02

 

「ロベルトはさすがです」

 ロベルトの料理を食べながら、平賀がふと口を開いた。

「何が
「先程、突然駆け出したから驚いたんです」
「ああ、君に何も言わずにすまなかったよ」
「いえ、いいんです。貴方の姿を追ったら少女の足元に貴方が膝をついていました。手をそっと握って微笑んだ貴方はとても綺麗でした」
「え、…
「何だかその景色は神聖な絵画のようでしたね。ロベルト神父の心が綺麗だからこそ、そのような光景に見えたのです」

 そう平賀は何でもないことのようにさらりと言って、「これ、とても美味しいです」と言葉を続けた。
 いつだって彼はこうやってロベルトの気持ちを清いところまで引っ張り上げてくれるのだ。いつも、いつも。
 だからこそ、強い罪悪感が湧く。彼の隣にいるのが相応しいと思えなくて。

「ロベルト 考え事ですか
「え あ、いや、ごめん。何か言ったかい
「悩み事があるのですか 最近ぼんやりとしていることが多いですよ。私でよければ話を聞きます」
「いや、悩みなんて別にないよ」
「そうですか

 平賀は少し哀しげに微笑んだ。

「本当に悩みはないんだ。君には話せないとかではないから、君がそんな顔をする必要はないよ」

 こうしてまたロベルトは嘘をつく。それでも、悩みの内容を言えるはずがなかった。

「貴方はいつもそうやって…」
「ん

 平賀が発した言葉は小さくて聞こえなかった。聞き直すと「何でもありません」と返ってくる。

「ごちそうさまです、ロベルト。今日のお料理もとても美味しかったです」
「お粗末さまでした」

 綺麗に食べてくれた平賀に笑って片付けるために席を立つ。平賀も皿をさげるのを手伝ってキッチンまでついてきた。
 食器を洗おうとスポンジを手にしたところで、そっと背中に温かい手が触れた。

「平賀

 どうしたのかと振り返ろうとすると、「そのままで」と強めに言われた。

「…どうかしたのかい
「………」
「ひらが
「ロベルト…、」
「うん
「………いいえ、何でもありません」
「平賀、どう…」

 どうしたんだ、と続くはずの言葉が平賀によって遮られる。

「何だか羨ましくなってしまいました」
「何がだい
「迷子の少女です」
「どうして
「…なぜでしょう」
「ええ わからないのか
「ふふ、ロベルトに抱き上げられてたのを見ていたら何だかそう思ったのです」
「それは…あ、そっか」
「何です
「親が恋しいとか、」
「え
「君は少し子どもっぽいからね」
「そんなことないです」

 背から平賀の手が離れたため、振り向くと彼は少しむっとしていた。そんな表情が子どもっぽいんだと笑みが零れる。

「そうかい 何なら抱き上げてあげるよ」

 そうロベルトが言うと、平賀はきょとんとしてからくすくすと笑った。

「ロベルトが私をですか それは面白い光景です」
「はは、確かに」
「それはやめておきますが、こうしてもよろしいですか

 平賀はロベルトの左手を両手でぎゅっと握った。

「これはどういうことだい
「貴方のことが好きだなと再確認したのです」
「…それは嬉しいね」

 にこりと微笑んだ平賀に、ロベルトは一度目を閉じてからゆっくりと開いて、

「僕も君が好きだよ」

 弟に対するような親愛の響きになるよう意識しながら、そう言った。
 それを聞いた平賀はふわりと花咲くように破顔する。天使のようは微笑みだ。それは平賀を通して天がロベルトを咎めているような気がした。
 平賀は「残りのお皿、持ってきますね」と言ってロベルトの傍を離れた。
 ロベルトは歪んでしまったであろう顔を隠すためにシンクを振り返らず、料理道具を片付けているふりをぢた。高鳴る心臓が五月蝿い。
(すまない、平賀)
 どうやったって自分の気持ちの中から彼への想いは消えそうにない。
 だからこうして、今日も罪を重ねていく。



 カチャリ。
 重ねた皿が音を立てる。その音にはっとして平賀は皿が傷ついてないか確かめた。問題ないことにほっとしながら、キッチンのほうへ顔を向ける。
 ロベルトは皿を洗う前に何か別のものを片付けているのだろう。男らしい広い背中しか見えなかった。その背を見ながら、平賀は哀しげに目を伏せる。
 ロベルトは何か悩みを抱いているのだろう。最近の彼は何か考え事をしたり、辛そうに瞳を伏せることが多くある。それでも彼が自分に何か相談することはない。
(あのときもそうでした…)
 ソフマ共和国へ奇跡調査に行ったとき、やせ細っていく彼は自分に何か言うことはなく、ずっと一人で戦っていた。
(…あんな恐怖の中で)
 自分が力になれるかはわからない。それでも、大したことができなくても力になりたい。そう思うほど大切な人なのに。

『僕も君が好きだよ』

 先程のロベルトの言葉は平賀が引き出したものだ。彼ならそう言ってくれると思った。
 その言葉を聞いて安心する。それを聞くと、それだけでいいのだと思えてしまった。その気持ちさえあるのなら、それだけでいいと。
 彼の悩みを解決することも、ましてや聞くことさえもできないのに。
(こんなにも大切なのに)
 今日、ロベルトが迷子の少女を救ったときふと思った。彼は可愛らしい少女を愛おしそうに見つめていた。もしかしたら無垢な少女はあの瞬間、彼の悩みを少しでも和らげたのかもしれない。そう思ったら、ズキリと胸が締め付けられた。
 自分以外の誰かがロベルトの悩みを解決する。いいことのはずなのに、嫌だと思ってしまった。そんなふうに思って勝手にロベルトを縛るような自分が怖かった。
 何でこんな気持ちになるのだろう。そんなことすらわからない。
 誰よりも近くにいたいと願う人さえ救えなくてどうするんだと、頭の中でもう一人の自分が歪な笑みを浮かべて嘲笑っている。
 それがとても怖かった。このままだと罪を重ねていくような気がして。


「平賀

 強く呼ばれた名前に弾かれたように顔をあげる。
 いつの間にかロベルトがスポンジを手にシンクに向き合っていた。

「どうかした ぼーっとしてたけど。お皿、持ってきてくれるとありがたいんだけどね」

 ロベルトは微苦笑しながら泡まみれのスポンジを平賀に見せて、言外に洗いたいんだけどと告げる。

「あ、すみません すぐ持っていきます」

 慌てて皿を持っていくと、ロベルトはくすくすと笑いながら言う。

「まーた考え事にのめり込んでいたんだろう。君のほうを向いたら難しげな顔して皿を見つめていたから、驚いたよ。この皿に科学の問題でも書いてあったのかい
「確かに難しい問題でした」
「ええ 本当に何か問題でも解いていたのか」

 さも可笑しいというようにロベルトは笑っている。
(ええ、そうですよ、ロベルト。これはとても難しい問題です)

「大丈夫さ」
「え

 ロベルトはパチリとウインクした。

「きっと解けるよ。何なら僕も手伝うから」
「ロベルトも
「もちろんだ。危険なこともあったけど、今まで二人で乗り越えてきただろう 君と僕なら解決できるさ」

(ああ、貴方はいつもそうやって私を引き上げてくれる)
 深い罪の海の底に沈みそうな身体を彼が力強く引っ張り上げてくれた。

「ええ、そうですね」

 そう答えると、ロベルトは嬉しそうに目を細めてから快活に笑った。それはいつも彼が見せる眩しい笑顔だった。
 その笑顔を見て思うのだ。この人の幸せを守りたい、と。

 

 

2014.3.6