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Daydream play:14
「交通事故がゼロになる日も近いですね」
目の前のデスクに浮かび上がるデータを眺めていた祖国に言う。時代の進化とは凄まじい。自動運転万歳。
「祖国様、今日はもう上がりでいいですよ」
電子端末を操作して電源を切る。そう言わなければ、彼はいつまで経っても仕事を続けるのだ。
「え? いいのですか?」
「勿論ですよ。何たって、今日は聖夜ですからねえ」
「おや、共に過ごす恋人がおいでなのですか」
「ええ、まあ…」
「それで早く帰りたい、と」
「いやいや…そんなんじゃ――」
「顔にそう書いてありますよ」
「えっ」
「ふふ、冗談です」
「あー…祖国様は共に過ごす方はおられないのですか?」
そう言うと、きょとんと丸くなった目が見上げてくる。
「私にそういう人がいるとお思いですか?」
「え? そりゃあ、いてもおかしくはないじゃないですか。結婚…は無理でしょうけれど、内縁関係なら問題ないでしょうし」
そう言った途端、驚いたような顔のあと小さく漏れた笑みに目を丸くする。
「変なこと言いました?」
「いえ。昔、同じようなことを言った人がいたなあと思い出しまして」
「はあ…特段珍しい言葉ではないと思いますが、よく覚えておいでですね」
「あの頃は珍しかったんですよ、私にとって」
「え、恋愛禁止とかあったのですか?」
「いえいえ、そんなアイドルみたいなことはありませんが、私自身がそういったことに振り回されたくなかったのです」
ところで、と彼は続けた。
「私に…懇意にしているような方がいるように見えるのですか?」
「え?」
まるでそう見えていてほしくないというような物言いだった。彼の想い人。普段あまり表情の変えない彼は、それでもふとした瞬間、ひどく寂しげに微笑うことがある。手の届かない月にでも焦がれるような熱情の灯る双眸を、いつの日か垣間見てしまったことがあった。彼は私とは根本的に違う。存在そのものが。だから、私には到底計り知れない葛藤があることは想像に易い。
私に力になれることがあるなら、と言うのは烏滸がましかったし、きっとそこに触れてほしくはないだろう。だから、冗談交じりに答えた。
「えーっと…フランスさんとか、ですね…」
ふ、と堪えきれなかったように噴き出された笑声に安堵した。彼は面白そうに私を見た。
「フランスさんですか?」
「ええ。だってよくお会いになっていません?」
「あの方、心配性なんですよ。未だに気にかけてくださっているようで」
「何をです?」
「彼は愛の国として、私の心のケアを請け負っているのです。勝手にですけど」
「えーっと…つまり祖国にはお相手がいる、ということで?」
「ええ。今となってはもう、片想いみたいなものですが」
瞬間宿った寂寞の色に、咄嗟に言葉が出てこない。彼はそんな私に気付いて、綺麗な微笑で糊塗した。
「……どういう方なのですか」
少しの沈黙のあと、うっかり口を衝いて出た質問は相手を慮っていないこと甚だしく、自己嫌悪が湧く。それでも彼は気にしたふうもなく、「そうですねえ」と昔――がどれだけ長い歳月なのかはわからないが――を思い出すように目を細めた。
「私が憧れるようなひとです」
と、ひどく簡潔に答えられた。
「はあ…憧れる、ですか」
「ええ。私、見てみたかったんですよねえ…あのひとが作る理想国家」
これまた随分と壮大な話だった。というか、やはり相手は御国様なのか。でも、それならば。
「まだ道半ばということですか? いつか見られるかもしれませんね、理想の――」
世辞レベルのどうしようもない返答を、そこまで言いかけて間違えを覚った。彼の伏せられた瞼の先を震わす睫毛が微かに揺れる。エネルギー切れのヒューマノイドのように色を無くした顔を見て息を詰まらせた。
「……見られたらよかったのですけれどね。それはもう叶わないのです。だから、私たちで作りあげましょう。誰もが羨む理想国家を。例え何を忘れても、あのひとがこの国に残した爪痕は消えていないはずです」
それが縋り付く最後の砦だとでもいうような、覚悟の灯る声音だった。ああ、だからこのひとは休む間もなく仕事に打ち込むのだろう。想いびとのつけた爪痕を形にしたくて。あるいは、仕事で頭を一杯にして叶わぬ恋情を塞ぐために。
