TOP > Game > Resident Evil > Chris x Leon > ソリタリアの眷恋 > 02
子供たちの騒ぐ声をBGMに公園のベンチに腰かけた。サンドイッチに口をつけながら、何となく視線を巡らせていると、幼い男の子が父親らしき男に駆けていくのが見えた。パパ、と紡ぐ可愛らしい声。それに応える父親は快活な笑みを浮かべて子どもを抱き上げた。その傍に駆け寄ってきた女性は父親の腕の中の子どもの頭を撫でて、優しげに微笑んだ。
その微笑ましい光景に笑みを浮かべようとして失敗した。コーヒーを喉に流し込みながら、彼らの姿から目を逸らすようにしてその場から立ち去った。
間違えた、と思った。晴れていたから外で遅めの朝食でもと思ったが父と母のことを思い出してしまった。いや、思い出そうとして失敗した。幼い頃の記憶は段々と薄れていって、両親の声さえも今では曖昧だ。
それが何となく寂しくて。そんなことを思ってしまった自分が恥ずかしかった。大の大人が子どもみたいに、と。
腕時計を見る。約束の時間にはだいぶ早いがいいか、とクリスの家へ足を進めた。
午後からはオフだから家に来ないか、と誘われて久々に会えることに多少は浮かれていた。俺は丸一日休みだったため、どこかで買い物でもしようかと思ったが、朝に洗面台の鏡で見た自分の顔を見てやめた。鏡の中の自分は嬉しげで、そんな顔をしていることに傷心した。友人に久しぶりに会えるのだから嬉しげでも何ら不思議はないが、鏡に映った自分はまるで恋人にでも会いにいく女のような表情をしていて、堪らなく嫌になった。
嫌な気分を振り払うように公園へと向かったがそれも先の通り失敗した。ああ、なんか今日は嫌な予感がする。当たるんだよな、こういう予感。クリスに急に仕事が入ったりとかしたりして。そんな想像をしてしまい、shit、と吐き出すように言って髪をくしゃりと掻き上げた。
これやる、と何気なく渡された合い鍵を手の中で揺らす。以前、俺がクリスの家の前で寒空の下待っていたことがあり、そんなことのないようにと渡されたものだ。受け取ったときの胸の高鳴りには気づかないふりをして、じゃあ俺も後で渡すよ、と笑って言ったのを覚えている。あのあとすぐに合い鍵を作ったが、そういえばまだ渡していなかった。
まだ帰宅していないだろうクリスの家のドアをその合い鍵で開けて中へ入り、リビングの扉を開けたところでレオンは固まった。
ソファの上で見知らぬ青年が横たわっている。若く精悍な顔つきをした青年は苦しげに呼吸をしていた。体調を崩しているようだった。
「誰…」
漏れた言葉は苛立ちを含んでいて、その理由に対してまた苛ついた。
(…あの男は俺を振り回したくて仕方ないんだな)
レオンは彼が誰だかわからない上に状況も理解できない。とにかく青年が目覚めるかクリスを待つしかないようだ。
呼吸が荒く汗をかく青年の額に触れるととても熱く、高熱を出しているようだった。レオンはバスルームに行き、桶に水を入れてリビングに戻った。タオルを水に浸して絞り、青年の額に乗せる。それに気づいたのか、薄らと目を開けた青年を見つめながら、クリスはこんな病人を家にほっぽって何をやってるんだと眉を顰めた。
本当は胸に宿る自分勝手な苛つきをクリスに責任転嫁しただけなのだとはわかっていたけれど。
ぼんやりとしていた青年がふとこちらに視線を寄越した。彼は俺の姿を見て驚いたのか、辛いはずの身体を瞬時に起こした。
目を覚ましたら見知らぬ人間がいたのだから仕方ない。どう声をかければいいのかわからず頬を掻いた。
