明るい陽光に意識が浮上した。あったかいなぁ、とぼんやり思いながら薄目を開けると、愛する妻が目に入った。

「ん……ディズィー…?」
「おはようございます、カイさん」

 床に膝を立てているのだろうか。寝台の縁に腕をつき、こてりと首を傾けたディズィーは可愛らしい笑みを浮かべていた。その少しの距離を不思議に思って、覚醒してきた瞼をしっかり開けると金糸が近くにあって驚く。自分の長いものではなかった。ああシンか、とほとんどカイの胸に頭をくっつけるようにして寝ている姿に頬を緩める。やけに身動きしづらいなと思ったが、シンがくっついていたからなのか。

「ふふ、仲良しさんですね。私も一緒に寝てもいいですか」
「でも、もう朝ですよ」
「今日くらい、お寝坊しても誰も怒りませんよ」

 カイに選択権はないとばかりにすぐに寝台にあがった妻は、息子の身体を押しやった。そのあまりにも強引な仕草に思わず少しの間沈黙してから、口を開いた。

「……起きてしまいますよ」

「大丈夫です。シンはちょっとやそっとじゃ起きませんから」

 ……あれ? 同じ言葉を最近聞いた気がする。まったく同じことを誰かが言っていなかったか。
 寝どころ確保のためにぐいぐい押しやられる息子に、慌ててカイが後ろに身体をずらそうとしたが、何かに当たって下がれなかった。後ろに何かがある。
 そういえば、あたたかいものが全身を包んではいないか。前はシンがくっついているからわかるけれど、後ろは――と思ったところで腰あたりに感じる重みに首を傾げてそれに触る。太く逞しい腕がカイに巻き付いていた。シンの手は縮こまったままカイの胸辺りに置かれていた。では、これは……?

「ッ…!! ソ、ッ――んぐっ!?」

 昨夜の記憶が唐突に蘇ったカイが背後にいるだろう男の名を叫ぶより先に、口が塞がれた。いつの間にかシンの背中にぴたりと貼り付いている妻が白い手のひらでカイの唇を塞いだからだった。

「しーっ。お父さんが起きちゃいます」
「おとッ…!?」

 カイは遠い目をした。
 めっ、と幼子でも叱るような顔をしている妻は、どうして何とも思わないのだろう。
 背後から伸びた逞しい腕はカイの腹のあたりに巻き付いている。今さら気付くのもどうかと思うが、側頭部あたりに熱い呼気も感じるし、背中にはぴったりと体温がくっついている。完全に抱きかかえられているような体勢だった。
 状況を頭が理解してしまった所為で心臓が早鐘を打ち過ぎて痛くなるし、身体は燃えるように熱くなる。紅潮した顔をディズィーに見られるわけにもいかず、けれど身動きが出来ないために隠せそうにもなかった。精々、動かせる顔を寝台に押し付け、長い髪が隠してくれることを祈るしかなかった。

「カイさん」

 静かな声が呼ぶ。カイは恐る恐る妻を見た。美しい妻は柔らかく微笑んでいた。

「欲しいもの、ありますか?」
「え……?」
「誕生日プレゼント」
「昨夜いただきましたよ?」

 当たり前の受け答えをしたつもりだったが、ディズィーはいまだ夢の中の息子の向こうで、むぅっと唇を尖らせた。

「もっとです」
「はい?」
「もっともっと、カイさんにあげたいんです」
「そんな……私は充分ですよ」
「だめ」
「え」
「まだまだ、あげたりないです。だってカイさんのお誕生日ですよ? あなたが生まれてきてくれた、私と出会ってくれた、シンを授けてくれた。もっともっと、お祝いしないと」
「ありがとう。……でも、これ以上だなんて私にはもったいないですよ」
「……カイさんの気持ちは関係ありません」
「えっ」
「私が、私たちが、おめでとうってお祝いしたいんです。あなたがどう思うかなんて関係ないです」

 カイはきょとんと目を瞬いてから、思わず噴き出してしまった。

「っふ、ふふ……そうですか」

 そうか、とカイは泣きたいような気持ちになった。相手がどう思おうと、祝いたいという気持ちは確かなのだ。来年はもう少し勇気を出してみようかな、と大きい気持ちになる。ずっと祝いたかった誕生日を、日付なんて知らないけれど――……きっと、カイが知ることはないけれど――それでも、祝いたい。

「はい、そうです」

 胸を張るようにして大きく頷いた妻に喉を震わせて、カイは静かに口を開いた。

「じゃあ、未来が欲しいです」
「え……?」
「来年も、再来年も、その次も。あなたと、シンと、――…ソルと。こうして過ごしたい」

 赤い目を丸く瞬いたディズィーは、ふわりと微笑んだ。

「はい。やくそく、です」

 小指を差し出してきたディズィーに、己のそれを絡める。見つめ合って微笑みあえば、胸の奥がじんわりとあたたかさを増した。

「……それから、」

 カイは少し躊躇うように一度口を噤んでから、けれど真っ直ぐにディズィーを見つめて言った。

――いつか、ソルの誕生日も祝いましょう」

 あの日。まだ幼く、何も知りもしなかった頃。叶わないと知りながら口にした言葉を、けれど今は絶対に叶えるという思いで、言葉にした。
 カイの真意を知っているわけではない。それでもディズィーは笑って力強く頷いた。

「はい…!」

 これは誓いだ。
 この感情を消すこともなくすこともできないというのなら、私はもうお前を愛し続ける他にどうしようもない。だからお前を想い続ける。譬え、それが罪なことだとしても。
 巻き付いている腕に力が篭もったことに気づかないふりで、カイは目を閉じた。

「……カイさん」

 静かな呼びかけに今一度瞼を開ける。

「幸せですね」

 泣きそうな微笑だった。カイは同じ顔をして頷いた。

「ええ、とても」

 定員割れのベッドの上、ぎゅうぎゅうになって家族で微睡む朝の幸福は、カイが少年の頃から抱いていた罪悪感を呼び起こすことはなかった。
 ただ、泣きたくなるような気持ちで、カイはここにある仕合わせを噛み締めていた。

 

End.
2017.11.20 (11.23 加筆修正)