大きく伸びをし、ごきごきと首を鳴らしてソルは立ち上がった。獲物の情報探しついでに酒でも飲もうかと扉に向かったソルに突っ込んでいく影がある。

「ストォーーーップ!! どこ行くんだよ、オヤジっ!」
「ぐっ、」

 背中からぶつかってきた身体だけは一丁前なクソガキに吹っ飛ばされて、開けるはずだった扉に強かに身体をぶつける羽目になった。

「いッ…てぇな! 何しやがる!」

 養父からの仕返しに身構えたシンは、それでもむぅっと唇を尖らせて、ソルを睨みつけた。

「オヤジがどっか行こうとすっからだろ!」
「どこ行こうが関係ねぇだろうが。……ったく、昨日から一体何なんだ」

 城の家主によってゲストルームを用意されているソルの部屋に昨夜突撃した養い子は、自分の部屋があるにも関わらず、「俺ここで寝るから!」とソルの意見を完全に無視して居座った。さすがにひとの寝台に乗り上げるということはなく、自ら床に転がったので、まぁいいかと放置していたのだが、これは一体何の仕打ちだというのか。

「やっぱ母さんの言ってた通りだぜ。監視しといてよかった」
「ハァ?」
「オヤジ、知らねぇのか?」
「何がだよ」
「今日が何の日か」

 そこまで言われて、ソルはようやく得心がいった。

「……ああ、カイの誕生日だろ」
「ええっ!?」

 大袈裟に驚愕を露わにしたシンは、ぽかんとソルを見た。その反応が理解できずに、ソルは眉を大きく顰める。

「お、オヤジ知ってたのか!?」
「知ってたも何も、あれだけ街中で垂れ幕下がってりゃあ、嫌でも目に入るだろ」
「知ってて出かける気だったのかよ! ありえねぇ」
「どういう意味だよ? あいつの誕生日が俺にどう関係するんだ」

 シンは信じられないというような顔をしている。

「お、オヤジはカイの誕生日祝わねぇのか……?」

 どうやら、祝おうとしていないことが驚きだったらしい。

「家族水入らずでパーティーでも何でもすりゃあいいじゃねぇか」
「?   オヤジも家族じゃん」
「……………」
「ああ、わかった!」

 何かに気付いたとばかりに、ぽんっと手を叩いたシンが、ビシィッとソルに人差し指を突きつけた。

「オヤジ知らねぇんだな? 誕生日っつーのは、その人が生まれてきたことを感謝する日なんだぜ? そんで、出会ってくれてありがとうって気持ちで祝うんだ」

 ソルは思わず押し黙った。
 教えてやったぜ、と、さも高尚なことをしてやったと言いたげな得意顔をぶん殴りたい気持ちを抑えながら、ソルは深く溜め息を吐いた。何でそんなことをほんの数年しか生きていないガキに説かれなきゃならないんだ。……というか、そもそも。

「……それで、何で俺があいつの誕生日を祝うことに繋がんだ」

 シンはソルがカイの誕生日を祝おうとしていないことを心底驚いていたが、それはつまり、ソルは当然祝うものと思っていた、ということだ。
 シンの誕生日の解釈からして、俺があいつの誕生を有り難がっており、出会えたことを喜んでいるということにならないか。……そんなむず痒い想いをあいつに抱いていると思ってんのか、俺が。
 嫌そうな顔で仏頂面を彩ったソルに、シンはきょとんと目を丸くした。

「え? だってオヤジ、母さんと同じじゃん」
「……………、」

 脈絡がなさすぎて、まったく意味がわからない。誰だ、こんな阿呆に育てたやつ。

「………わかるように言え」
「さっきの誕生日を祝う意味、母さんに教わったんだけど」
「……だから?」
「母さんは当然カイの誕生日祝うだろ? 今年なんてスゲー張り切ってっし」

 当然だろう。やっと家族そろって祝えるのだから。

「オヤジって母さんと同じような顔でカイのこと見るだろ。だから当然、母さんと同じ気持ちだと思っ――いッ……!??」

 ソルは反射的にシンをぶん殴っていた。

――ッてぇええ!! 何すんだよ、オヤジ!?」

 思わず左手で顔を覆う。最悪だ。
 救いなのは、シンが自分の発言の真意に気づいていないことだ。このまま、こいつが阿呆でいることを願うしかない。

「俺、パラダイムのおっさんに聞いたんだからな! 頭に衝撃与えるとノウサイボウがたくさん死ぬって! 俺が馬鹿になったらオヤジのせいだから!!」
「安心しろ。テメェの阿呆さは多分脳細胞と関係ねぇ。もしくは生まれつき少ねぇんだろ。ちいせぇ頃とほとんど頭の出来は変わってねぇからな」
「それって成長してねぇってことじゃん!? 80センチも背ェ伸びてるしッ!」
「……頭の出来がっつってんだろ。心配すんな。多少頭が足りなくても生きていける」