「あー…クリスの友人なんだが、その君は……いや、とにかく怪しいもんじゃないんだ。辛いだろうから横になってくれ」
青年はクリスの名を聞いて納得したみたいだが、それでも上体を起こしたままでいる。
「…隊長の、ご友人ですか」
隊長。青年の口から出た言葉に彼がBSAAの隊員だと気づく。
「レオンだ。レオン・S・ケネディ」
彼は俺の名前を聞いて何か思うことがあったのか、少し沈黙してから答えた。
「俺はピアーズ・ニヴァンスです。BSAA北米支部に…ッ、」
そこまで言って彼が咳き込んだため、横になれと促すと首を振られた。仕方なくちょっと待ってろと言い、キッチンから水をとってきて渡すと彼は感謝の言葉と共に受け取った。喉を潤した彼がぽつりと話し出す。
午前に行っていた訓練中に彼の体調不良に気づいたクリスが病院に行けと促したそうだ。彼はそこまでひどいものではないと思い訓練続行を促したが首を振られたという。クリスは仕方なしに帰宅しろと言い放ったが、渋々帰ろうとしたピアーズにふと思い立ったように俺の家に来いと言ったらしい。住所を書いた紙と鍵を渡されてここまで来た、と。クリスは彼を一人家に帰すのはまずいと思ったのだろう。クリスらしい部下に対する――いや、家族に対する愛情だと思った。クリスの家に着いたピアーズは突然眩暈がしてそこで自分の体調の悪さが割と深刻なことに気づいたそうだ。それで仕方なしにソファを借りている、と。彼は呼吸を荒くしたまま、どこかレオンを気遣うようにそう言った。
(BSAAの隊員、か)
レオンはピアーズの話を聞きながら、胸に湧き起こる澱みに目を伏せる。
「あの…」
ピアーズが何か言いたげにレオンを見た。どうしてここに、と問いたそうな瞳を向けられる。
「俺は、」
クリスと約束していて。そう言いかけてやめた。約束したと言えば彼が申し訳なく思うだろうと思って、
「ちょうど休みだったから、クリスに会えないかと家に寄っただけだ」
と適当に言っておいた。
「もう辛いだろう。ソファだと身体が痛むし、クリスのベッドを借りたほうがいい」
そうレオンが言えば、ピアーズは躊躇ったようだったが多少強引にその背に手をあて動くよう促すと彼は従った。
ベッドに横たわったピアーズがレオンに視線を向ける。
「あの…俺のせいですみません。隊長はもうすぐ帰ってくると思うので、そしたらすぐに俺も家に帰るつもりですから。それか今すぐにでも――」
そんな殊勝なことを言う彼にクリスが好みそうな奴だなと内心で苦笑した。
「俺が勝手に来ただけなんだから別にいいよ。それに君をそんななりで帰したら、俺がクリスに怒られる」
少し茶化したように言えば、ピアーズは困ったようにしながらも笑った。
病院に連れていったほうがいいだろうかとも思ったが、話しているうちに多少落ち着いたらしい、少し穏やかな呼吸になったのを見て、ゆっくり休めと言うと彼は目を閉じた。ゆっくりと上下する胸に眠ったのだろうかと思って、不躾にもその顔を眺めた。
BSAAの隊員。彼はクリスの部隊で共に戦うのか。クリスの傍で。すぐ近くで。
「隊長、か」
そういえば俺も一応クリスの部下になるはずだったんだよな、とラクーンの警察署を思い浮かべてはそれを掻き消すように首を振った。嫌な光景まで思い出してしまいそうになって。
「…羨ましいな」
隊員を家族のように慈しむクリスを思い浮かべて、思わず羨望の眼差しをピアーズに向けていた。
家族。そう呼べる人を俺は知らない。
それに。この青年はクリスのすぐ傍で。近くで。
「戦って…守ることができるのか」
