「これより、大罪人カイ=キスクの公開処刑を始めます」

 王城前の広場に集まった民衆から大歓声があがる。
 「裏切者!!」「信じていたのにっ……!」「ずっと私たちを騙していたんだ!」「何が希望だッ!」「人類を陥れた化け物め!」――
 
 バケモノ。一体どっちが。
 中継モニタに映った民の顔は人とは思えない醜さで歪み、唾を汚らしくまき散らしながら喚いている。たった数ヶ月前まで、指を組んで仰いでいた王へと憎しみを向けて。

「肉塊の再生力がどれほどのものか判然としないため、まず首を刎ね、骨身すべてを塵芥に化すまでが刑の執行とする」

 淡々と読み上げられた言葉がいかに残虐極まりないかわかっていないのか、民衆はまるで戦争の勝利に沸くかのように歓声をあげた。
 ……やめてくれ。
 そう落としたはずの声はほとんど音にならなかった。
 レオは王座に拘束され、聖皇庁の兵に剣を突き立てられながら、モニタの向こうの友を見つめることしかできないでいた。

 ――この命で世界の混乱が治まるのなら、わたしは……。でもどうか、私の愛する妻と息子を……頼む、レオ……。

 お前を守れなかった俺を、それでもお前は赦すのだろうな。
 沸き立つ歓声の向こうで腰布だけを纏った痩せ細った生白い肢体が浮かぶ。両手両足を十字に磔にされ、ぐったりと俯いた顔を長い金糸が隠している。その身体に傷など見当たらなくても、その憔悴ぶりに何があったか覚るしかなかった。
 これ以外に道はなかったのか、どこでどう間違えてしまったのか、レオにはわからなかった。この王国への、あの希望と謳われた王への民衆の疑念と憎しみは増えていくばかりだ。
 逸らしたくなる目を懸命に友へと向ける。
 ぴくりと、何かに気づいたように陽の光に瞬く目映いほどのブロンドの頭が動き、顔があがった。その神に愛されたかのような美貌に乗る二つの眼はレオの見知ったそれではなく、赤い赤い血の色を湛えていた。
 市井の悲鳴が耳を劈く。人々の記憶に焼きついた戦争の記憶と繋がる赤に、「化け物ッ!!」と、口々に囃し立てられる。
 その赤い眼が民衆の中に何かを見つけて、そして。
 ――微笑った。
 これから死を迎えるとは思えない、臣民に、人類に裏切られたとは思えない、唯一無二の宝物でも見つけたような無垢な微笑みだった。
 目を見開いたレオの耳に、執行人が斧を振り上げる音が届いた。



「………やめろ」

 沸き立つ歓声の中でその低声は誰にも届かない。

「刑を執行いたします」

 噛み締めた歯が砕け、鉄の味がする。

「……やめろ」

 民衆を掻き分ける手が震える。

「やめてくれ……ッ!」

 執行人が斧を振り上げる。
 目映いほどのブロンドが動き、あげられた顔に乗る赤い眼が俺を見つけた。
 ――これでお揃いだ。
 いつかの日、左目の赤を指してそいつはそんなことを言った。ふざけるな、と返した声は震えていた。嘆きと歓呼の混じった震えだった。お前だけには人間でいてほしかった。これなら同じ時を歩める。矛盾した烈しい情動に掻き立てられ振り上げた拳は、結局そいつを殴ることはなく、重力に従って垂れさがった。前者の思いを封じ、後者の思いだけで生きていこうと思った、その矢先のことだった。
 断頭台の上で、血のように真っ赤に染まってしまった双瞳が撓む。視線が交差する。時が止まったかのようだった。騒ぎ立てる民衆の声も何も常人より優れた耳は拾わない。そいつは俺を見つめ、子どものように無垢に笑った。
 斧の刃が生白い首に近づいていく。

「ッ、やめろォォオオーーーッッ!!」

 いつの間にか止めていた呼吸をする。息を吸い込んだ喉から絶叫が轟く。
 鮮血が迸った。首が。首が転がる。転がったそれは微笑っていた。
 民衆の歓声が一瞬にして静まり返り、まるで時を止めたかのような王国の中心でそれは起こった。