彼は微苦笑して、恨みがましく言った。
「ひどいひとなのです。早く奇跡を起こしてくれればよいものを」
奇跡? と反復する前に、彼はさっさと帰り支度を始めてしまった。
「では、失礼しますね。彼女さんと素敵な日になるよう祈っていますよ」
これ以上は話さないとばかりに去っていこうとする彼に、慌てて喉を震わせた。
「奇跡なら起きるんじゃないですか? だって今日は――」
「……ええ。そうであると期待して毎度裏切られるのは結構堪えるんですよ」
「え?」
小さな呟きの内容は聞こえなかったけれど、己の発言が何の慰みにもなっていないことはわかった。それでも。
「この国の誰もが、あなた様の幸せを願っていますよ」
だからどうか、彼の仮面のような微笑を本物の笑みに変えてくれ、と彼の誰だか知れない想い人へ願った。
「……このリア充共め、という感想はいつになっても湧きますね」
もう今となっては死語だろうけれど。
クリスマス一色の街中を歩くと、少しの苛立ち――いや、嫉妬か――が当然のように湧く。それでも決して、寒い中を寄り添って歩く恋人たちが嫌なわけではない。心に余裕さえあれば、微笑ましく眺めただろう。
気を余所へやっていたからか、忙しなく駆けてくる足音に気付くのに遅れた。人とぶつかって咄嗟に目を瞑る。これは鍛錬の怠りだな、と思いながら謝罪で喉を震わせた。
「すみませ――」
そうして相手を見遣って瞠目する。
「いや、俺のほうこそ悪――」
互いに中途半端に言葉が消え、しばし呆然と見つめ合った。
ようやく頭が理解に追いついたのか、ドクドクとどんどん速足になっていく鼓動に息が止まりそうだった。きゅうっと心臓が縮むように痛む。
「あー…っと、お前さ…」
鼻の奥がつんとする。目の奥が熱い。あ、だめだ。そう思った瞬間、視界はぼやけた。目前にいる男はぎょっとして動揺する。
「え!? え、なんで泣く!? 俺の顔、そんなに怖えか!?」
的外れの理由に思わず笑ってしまった。泣きながら笑うという何とも滑稽な姿だろう。
「な、何なんだよ、お前……つーかさ…」
ぐい、と顎を持たれて男を見るように上を向く。もう一方の手で優しく涙を拭われて、身体中が一気に熱を持った。
「どっかで会ったことあるか?」
「……え?」
「なんか、初めて会った気がしねえ」
――お前とは初めて会った気がしねえな。
いつかの、それこそ事細かに覚えているとは言えないほど昔の情景が脳裏に蘇った。あのとき彼は演技をしていたわけだが、あの日とそっくりな台詞を紡いだ。
こんな再会とは、とんでもなくドラマチックだ。それこそ、映画の中の空想のよう。
「……わたしも…」
詰まりそうな喉を何とか震わせる。
見上げた先の男は唯一無二の姿をしていた。刃の煌めきのような髪に白磁の肌。鋭さのある目もと、そこから覗く稀有な瞳。血汐を思わせる赤と、澄んだ空の青。その二つがせめぎ合い、それは一日の始まりに曙光を齎す空模様に似ていた。自信と野心に溢れた精悍な顔つきも、軍人然とした理知的な眼差しも、それらとは裏腹に心のままに様変わりする表情も、それらすべて知っている。
「私もッ、そう思います…!」
堪えきれず、その逞しい腕の中に飛び込んだ。硬くなる身体とか、動揺に裏返る声とか、そんなもの気にもならなかった。彼の記憶がどうなっているかなど知らないが、今はこの奇跡に酔い痴れていたい。
身が裂かれんばかりの激情が身体中を駆け巡っている。心臓は焼けるように痛み、気管は圧迫されたかのように苦しい。これがどんな感情を表す辛苦なのかはわからないが、幸福と名付けたっていいのではないか、と私は愛するひとの腕の中で笑った。
*
グラスの中の氷がカラン、と軽快な音を立てる。今となっては珍しい高級品となった煙草の煙を燻らせながらそれを茫と見遣る男を上から下まで眺めて、思わず笑った。
「そんなに見んじゃねえよ、えっち」
「お兄さん、えっちだもーん」
「うぜえ」
嫌そうに眉を寄せる様も、久方ぶりに見ると微笑ましい。堪えきれず漏れてしまう笑声には我慢してほしい。どうしたって笑みが零れてしまうだろう。こんな素晴らしい出来事には。
「いやー、正直俺はほっとしたよ」
