Daydream play:04

 

 駅前はそれなりの多くの人の姿で溢れていた。冷えた外気に手を擦り合わせながら、待ち合わせ場所へと向かう。時期が時期なだけに、この辺も夜になれば無数の光源に彩られ、さぞ美しいイルミネーションを見られるに違いない。
 周辺には同じように誰かと待ち合わせしている人がたくさんいた。寒そうに手に息を吹きかけていた女性が、顔をあげて誰かを捉えた瞬間、瞳を輝かせた。みるみるうちに喜色が広がっていくその様から目が離せなかった。あのひとも同じような顔をしていなかっただろか。女性のもとへ駆けてきた男性が彼女を掻き抱いた。周りはそれを少し驚いたように見たが別に騒ぐことはない。見た感じでは、感動の再会か何かなのだろう。男の大きな手のひらが彼女の頬を覆う。その手に己の手を重ね、瞳に溜まった涙を静かに滑らせながらも彼女は笑っていた。
 茫と見つめていたそこから慌てて視線を逸らした。まじまじと見ていいものではない。今朝方見た懐かしい夢が脳裏から離れずに、名も知らない女性と、夢の中の異国の娘を勝手に重ね合わせてしまった。そして、あのひとまでも彼女たちと重なって見えた。それが不可解で、胸に渦巻く得体の知れない感情が気持ち悪かった。
 目的の人物はすぐに見つかった。私のほうが早いと思っていたが、彼はもう着いていたらしい。あの店で会う仕事帰り――(という設定であるが)――のスーツ姿ではない彼の姿に鼓動が僅かに音を速めた。彼の私服姿は珍しいものではないはずなのに。会うことは少ないが、それでもその少ない遭遇では彼は私服姿であることが殆どだ。むしろ、フォーマルな姿をしているほうが珍しい。それなのに、まるで初めて見たと高鳴るのは、自分も本田菊という人間に染まっているのかもしれない。それが怖ろしく、けれど高揚をも感じているのだから、本当にどうしようもない。
 どこのモデルかと突っ込みたいほど、彼は様になる姿で悠然と立っていた。黒のスキニーパンツに白のフランネルシャツ、ネイビーのチェスターコートにワインレッドのマフラー。黒のスキニーと同じく黒ではあるが光沢のあるオペラシューズの僅かな間に見える透き通るような肌が男の色気をも醸し出していて、本当に雑誌に写るモデルのようだった。日本ではなかなかお目にかかれないプラチナブロンド、高身長ですらりとした、けれど雄々しい逞しさを感じる肢体、手もとの本に落とした赤と青のせめぎ合う類稀な瞳。彼のいるところだけ周りとは切り離された別世界のようで、明らかに目立っている。
 彼へ向かう私の足が止まったのは、一人の女性が彼に近づいていったからだった。長く艶めかしい黒髪を靡かせた女性は、冬服の厚い出で立ちでもわかるくらいグラマラスで、あまり日本人然とはしていなかった。海外の綺麗なセレブのように見えるなあ、とぼんやり思う。彼は声をかけられて気怠げに本から顔をあげた。二、三言会話を交わしたようだったが、彼の顔に笑顔が表れることはなく、整った顔立ちの所為で怖い印象にしか見えなかった。それでもめげない女性は積極的に話しかけている。
 美男美女、何ともお似合いだ。そう思った瞬間、足は動いていた。

「ギルベルト君」

 お待たせしました、と小走りで彼のもとへ行く。勢い余って、君付けで呼んでしまったが仕方ない。
 私の声に弾かれたように、こちらを向いたギルベルトは片手をあげて応じた。女性に向けていた面倒臭そうな表情は一変して、子どものような輝きの乗る瞳が私を見る。みるみるうちに喜色で彩られる表情。まるで、先程見た女性に似たそれに身体が熱くなる。

「菊…
「っ、」

 ドクン、と心臓が熱を持った。思わず砕けた感じで呼んでしまったからか、彼までもそんなふうに呼んできた。びっくりして何も言えずにいると、ぐっと肩を抱かれる。「連れが来たから」と冷めた声音で女性に言って肩を抱いたまま歩き出す。つられるままに足を動かしながら、横目で捉えた女性は私を睥睨していた。無意識に口角があがる。女性の瞳が何か怖いものでも見たかのように変貌するのを最悪な気持ちで眺めた。一瞬でもあの女性に対して優越感を抱いたことが気持ち悪かった。昏い自己嫌悪が襲う。
 違う、私はただ困っていたギルベルト君を助けたかっただけ。誰に聞かせるでもない言い訳をまたひとつ重ねた。

「菊

 どうした、と心配そうな顔で覗き込まれて慌てて思考を切り替える。

「あの…お待たせしてすみません」
「いんや、俺も今来たとこだし。つーか、手冷たっ

 肩を抱いていた手が降りて、なぜかそのまま手を掴まれた。触れた彼の体温は私よりも熱くて、驚いて手を引く。

「何で手袋つけてこねえんだよ
「忘れたんですよ。気付いたのは家を出て大分経ってからで…」
「もうボケが始まったのか」
「…忘れ物くらい誰でもしますよ。そもそも、あなたもしてらっしゃらないじゃないですか」
「俺様はいいの。寒さに負けるほど軟な身体じゃねーもん」

