫌そうな顔をされていたからな」
「ええっ! そうなのか!?」
「ああ。……今日みたいにあいつとこんなにも穏やかな時間を過ごせるなんて思ってもみなかった。全部、シンのおかげだよ」
シンは戸惑うように瞳を揺らした。綺麗な微笑みを浮かべているはずのカイの瞳がどこか寂しそうに見えたから。
「シンは誕生日を祝ってもらうと嬉しいと思うだろう?」
「当たり前だろ」
「それは何でだ?」
「え…? なんでって……生まれたことを、生きていることをみんなが喜んでくれるからだろ」
「そうだ。それを嬉しいと思うのは、シンが生まれてきてよかったって思うからだ」
「……生まれてきてよかった」
シンが何かに気付いたようにハッとしてカイを見た。
「あいつは……辛いとも苦しいとも哀しいともおくびにも出さないけれど、あいつが自ら誕生日を祝ってほしいと……今生きていることを幸せだと思う日が来れば……きっと教えてくれるさ」
「……オヤジは幸せじゃないのか?」
「さぁな……私にはあいつの気持ちはわからない。本当に忘れているだけかもしれないし」
カイは軽い口振りで喉を鳴らして笑ってみせた。
「そっか……つーことは、オヤジを幸せにすりゃいいってことだな!」
「ああ。あいつが明日が来るのを心待ちにしてしまうほど、楽しませてやれ」
「カイは?」
「え?」
「カイはオヤジの誕生日祝いたくねぇの?」
そんなこと決まっている。カイが首を振ると、シンは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、カイも頑張らくちゃダメだぜ」
「頑張るって……」
「オヤジの幸せ計画」
カイは思わず、ぷっと噴き出してしまった。
「じゃあまずはどうずっかなー……あ! 家族旅行とかしようぜ」
「旅行ですか? あいつは毎日旅行みたいなものでしょう。もう行ってないところなんてありそうにないけど」
「そうじゃなくて! 家族でっつってんじゃん。だからカイも休み取れよ」
「……悪いがそうそう取れるものでもないんだ。旅行したいならこっちで手配するぞ?」
シンが何かものすごく嫌そうな顔でカイを見た。
「カイなしで旅行しろってことかよ」
「え? 問題ないだろう? ディズィーとラムレザルさんとエルフェルトさんとお前がいれば、ソルだって満足だろう。ふふ、とても楽しそうだ」
「だぁああ! ちげぇっての! このわからず屋ッ!」
「わっ、わか……!?」
ぷくぅ、と頬を膨らませたシンに睨まれる。
「カイって王サマのくせに馬鹿だよな。オヤジより馬鹿だぜ」
ソルが聞いていたら容赦なく殴りそうな発言を事も無げに零した息子に、カイは思わず押し黙ってから、ぽつりと的外れな受け答えをした。
「……ソルは頭良いですからね。あまり発揮しないだけで」
「ええー、そうかぁ? とにかく、旅行すんならカイもいなくちゃダメだぜ。オヤジだってカイがいたほうが絶対喜ぶ」
「えー……それはないと思うけど」
「ある! カイってほんと何もわかってねぇのな」
「……………」
何だかすごく哀しくなってきた。何もわかっていない、とはあんまりだ。少なくともシンよりはソルとは長い付き合いだし、旅行しようと言ったら喜色を浮かべるどころか、眉を吊り上げて、ああ゛? と睨まれそうだ。鬱陶しいな、と言外に告げる顔をありありと想像できる。シンに対しては違う反応をするのかもしれないが、少なくともカイに対しては想像通りの反応を示すだろう。
思わず黙り込んでいたカイが顔をあげると、呆れたような青緑とかち合う。次の瞬間には、くぁあ、と大口開けて欠伸をしたシンが目を擦り始めた。
「……もう遅いですから話は今度にしましょう。眠いのでしょう?」
「う、ん……」
こてり、と頭が揺れている。すぐにも夢の中へ行ってしまいそうだ。金糸を撫でて座っていた寝台に横になるように促す。
「ん……へや、もどらないと……」
「ここで寝てしまいなさい」
「うー…ん……でも、おやじにおこられ……」
「え?」
なんで、と全く意味がわからず問いかけたかったが、すでにほとんど微睡の中にいるシンは答えてくれそうにない。
「カイは……かんちがいしてる…」
布団をかけ、その上から胸をぽんぽんと叩いて眠りを催促していると、抗うようにシンは薄目を開けた。
「おれじゃ、ない……オヤジはカイが……」
オヤジが変わったというのなら、それはカイが。
シンはそう言いたかったのに、優しい手に撫でられて叶わなかった。前髪を梳かれ露わになった額に、ちゅ、と温かいものが触れたのを最後にシンの意識は夢の中へ落ちていった。
バタン、と突然遠慮なく開いた扉の音に驚いて顔をあげる。寝台に腰かけ、シンの幼い寝顔を眺める幸せな時間を破ったのは、息子を育てた男だった。
「ソル?」
男はずかずかと他人の部屋に入ってきた。シンがノックもなしに扉を開けるのは、この男の所為かもしれない。息子のあまりよろしくない見本になっている男は、寝台ですやすや眠る養い子を見て、もとより愛想のない顔を凶悪に歪めた。
「……なんでシンがいる」
「ああ、話をしていたんだが寝てしまってな」
「話ィ? テメェが呼んだのか」