「俺様はぞっとしたけどな」
「えー? 何がよ?」
「だってこんなことあり得るか? あり得ねえだろ」
「お前ったら夢がないんだから。お前らの…というか、お前を一途に想い続けるあいつの執念じゃない?」
「だから、ぞっとするっつってんだ」
「またまたぁ…嬉しいくせに」
「うっせえ。あいつマジもんの馬鹿だぜ。大馬鹿野郎だ。あのひん曲がった性格は死んでも治らねーだろうよ」
「お前に言われちゃおしまいだね。ってか、あいつの性格悪いとか言うのお前くらいだぜ?」
「おーおー何年経とうが、どいつもこいつも騙されてやがんのか。馬鹿ばっかだな」
「ええー、だってあいつおとなしいし、優しいし、可愛いし、」
「羽振りいいし?」
「うん、まあ」
「何も変わってねえな、ほんとに。誰にでも優しいのは誰にでも優しくねえのと同じだろ。あいつの八方美人は、つまるところ誰も特別じゃありませんよーだぞ。そんで自分だけは平和に過ごしたいっていうぼっち気質の傲慢な爺だぜ」
「それでそのお爺ちゃんの唯一の特別がお前…ってのが一番の不思議なんだよねえ」
「あいつ変わってるからな」
「それ自分で言っちゃう?」
「必要ねえもんを必要だって言い張る馬鹿だ」
「ばかばか罵倒しまくってるけど、鬱憤溜まってんの? なんで?」
「あー何か苛つくんだよな。あいつのこと考えると。そもそも一世一代の告白すら喧嘩腰だったしよ」
「……お前らの愛って変わってマスネ。ってか、その話詳しく」
「やだ」
「けちー」
「あんなん俺とあいつだけが知ってりゃいいんだよ」
「惚気か」
「どこをどう聞いたら惚気に聞こえんだ」
「…まあ、とにかくめでたしめでたしってことで…こんなとこで油売ってないで嫌ってほど傍にいてあげなよ」
「……ああ。まー取り敢えず平和ボケしまくってる爺さんをしごくとこから始めるか」
「はあ? なんでだよ…その軍国気質は治らないのかねえ」
「治んねえよ。これが俺様だ」
「そうでしたー。ってかさ…実のところほんと何でだろうね」
「あ? 何がだよ」
「お前の復活。ほんとにお前が奇跡起こしたの? マリアwwwだから?」
「笑ってんじゃねえよ! つか、そんなん決まってんだろ」
「え、なに?」
「愛の力」
「ぶっ、」
「ケセセセ、」
「似合わねー!」
「だな!」
顔を突き合わせて笑う。
一頻り笑ったあと、目尻に浮かぶ涙を強引に拭った。これは笑い泣きだ。そうだ、そうに違いない。
その姿を横目で見ていた男は、彼の蜂蜜色の髪を撫で回したくなる衝動を抑えるために煙草で気を紛らわした。今さら謝罪を口にしようだなんて思わないが、泣きたくなるような気持ちになるのは確かに罪悪感があるからだろう。余計なものを背負わせてしまったという自覚はある。
(…本当にあいつの執念かもな)
この奇跡は。あるいは、この地にいる神々があいつと民の願いでも気紛れに叶えたのかもしれない。それともただ単純に輪廻のサイクルが世の理としてあっただけなのかもしれない。そのどれだろうと構いやしないが、このロマンチシズム溢れた物語の始まりは決まっている。
取り敢えず、伝えるところから始めようか。絶対に幸せにするだなんて無責任なこと、とてもじゃないが約束できない。俺はお前に最大の幸福を与えてやることはできない。わかっている。俺はお前に相応しくない。それでも、正真正銘何も背負うものがなくなったただ一人の男として、生涯懸けて精一杯愛するから、どうか。
お前のその生涯を懸けて俺を愛してくれ、と。
お前を苦しめてでも、哀しめてでも、傷つけてでも、お前の愛情が欲しい。お前の苦しみも憎しみもすべて俺に向けばいい。有り体に言えば、お前のすべてが欲しい。そんな安っぽい口説き文句みたいのことを本気で思うのだからどうしようもない。ひどく愚かで滑稽な望みだ。
我が儘に、理性など取り去った剥き出しの心で、盲目に、望んでいいか。
そう伝えたのならお前は笑うに違いない。あの日のたった一握りの幸せを掴んだだけで安堵したような顔じゃない。心からの笑顔で、それでも憎たらしく嫌味を込めて応えるだろう。千年の恋などという愚かな覚悟を自慢気にひけらかしながら。
「遅いですよ。私はとっくに愛しています。生涯を懸けて」
End.
2017.1.24
(終わり)