 引いた手を再度掴まれる。離そうとしてもさらに強く掴まれるだけだった。おかしいだろう、こんなのは。

「あの、なぜ手を」
「あっためてやるぜ。俺様、超優しいだろ
「い、いやいや、おかしいでしょう」

 男同士で、こんな手を繋ぐようなことは。

「別にいいだろ。それに迷子対策でもあるしよ」
「……誰が迷子になるんですか」
「俺様」
「はい
「だあって、日本の土地勘ねーし。ドイツから来たばっかだって言っただろ」

 ゆらゆらと子どものように掴まれた手を揺らされる。もう寒いだなんてこれっぽっちも思っていなかった。彼だって私の手の熱に気付いているはずなのに、離そうとはしなかった。迷子対策という言い訳のままに。

「じゃあ、せっかくだし手袋買おうぜ 俺がお前の選ぶから、お前が俺のを選べ」
「はあ…あの、今日の予定はあなたが立てたんですよね
「ん おう。行きたい場所はって聞いてもどこでもいいって寂しいこと言うから、仕方なしにひとりで決めてやったぜ」

 随分と嫌味ったらしい言い回しだ。仕方ないだろう。ギルベルトと出掛けるといっても、すぐにどこに行きたいだなんて考えられるわけもない。

「ショッピングする暇があるんですか」
「どんだけきつきつの予定だと思ってんだよ。余裕くらいあるだろ、普通」
「…何となく分刻みで予定組みそうだな、と」
「ねーよ 映画まで時間あるし、先に手袋買いに行くぞ」
「映画見るんです
「ああ、定番だろ」
 何のですか
「…あーいや何でもねえ」
「はい
「あーもう とにかく行くぞ

 ぐいぐいと手を引っ張れて、引き摺られるようにそのまま着いていく。まったく、土地勘がないとはとんだ嘘だ。完全にわかってるじゃないですか、道。くす、と漏らした菊の笑声を聞いて、振り返ったギルベルトも満足そうに笑った。



 手袋の入った小さなショップバックを手にしたギルベルトに連れていかれた先は小さな劇場だった。こんな場所があるなんて知らなかった。飲み物も食べ物も売っていない。そのまま少し寂れた映画館に足を踏み入れる。
 規模が小さいからだろうか、スクリーンはやけに大きく見えた。客もまったくいないわけではない。ぽつりぽつりと席は埋まっているが、誰もが一人で来ているように見えた。そんな中を男二人連れ添って、一番の後ろの席に着く。彼は特に何を話すでもなく無言だった。
 程無くして始まった映画は昔のものの再上映らしい。少し古くさい映像は、だからこそ今見ると味がある。映画に詳しくないため、これが有名なものなのかマイナーなものなのかはまったくわからなかった。ただ恋愛映画のようだ。
 意外だ。彼がこのような映画を選ぶなんて。てっきり派手なアクションものか、重厚なミステリーものか、と予想していたものだから面食らう。ちら、と横目で窺った先のギルベルトはやけに真剣な眼差しでスクリーンを見つめていた。
 あなたなのね、とスクリーンの中の女優が紡いだ。恋の始まりを予感させる。

『Come back to me.

 ――帰ってきてね。
 そう言っている。私のところへ帰ってきて。どうにも胸をざわめかせる台詞だ。劇中を流れる甘くも切ない旋律が余計に心臓を高鳴らせる。
 映画の内容はタイムトラベルもののラブロマンスだった。正直、突っ込みたいところも多々ある内容ではあるが、それを超えてまでも胸を打つロマンスだった。Is it youあなたなの。その台詞通り、運命の出会いを果たし結ばれる二人。時空を越えた愛は、けれど束の間のことだった。どうしようもなく切ない。そんな気分にさせられた。
 流れるような切ない旋律が上映後も耳にこびりついて離れなかった。スクリーンの中の女性は、恋人との大切な思い出をオルゴールに閉じ込めて、会えない間もずっと彼を思い続けていた。その深い愛には感服するが、人の一生は百年にも満たない。その苦しみも切なさもたったの数十年足らずで終わるのだ。人からすれば長いその時間も、にとっては――ああ、いけない。いらぬところまで思考が飛びそうで慌てて断ち切った。
 外へ出た途端に肌を刺す冷たい外気が痛く感じた。未だ無言でいるギルベルトを見上げて喉が引き攣る。彼の椿のような瞳が何かに焦がれるように揺れているのを見て、腹の奥底がぎゅうっと痛んだ。

「……幸せな、」
「…あ
「幸せな結末がよかったですよね」

 私はハッピーエンドが好きだった。子ども向けの手放しの物語で充分だった。そうして彼らはいついつまでも幸せに暮らしました。そう使い古された文句で終わってほしい。それがどんなに現実離れした夢想であっても。そのほうがよっぽどよかった。

「…幸せな結末なら、あいつらはあんなに求め合わなかっただろ」
「え
「時間に限りがあるから、強く執着すんだろ」
「…………」
「今この時間が永遠じゃないと知ってるから」

 重なった視線は逸れることがなかった。その強い眼差しが何かを訴えるように私を貫いている。彼が訴える何かに気付き始めていて、それでも気付くことから逃げた。私は必死にその眼差しから顔を背ける。
 それでも私は嫌だ。逃げやがって、と罵倒されようと構わない。私は違う。永遠じゃないと知っているから、執着したくない。認めたくない。この感情を認めてしまえば、きっと私はもう正気ではいられやしないから。

 

(続く)