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01
何でいなくなっちゃったの。
ヨゼフ。ねぇ、ヨゼフ。行かないで。僕を置いていかないで。君のおかげでやっと世界がひらけたんだ。僕を独りにしないでよ。もう独りは嫌だよ。君が教えてくれたんだよ。独りってとても寂しいことだって。君という暖かさを知ってしまったのに、独りには戻れない。
行かないで。僕を独りにしないで。
――ロベルト。
優しくて暖かい声がロベルトを呼ぶ。
行かないで、と手を伸ばした先のヨゼフは、慈しみが無限に広がるその瞳を悲しそうに不安げに歪めた。ヨゼフの身体が透き通っていく。そのまま消えていこうとするヨゼフにいくら手を伸ばしても届かない。
待って。行かないで。嫌だよ。
ヨゼフ、ヨゼフ!
「ロベルト神父! ロベルト!」
ゆさゆさと身体を揺さぶられてロベルトは目を覚ました。勢いよく身体を起こすと、ベッドの傍で平賀が心配そうな瞳でロベルトを見つめている。
「ひら、が…?」
「はい、平賀です」
窓から入る暗闇が夜の訪れを知らせていた。
なぜ自分がベッドで寝ていて、平賀がここにいるのか、ロベルトは働かない頭を必死に動かすが、なかなか疑問の答えに辿り着かなかった。困ったように眉尻を下げると、平賀が救いの手を差し出すように口を開いた。
「貴方は私をディナーに誘ってくださったのです。それでロベルトの家へ来たのですが、今日はお互いランチが遅かったということで、まだご飯にするのは早いということになりました。私は本を読んでいたのですが、ロベルトは掃除をすると言って。私は思わず貴方のコレクションの本に夢中になってしまって、暗くなってだいぶ時間が経っていることに気づいたのです。それでロベルトを探してここに来れば、貴方は寝ていたのですが魘されているようでしたので…」
そうだった。料理を作るのは早くて掃除をしていたのだ。それでもロベルトは掃除を怠るタイプではないので、あまり掃除するところもなく軽く片付けるだけで終えてしまった。まだ時間はあるな、と少しだけ休むつもりでベッドに横たわったのだった。それでそのまま寝てしまったらしい。
「大丈夫ですか?」
黒耀の澄んだ瞳が心配や不安を含みながらロベルトを見つめる。
それが夢で自分から離れていくヨゼフの瞳と重なった。ロベルトはぎゅ、と拳を握りしめて湧き上がる悲しみをやり過ごす。夢の中の若い自分に戻ったように、寂しさが身体中を渦巻いて冷えていくようだった。
ヨゼフ、とロベルトは口の中で呟く。
「ロベルト」
きつく握られたロベルトの拳を包み込むように、平賀の女性らしい手が触れる。平賀は困ったように微笑んでロベルトの拳を包む手にぎゅっと一度だけ力を入れた。
「ディナーは外で食べませんか」
困ったような微笑みを浮かべながら平賀はそう言った。頷けば、安堵した吐息が小振りな唇から漏れた。
一緒にロベルトの家を出てレストランに向かう。
平賀と話すとき、彼は思考の海に沈んでしまうことが多いのでロベルトが話をふることが多い。ところが、今日の平賀は自分の得意分野を話しているわけではないのに、いつになく饒舌だった。
「ロベルトはかぐや姫を知っていますか?」
「かぐや姫? 竹取物語だよね」
「ええ。さすがロベルト神父ですね」
「日本の御伽噺だ。君は馴染み深いのかな」
「そうですね。私はアメリカで育ちましたが、かぐや姫の絵本は家にありました。かぐや姫は最後に月に帰ってしまいますが、帝にあるものを渡します」
「不死の薬だ」
「そうです。けれど帝はその薬を飲まずに、日本で一番高い山…天に近い山でその薬を燃やすのです」
「それが富士の山だね」
「はい。私には人を想う気持ちがどうにも難しくてわからないのです。あなたは帝の行動をどう思いますか?」
突拍子のない話題だった。それでも平賀がどこか必死な面持ちで話を続けるので、ロベルトは相槌を打って彼の声に耳を傾けた。
平賀は次々といろいろな物語の話をロベルトに話した。主に日本の物語が多かった。ロベルトはあまり日本の本には深く知識を持っていないため、彼の話す内容に胸を高鳴らせながら聞いていた。
「日本か。僕もいつか行ってみたいな。かぐや姫の話で、帝が燃やした不死の薬の煙は今も雲の中に立ち昇っていて、その時に山頂に積もっていた雪が決して溶けることがなくなったと言われてるらしいね。そんな富士山も見てみたいし、東洋の神秘とやらにも触れてみたいね」
「そのときは、一緒に行きましょう」
「え?」
「嫌ですか?」
「いいや、そんなことはない。楽しみだ」
ロベルトが笑うと、平賀はなぜかほっとしたような顔をした。
これはまだ、二人が出会って間もない頃のことだった。