「え? いや、シンが来たんだ。あまりに眠たそうにしてるからここで寝てしまえと言ったんだ。私がそうしろと言ったんだから、シンのことは怒るなよ」
部屋に戻らないと怒られるとシンが言っていたため、一応弁解しておく。なぜソルが怒るのか、意味はまるでわからないけれど。
ソルは「ちっ」と大きく舌打ちしてシンを睨みつけた。そのあまりにも据わった目に愕然としていたカイが問いかけるより先に、ぼすんと大きな音を立ててソルがカイの横へ腰かけた。
「ちょっと……! シンが起きてしまうだろう」
「ちょっとやそっとじゃ起きねぇよ、こいつは」
「何をそんなに怒ってるんだ、お前は」
「……別に」
苛立ちを纏うソルは答えるわけもなく、不機嫌なままそっぽを向いてしまった。理由がわからなければどうしようもできないので、仕方なしにカイは話題を変えた。
「それで? お前はこんな時間に何の用だ?」
「……いや、」
ソルにしては珍しく歯切れが悪い。
「………プレゼント」
「え?」
「やってねぇなと思ってな」
きょとん、と目を丸くしたカイが一拍置いて、噴き出すように笑声を漏らした。
「……おい」
「ははっ、お前がそんなこと言うなんて」
「…うっせぇな」
「ふふ……プレゼントなんていいのに。祝ってくれただけで充分だよ。ありがとう、ソル」
ソルはバツが悪いような表情で顔を逸らした。
「お前にはもういろいろと貰っている。これ以上なんて罰が当たってしまうさ」
「……ハァ? 俺はテメェに何もあげたことなんてねぇぞ」
「お前が気付いてないだけだ」
ソルは意味がわからないと眉を寄せたが、カイは微笑むだけで真相に触れることはなかった。
「ほんとうに……嬉しいよ」
カイはシンの金糸を優しく撫でながら口もとを緩めた。
ディズィーと出会えた。シンが生まれてきてくれた。理解ある同僚がいる。信頼してくれる部下がいる。希望を託してくれる民がいる。それから―――ソルと、出逢えた。カイには不相応なくらいの幸せだ。
「だったら、」
「え……ッ!」
ぐいっと強引に顎を掴まれて振り向かされた。
「もっと嬉しそうな顔をしろ」
ありえないほど近くにあるソルの赤茶の瞳が鋭く光る。言われたことを時間をかけてようやく理解し、カイは瞳を揺らした。
「……私はちゃんと笑えていないのか?」
こんなにも幸せなのに。
戸惑うように問われ、ソルのほうが困惑した。
「…少なくとも心からっていうようには見えねぇな。……ったく、坊やなんだから誕生日くらい何も考えずに喜んどきゃあいいのによ」
いつかの日も同じことを言われた気がする。
急に、ぐっと頭を抱き寄せられ、なされるがままに首筋に顔を埋めることになった。びくり、と驚きに揺れたカイの身体を有無を言わせない力で太い腕が抱きしめる。あたたかい温度に包まれて、カイは泣きたいような気持ちになった。
「ッ……わたしはもう坊やじゃない」
「どうだかな」
「……お前のほうこそ…」
「あ?」
「……いや、なんでもない」
「なんだよ」
カイはふるふると首を振って寂しく微笑った。ドクドクと異常なほどに速さを増す鼓動がばれやしないかと怯えながら、それでもこんなあり得ない機会を逃してなるものか、と浅ましい欲求のまま、ソルの腕の中から出られないでいた。
お前のほうこそ、何も考えずに誕生日を祝わせてくれればいいのに。
――いつか、ソルの誕生日を祝いたいな。その〝いつか〟をプレゼントにしてください。
大層なことを言ったものだと、いつかの日を思い出す。何も知らなかった。この男のことなんて、何も。不幸な過去があるんだろうと勝手な想像くらいはした。あの頃の自分が想像していたものなんて、生易しいものに過ぎなかったけれど。
あの日、口にした〝いつか〟が訪れるなどとは、これっぽっちも思っていなかった。叶わないことを知っていて、言葉にしただけの願い。ソルが頷かないこともわかっていたし、ただの押し付けのような我が儘だと理解していた。それでも口にしたのは、誕生日はいつかとの問いかけに忘れたと答えたソルの瞳が、あまりにも。……あまりにも冷たくて。どうしようもなく苦しくなった。あの冷え切った瞳は、もう二度と祝えないと、その日は祝福なんかではないのだと、言っているように思えた。
カイなんかには想像もつかないほどの悲惨な運命を必死に生きてきた男は、やはり生まれてきたことを後悔しているだろうか。本来ならば、ソルはここにはいない。この時代を生きるはずはなかった。ここにいるということは、彼にとって不幸な事実なのだろう。
そう簡単に割り切れるものじゃないとわかっている。それでも、よかったって、生きていてよかったって、いつか思ってくれるだろうか。何だっていい。誰だって構わない。どうか、ソルが心から笑えるような、生まれてきたよかったって思えるような、生きていてよかったって思えるような、そんな幸せを。いつか、彼が心から自分の誕生日を祝えるように。
きっと、シンならば。ディズィーならば。この男の凍てついてしまった心の一部を、溶かすことができる。私には無理でも、彼らならば、きっと。
「……本当に何もいらねぇのか」
「え……?」
頭上から聞こえた声はやけに静かだった。
「今なら何でもやるよ」
なんでも……?
