君に捧げる詩:11

 

「ドイツさん、私は変わりましたか?」

 桜の木の下、そう言って見上げてくる黒曜に意図がわからず首を傾げる。
 「……一度、」と続いた声は、胸の内を少し明かしたからか、ちょっとだけ柔らかく聞こえた。

「一度、ひどく落ち込んだことがあります。イギリスさんと同盟を組んだとき、私はこれでやっと国際舞台に立てたと、あの方たちの隣に立てたと思っていました」

 けれど、と続いた言葉はそれまでより幾分か低くなった。

「決してそんなことはなかった。イギリスさんの手が離れていって……あのとき私、馬鹿みたいに落ち込んだんです」

 話が見えなくて、ドイツは黙ったまま耳を傾ける。

「愚かでした。散々あの方に…プロイセンさんに教えて頂いていたのに。そんな甘い世界ではないと」

 ふ、と吐息するように日本が笑う。

「けれど、きっとあのときを何度繰り返したって、私は同じように歓喜し、同じように落ち込むんですよ。だってそうやってずっと生きてきたのです」

 どこか清爽を含んでいるような、さっぱりとした物言いだった。

「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花、と日本人の心とは朝日に照り映える山桜の花のようだと言った方がおります」

 桜、という単語につられるように花の綻ぶ枝を見上げる。

「昔、桜は生の象徴でした。そのうち散りゆく花弁に想いを重ねるようになり、いつしか武士に擬えるようになって……そして、軍人が国のために散っていくことを重ねた」

 意外だとふいに思った。桜は昔、生の象徴だったということが。儚さに美徳を見出したという、この瞬く間に散ってしまう花は生をも内包するのかと。

「花は桜木、人は武士と言われるほど、武士の精神が根付いておりました。目指すべき人の有り様は武士のような精神を持つ者だ、と。自らの規律を忠実に守り、和のために武を尊ぶのです。私はそうやってずっと生きてきました」

 日本が花弁に手を伸ばした。触れるわけではない、ただ伸ばした手をそのままに噛み締めるように再三呟いた。

「長い長い歳月……和を尊び、武を愛し、生きてきたのです」

 そうやって、ずっと…と彼は言う。

「……今さら、」

 日本は自嘲するような、苦虫を噛み潰したような、そんな顔で唇を歪ませた。

「今さら違う生き方など、そう簡単に出来るはずがないじゃないですか」

 あまり感情を表に出さない日本が不満だとはっきりと示している。

「……あの方もそうなのではないですか?」

 苛立ちすらあった瞳が瞬時に様変わりし、悲哀や寂寞を湛えてドイツを見た。
 ドイツは目を瞠った。そんな簡単なことに気付いていなかった。兄は、プロイセンは、それまで生きてきた世界から切り離された如く、今の世界に馴染めないのではないか。ましてや、民も地も彼にはないのだ。

「あの方は強いられているんです。違う生き方を」

 日本は今一度、桜を見上げた。

「私は……あの戦に負けたとき、本当は桜のように潔く腹を切ってしまいたかった。名誉のため、そうすることが本来の武士の在り方でした」

 日本がドイツを見る。

「けれど私はこうして立っているでしょう? 刀を持てず、腕も足ももがれたような赤子のような様で生きているでしょう? 足掻いてでも縋りついてでも無様にも立っているでしょう?」

 例えば、過去の自分が目の前に現れたとする。そうしたら、その男は鼻で笑うだろう。あるいは、顔を真っ赤にして怒るに違いない。なんて様だ、と。自分を守る武器も持たなければ、盾もない。武器を握る手すら、もしかしたら。ひとりで歩いていける足すらも、きっと。もしかしたら、泣き喚けるだけ赤子のほうがマシかもしれない。少し前まで、声すら失っていた。

「プロイセンさんにお伝えください」

 日本の声は毅然としていた。
 続いた言葉と怒気すら含ませたような日本の声にドイツは目を見開いた。そして意味を理解したとき、くっと喉を震わせてドイツは笑った。それにつられるようにして日本は少し意地悪げに笑って「それから、」と言葉を続けた。



 沈黙が降りていた。プロイセンはもう何を言えばいいのかわからなかった。頭の中に浮かぶのは、イタリアが嫌いだと言った笑顔で言うような軽い慰めの言葉ばかりだ。きっと、そのうちの何を言ったってイタリアの顔が晴れることはない。
 沈黙を破ったのはイタリアだった。彼は何かを言おうとして躊躇って、そして迷いながらも小さく口を開いた。

「あのさ…プロイセン」
「うん?」
「日本がね…」

 日本。その名前に鼓動がわずかに駆け足になる。
 イタリアは「日本が」と口にしたまま、その先を言うかどうかを逡巡しているようだった。先に続く言葉が気になるが、イタリアが発しそうになかったため、こちらから口を開く。

「あいつは元気か?」
「え…? あ、うん…」

 元気だよ、となぜか切なそうな顔で言う。

「そっか」
「日本てさ、本音を見せてくれないよね」
「あいつの性分だろ」
「うん。けどね、俺、一度だけ日本の心を垣間見たことがあるんだ。おまえがまだ壁の向こうにいたときなんだけど」

 イタリアが小さく息を吸った。そして紡がれる旋律。柔らかく包み込むような声が歌を奏でる。

「Des Preußen Stern soll weithin hell ergl?nzen,
 Des Preußen Adler schweben wolkenan,
 Des Preußen――……」

 イタリアから紡がれた短い旋律に目を見開いた。その、歌は。
 ドイツ語難しいや、と笑うイタリアに「……なんで」とからからに渇いた喉から無様な声が漏れた。

「俺じゃないよ。日本が歌ってたんだ」
「……日本が…?」
「日本はね、いつだって本音を見せてくれないんだ。だから日本がいくら傷ついても、辛い思いしても、いつだって慰めるのには手遅れになる。ひとりで全部解決しちゃうから。けどそれは仕方ないんだ。簡単に心を見せられないのは仕方ないよ。だって俺も日本も〝国〟だから」

 イタリアの大きい瞳が強い眼差しでプロイセンを貫く。

「俺はおまえにしか……プロイセン亡国にしかできないことがあると思うよ」

 

(続く)