「いやぁぁあああーーッ!!」

 深い静寂を切り裂き、女の絶叫が劈く。その声を知っていた。
 視界の端で薄茶のフードが風に煽られ飛ばされるのを見た。その先にディープブルーの髪が翻る。……羽根が。羽根が広がる。

「っ、だめだッ……やめろ……っ!」

 必死に掻きわけても、大衆に阻まれて己の腕は彼女のもとへは届かなかった。死神が両腕を広げた。

「ディズィー……ッ!!」

 禍々しい光が世界を貫いた。


「………母さん」

 養い子の声に目を開ける。
 咄嗟に展開した防護壁がガタガタと崩れ、その先に見えたのは娘が夫の首を抱えて泣きじゃくる姿と、呆然と立ち尽くす彼らの息子だけだった。
 あれだけいたはずの幾万もの人間は、そこにはもう一人として存在してはいなかった。


 レオが愕然と目を見開いた先の数あるモニタの中では、まるで若かりし頃に青春を捧げた戦場が映し出されているかのようだった。

『うわあああああ!!』
『ヒッ……たす、助け――……ッ!!』
『世界各地でギアの覚醒パルスを確認……!!』
『ジャスティスの消滅により眠りに落ちていたギアが一斉に覚醒…っ、人々を襲い始めました……ッ!』

「……あ、悪夢だ……聖戦の再臨………」

 レオに剣を突き立てていた兵が震える声を落とす。
 歯噛みし、拳を握る。絶対に失ってはならない男をお前たちが殺したのだ。彼は紛うことなき人類の希望だった。たとえ彼が――人間でなかったGEARであるとしても。

 二一八九年、イリュリア連王国初代第一連王カイ=キスクがギアであると発覚。以前国連の国際会議でカイが提示した「人類とギアの共存政策」が世間へとリークされ、世界では騒動が巻き起こった。慈悲無き啓示の事件のあと、瓦解した元老院の役割をイリュリア連王国が代行、実質国連を取り仕切っていた。聖皇なき聖皇庁もイリュリアの介入で主導しており、世界機関の中枢にあるイリュリアに対して、人々は不信を募らせていく。疑心に囚われた民が世界各地でイリュリア連王国への暴動を起こした。反ギア運動に似たそれらは世界中で広まる。その頃、新たな聖皇が選出され誕生、彼の人心に響く説教に人々は夢中になり、敬愛するようになる。
 世界は二つに分かれた。イリュリア対アメリカ・中華連邦を主とした国連と聖皇庁の睨み合いが始まり、戦争が現実味を帯び始めたとき、第一連王が戦争放棄を宣言、王座をおりた。しかし火のついた民衆を止める術はなく、イリュリア国民からの暴動も加速、カイ=キスクが人類の仇ギアの世を創らんとしていたとされ、彼の死が声高に望まれた。それに反対する王立騎士団が国の意向に反し暴走、国連・聖皇庁連合軍と衝突、戦いの火蓋が切られてしまった。カイ=キスクは聖皇庁へ自ら赴き、騎士団に鎮まるよう嘆願、始まりかけた戦争は止んだ。しかし、彼の身は拘束され、世間への布告からわずか数時間後、聖皇庁と国連により早急に死刑が執行された。
 カイ=キスク亡きあと、突如として第二次聖戦が勃発。ジャスティスの力を受け継いだ娘が王の妻であったことをほとんどの人類が知らないまま、終わりの見えない戦争が始まった。人々は災厄の象徴としてカイ=キスクの名を刻むこととなる。



「やめてくれよ、母さん……ッ!」

 少女が羽根をもった天使のような姿とは裏腹に、その鮮血の眼は光を失くし虚ろに憎しみだけを浮かべていた。その双瞳からは静かに涙が流れ続けている。

「……シン」
「オヤジっ!!」

 首を振る。もう彼女には誰の声も聞こえていない。
 彼女の抱える首は血にまみれている。その眦からはまるで涙のように血が生白い頬を伝っていた。微笑んだと思っていた顔は、今はもう泣いているようにしか見えなかった。

 ――ソル、いい加減に起きないか。ディズィーがお茶の用意をしてくれた。今日は家族でお茶会だ。
 ――今日はリンツァートルテに挑戦してみたんです。お父さんの口にも合うといいけれど。
 ――オヤジ! オレ、新技編み出したんだぜ! 母さんの菓子食ったら手合わせしてくれよ!