 あまりにも容赦なく殴られた所為で涙目になっているシンに背を向けて部屋を出ていこうとすると、シンが慌てて叫んだ。

「プレゼント…!」
「あァ?」
「ちゃんと用意しとけよっ」
「……………」

 ソルがカイの誕生日を祝わないとはこれっぽっちも思っていない口振りで、それだけ念を押した養い子に今一度背を向けて、その場を去った。



 朝っぱらからどっと疲れた、と心なしか覇気のない姿で街に繰り出したソルは視界に映るものすべてに辟易していた。どこを見てもカイがいる。盛大を通り越して気持ち悪い。

 ――誕生日っつーのは、その人が生まれてきたことを感謝する日なんだぜ? そんで、出会ってくれてありがとうって気持ちで祝うんだ。
 ――だってオヤジ、母さんと同じじゃん。
 ――プレゼント…! ちゃんと用意しとけよっ。

 ソルは大きく舌打ちして、祝祭ムード一色の街へ足を踏み出した。
 プレゼントって言われてもな、と花屋だのアンティークショップだのが並ぶ通りをぼんやり眺める。
 ソルはカイの誕生日を一度として祝ったことはない。お誕生日おめでとう! だなんて笑顔を交わす仲ではないし――うっかり満面の笑顔を浮かべる自分を想像して吐き気を催した――今まで共に過ごした時間など微々たるものだ。会えば、一秒後には「勝負しろ」だった以前に比べればマシになったが、いまだに呼び出す際に手配書貼りだす嫌がらせをしてくるし、どう考えても誕生日を祝う仲ではないはずだ。
 ソルが何度目かの溜め息を漏らしたときだった。
 ニャア。やけに耳につく鳴き声が聞こえて振り返る。路地に向かっていく猫が視界に入った。飼い猫だろうか。野良にしては、真っ白な毛並みが美しかった。
 ぼんやり純白の猫を眺めていたソルの横を親子が通り過ぎる。
「教会に行くの?」
「ええ、そうよ。お祈りしましょう」
 長いブロンドを揺らした女性の胸もとで揺れるロザリオ。
 通りに面した小さい店でさえ、誕生日おめでとう、と庶民的に祝っている。
 猫。十字架。横幕。そのすべてが既視感を呼び起こし、ソルはろくに思い出しもしなかった記憶が鮮明に眼裏に蘇るのを茫然と受け止めた。
 聖騎士団の食堂は飾り立てられていた。あのときも鬱陶しいと思ったが、あんなもの比にならないくらいの規模の祝福が街を――……いや、国全体を包んでいる。

 ――……おめでとうって言われるのが怖いんです。

 脳裏を過ぎったいつかの日の少年の言葉に、ソルは舌打ちした。あれから、あいつが背負う祈りの数は増えただろう。この国のどこを見たって、カイ様カイ様カイ様、だ。その希望を享受するだけして、救済を求め続ける祈りを、あいつは一々抱えていくのだから馬鹿が過ぎる。あいつが望んだ道だとしても、あの日抱いていた少年の罪悪感は余計に増しているに違いない。
 あいつは、誕生日なんて祝われたくないんじゃねぇのか。
 あの日が唯一だった。唯一、誕生日の話題が二人の間であがった。あがっただけで、おめでとう、などと柄にもない言葉を吐いた覚えはない。
 欲しいものはあるか、と聞いた。誕生日などお構いなしに化け物の襲来を知らせる警報が鳴った。少年は、ギアのいない世界がほしい、と言った。少年は俺のことを何も知らなかった。それでも、残酷だ、と思った。同じ世界を望んではいたが、正面切って言われるのは、あのときひどく荒んでいた心に追い打ちをかけた。こんな身体になってまでも生存欲求は湧くのかと、嫌厭が増した。冗談です、と少年は笑った。

 ――……この戦争が終わり、争いのない世界になったら……いつか、ソルの誕生日を祝いたいな。その〝いつか〟をプレゼントにしてください。

 嗚、とソルは思わず空を仰いだ。あの日もこんなふうに雲一つない晴天だった。あんなもの、子どもの戯言だ。あいつはもう覚えてもいないだろう。それでも。
 ソルは踵を返した。街に繰り出す必要はなかった。街の中に、あいつの欲しがるものはないと思えてしまったから。