ああ、嫌だ。こんな醜い感情をこの青年に向けていることが。こんな真面目そうで誠実そうで、先の笑った顔なんてチャーミングだった、そんな青年に対して。
(…泣けるぜ)
嫌な予感的中だなぁと自嘲して、立ち上がった。
クリスとの約束の時間まではまだ少しありそうだった。何か薬とか必要だろうか、と思い至って看病に必要そうなものでも買いに行くかとクリスの家を出た。
そういえば誰かの看病などしたことがなかった。幼い頃、風邪をひいたときに親がしてくれた看病をどうにか思い出しながら、買い物を済ます。クリスの家に向かいながら、ふと買い物袋の中身を見るとゼリーやら果物の缶詰などが入っていた。これじゃあ子ども向けじゃないかと思って苦笑する。そりゃそうだ。父や母が幼い自分に対してやってくれたことなのだから。
看病。思い返してみれば、看病など幼い頃以来されたことがない気がする。身体は丈夫だし、多少体調が悪くても薬を飲めばいい。けれど。
自分は看病をしてくれる人もいない人間なのだと、子どもに戻ったみたいに少しだけ寂しくなった。
体調の悪いピアーズを起こさないようにとゆっくりとクリスの家の玄関を開けると、乱雑に脱がれた上着があってクリスが帰ってきていることを示していた。
リビングのテーブルに袋が置いてある。急いでいたのか、中身が中から溢れていた。スポーツドリンクや薬、熱冷ましのシートなど。クリスが仕事帰りに買ってきたのだろうか。自分の持つ袋の中身に視線を落として、無駄だったなと苦く笑う。
ふいに寝室から声が聞こえた。クリスの声。
「気にするな、家族だろう。辛いときは頼れ。大丈夫だ」
そう遠目に聞こえた声に鳩尾のあたりがぐっと押さえ込まれたように苦しくなる。
『大丈夫だ』
俺が悪夢に魘されていることを悟ったクリスが言ってくれたあのときのことを思い出した。クリスは優しい。誰にでもそう接する人。
(家族か…じゃあ俺はクリスにとって何なんだろうな)
友人。戦友。それはそうだろう。
でも何故だろう、家族という繋がりが今の俺には途轍もなく羨ましく感じて。
ダメだ。今の自分の顔が普段通りである自信がない。彼の前で笑みを浮かべられる気がしない。だから。
咄嗟に気配を消してクリスの家を後にした。
ぼんやりと街の景色を見ながらもたもたと歩いてから、ふとPDAを取り出す。メールを作成しようとしてから、やっぱり声だけでも聞きたいと欲が出て通話ボタンを押した。数回の呼び出し音のあと、相手の声が耳に届いた。
『レオン?』
「…クリス」
『あぁ、ちょうど良かった。今日の約束なんだが、部下が』
「すまない。急な仕事が入って行けそうにないんだ」
クリスの言葉を遮ってそう言った。戸惑ったのか少しの沈黙のあと『そうか』と返ってくる。
『残念だ、久しぶりに会えるかと思ったんだが』
そう本気で言っているであろう声音に罪悪感が湧いた。俺は彼に嘘を吐いている、と。
「…またすぐ会えるさ」
これも嘘。互いの仕事上、会える日なんて限られていた。
『……そうだな』
「悪い、もう行かないと」
『わかった。また連絡する』
ツー、ツー、と通話が切れた音が聞こえても、それを耳にあてたまましばらくぼーっとしていた。
そもそも、ピアーズが俺のことをクリスに話せば嘘だなんてことバレるのに。ああ、でもあの後急な仕事が入ったと思われるか。どちらにせよ、俺が嘘を吐いたのはその通りだし、クリスに不実を働いたみたいで、罪悪感は残った。それでも今は会うほうが辛い気がして。
そう思い至ってから、何もかも自分勝手だな、と自嘲した。
「…最低だ」
まったくその通りだ。自分に対して打った舌打ちが容易く街の雑踏に消えた。