 もうあのいつかの日のあたたかさは欠片もない。
 ディズィーは虚ろな眼に憎しみだけを浮かべ、愛する男の首を抱えている。シンは大粒の涙を次から次へと零し、鼓動をなくした父親と狂ってしまった母親に絶望していた。
 壊れてしまった。
 どうして。このたった三つだけでよかったのに。
 この三つだけあればよかったのだ。この三つさえあれば、過去を悲嘆し己の人生を呪い続けることをやめようと、ようやく思えたのに。
 あまりに多くを失い続けた半永久的な生を歩む中で、この三つだけは守れると、守らなければと、そう思っていたのに。

「……んで……なんでこんなことになっちまったんだよ!?」

 シンの慟哭が脈打つことをやめない心臓を残酷に貫く。
 なぜ。なんで。
 いったい何の、誰の、罪か。

 人類のカイへの不信がどんどん高まっていっている頃、混乱が治まるまでシンを城に近づけないでくれとカイに懇願され、イリュリアへは近づかず旅を続けていた。そんな中、宿屋でカイを非難するニュースを見ながらシンは言っていた。
 ――あんなに信じていたくせに、こんなにもあっさり手のひら返すんだな。
 そりゃそうだ。人は、お前が思っているよりずっと邪だ。ほら、先人だって言っているだろ。人間は恐れている人より愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるって。恐怖で縛りつけているわけでもないのに支持率が九割を超えていたこの狂った国は、やはりおかしかったのだ。多くの民は縋っていただけだ。自分で何かをするわけではなく、ただ平和な明日を生きるためにすべてを誰か偶像に委ねていたに過ぎない。
 人は、縋れるのなら何だっていいのだ。神でも仏でも英雄でも王様でも。そのどれもが自身の近くにはいない。英雄も王様も、多くの人類にとってはタブロイド紙の向こう、モニタの向こうの偶像に過ぎない。何だってよかった。でも、その偶像が自分たちに牙を剥くかもしれない。そのたった少しの疑念だけで、彼方任せの民たちは手のひらを返した。危険な縋り先を捨てて、新たに生まれた縋り先新聖皇に乗り換えただけ。あいつは信者の減った古い宗教の信仰先になった、それだけのことだ。
 モニタの向こうの父親を見つめながら「何がいけないんだ……?」と呟いたシンは、こう続けた。

 ――ギアだから?

 その声はやけに低く落ちた。彼はギアでなかった人間だったときなどないのだ。自分のすべてを否定するような世界がニュース画面には映っていた。
 振り向いた顔に乗る一つの蒼碧の眼が無感情に俺を見つめた。その美しい色までが赤く血に染まる錯覚に陥ってひどい眩暈がした。


 いつか、芝生に背を預け青い空を見上げていた日があった。
『あ、やっぱり今日もここだった。研究室にいないときは大体ここよね』
『ああ、ごめんよ、お邪魔だったかい?』
『こうして三人で集まるのも、久しぶりだ』
 医療研究だった。人類の未来を照らすはずの。アリアのような不治の病をもいつかは照らしうるような希望だった、はずだった。
『軍部の……動物実験? ちょっと待て飛鳥! なぜそんな暴挙を許した!』
 あつい。喉が、異様にあつい。
『ギア細胞、は……平和的に使われるべきものだから……。フレデ、リック……あなたが、生き残れば……』
『ヴィー……ディア?』
 俺は。
 ――俺は……化け物だ。
『なぜなんだ! 飛鳥っ!』

 罪過が巡る。
 激しい吐き気を催し、人間だった肉塊だらけの血まみれの地面へと吐瀉した。
 この惨たらしい憂戚を知っている。あのいつかの日と同じ気持ちだ。激しく責め立てられているようだった。あの少年を見るたびに。

 ――笑う? どうやって?

 かつて、希望と呼ばれた少年はどこまでも澄んだ青空のような双眸をいっそ無垢なほどに瞬かせ、そんなことを言った。
 喉を焼く熱さに掻きむしり、視界がぶれたと思った瞬間、世界が崩壊し暗転した。