いつもより随分と穏やかに聞こえる声音に欲が滲む。
「じゃあ……ソルの――」
言いかけて、カイはすぐに噤んだ。
ソルの誕生日を教えて。そう言いたかったけれど、こっちから促して祝ったとしても無意味なのだろう。彼が自ら口を開かないと。それに、カイに祝われたって嬉しくもないだろう。
「なんだよ?」
「いや……じゃあ一緒に寝てくれないか?」
「ハァ?」
「シンとお前と三人で一緒に寝よう」
「なんじゃそりゃ」
思わず身体を離したソルに、もう少し身体をくっつけていたかったと愚かな欲が沸き立って自嘲する。
「ジジイが恋しくなったのか、坊や。添い寝してくれとか」
「なッ……く、クリフ様と添い寝なんてしていない! そんなに子どもじゃなかった!」
「怒るとこそこかよ。つーか、ガキだっただろ、どう考えても」
「そもそも添い寝してくれなんて言ってないだろう! シンと三人で寝ようと言ったんだ。当然シンが真ん中だろう!」
「シンはもう端っこで爆睡してんだろうが。安眠遮ってまで真ん中に動かすのかよ」
ぐ、と口を噤んだカイを呆れた目で見たソルは、そそくさと寝台にあがった。布団をめくり、カイに入るように促す。
カイは頬を赤らめて、とんでもないことを要求してしまったとようやく悟った。当然シンが真ん中だと疑わなかった所為で、こんな気持ちにさせられるとは思わなかった。ソルの隣で寝るなんて無理だ。何をしでかすかわかったものではない。
「おい、さっさとしろよ」
「や、やっぱり、さっきのは」
「撤回はなしな。もう俺も眠ぃんだよ。早くしろ。そんなに嫌なら床にでも転がれよ。俺はここで寝る」
「は!? わ、私のベッドだぞ」
「シンは使ってんだろうが」
「問題ないだろ。息子なんだから」
「じゃあ俺も問題ねぇだろ。テメェは俺のむす――」
「うわあああ! もういい、わかった! 寝ればいいんだろう、寝れば!」
テメェが言い出したことじゃねぇか、と心底呆れた目をしたソルが捲った布団の中にカイは慌てて潜り込んだ。大きい寝台ではあるが、図体のでかい男三人が入れば広さはなくなってしまう。シンのほうを向いていてソルが視界に入ることはないが、ばさりと布団がかけられて背中に感じた体温に身体が一気に熱くなった。落ち着け落ち着け、と心頭滅却を念じ、カイはぎゅうっと目を閉じた。
ふいに背後の温度が動いた。さらり、と髪を撫でられて混乱が極まる。熱い吐息を耳もとに感じて、息が止まったような気がした。
「Happy Birthday, Ky. Sweet dreams.」
息を呑む。
すぐに体温は離れていって背後で横になったのがわかる。身体がくっついているわけではない。背中には空気が当たり、その向こうにソルが横になっているだけだ。それなのに異様に身体が熱を発していた。ドクドクと駆け足を続ける心臓が痛い。驚きに見開いていた目を閉じると、頬に何かが伝った。
ずるい。ずるい。ずるい。こんなの。
どうして忘れさせてくれないの。どうして無くさせてくれないの。
抱いていてはいけない情動が無様な叫声をあげている。いつの間にか育まれていた感情は、いくら時を経ても消えることはなかった。
カイは焼けるような痛みに悲鳴をあげる心臓の上をぎゅうっと掴み、唇を噛み締めた。もうきっと二度となくなってはくれない、この感情に絶望を抱きながら。