TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Theme > 望むことが恋ならば > 02
「あのときなぜお前のメダルにかけたのか、その訳を理解したのはお前が聖騎士団を去ってからだった」
ソルはぽかんと、結構な間抜けな顔でカイを見やった。
「………突然、何の話だ」
カイはソルの視線を物ともせず、興じていたテーブルの上のボードゲームを見たまま、涼しげな表情を欠片も崩していなかった。
突然。本当に唐突だったのだ。
ナイン・メンズ・モリスなどという、ローマ帝国時代に生まれたような遥か昔の歴史あるボードゲームをどこで入手したか知らないが、やらないかと誘われるがままにテーブルを挟み腰かけ、二人して難しい顔でボードゲームに興じている最中だった。
あまりの脈絡のなさに時間が飛んだのかと疑うほどだった。確か、もっと別の、至極どうでもいい話をしていた。最初のうちはシンの話で、そのうち聞きたくもない政治の話になって、それも耳からすり抜けるほど面白味がなくて適当に相槌を打っていた。
そろそろゲームにも飽きていたところだ。カイの誘いに珍しく乗ったものの、向かい合って楽しくおしゃべりしながらアブストラクトゲーム、だなんて改めて考えるとぞっとしない。そんな仲ではまるでない。
もう飽きた、と席を立とうと思ったときだった。カイの唐突な「あのとき」の話が始まったのだ。
ゲームの駒を一つ横にずらしたカイがようやく顔をあげた。ソルを射貫く蒼碧とは彼が少年であった頃と変わることなく真っ直ぐにかち合った。
「覚えてないか? 死にかけていた私をお前が助けてくれたことがあっただろう?」
「………………」
覚えてはいる、が。あまりにも唐突な昔話だ。聖騎士団の頃の話をしていたならまだしも、そんな話題一つもあがっていなかったはずだ。
「あの傷ではもう動けなくて、少女を安全な場所へ保護してもらうためにメダルを手にしたのだが」
カイは王様よろしく優雅に美しいティーカップに細い指先を引っ掛け、好物の紅茶を口にした。
「なぜかお前にかけていた」
微苦笑しても崩れない稀有な美貌は、ソルの眼裏に浮かぶ少年の面影を残しつつも、やはり長い歳月を感じた。大人びた表情はもう子どもである自分を覆い隠すための仮面ではなく、ただありのままのカイの顔になっていた。大人の、一人の女の夫の、息子を持つ父親の。
「確かに意識は朦朧としていた。あのときはそれが理由だと信じて疑わなかった。手もとが狂ったか、ほとんど意識がないままに通信を入れたか。……でも、そうではなかったと後に気づいた。お前が……聖騎士団を去ったあとに」
確かに、あのとき連絡を受けたソルも疑問に思った。どうして生存者保護の要請の通信を自分に入れたのか。だが、駆けつけてすぐに得心がいった。酷い負傷で意識が途切れかけてた所為だと。それを否定するカイをソルは怪訝に見やる。そんなこと、そうであったにしろ違ったにしろ、些末事にしか思えなかったからだ。しかし、ソルの胸中を嘲笑うようにカイは思いがけない言葉を口にした。
「お前に会いたかったんだ。ひと目、見たかった……――死ぬ前に」
見開かれたソルの双眸とカイの真摯な眼差しが真っ直ぐに交錯する。カイは表情を変えることはなかった。普段と何ら変わらない怜悧な表情が瞬きすらせず、ソルを見つめている。
見つめ合ったまま、長い沈黙がおりた。狼狽えているのは自分ばかりか、とようやく弾かれたように目を細めたソルに、ふっと吐息のような笑声のような小さい息がカイの小さい唇から放たれた。
口もとに笑みをひいて、悪戯っ子のように小首を傾げてみせたカイに眉を寄せる。両肘をテーブルにつき、指先を絡ませた両手に顎を乗せて小首を傾げる様は、まるで箱入りの無垢な少女のようだ。
「……今さら、どうしてわざわざ俺に伝える」
「意趣返し」
「ハァ?」
「お前、さっき飽きたって顔しただろう」
確かにそう思ったし、それを隠そうともしていなかったのだから、ソルの顔にはありありと〝飽きた〟と浮かんだのだろう。それがどうした、と聞く間もなく、カイは結論の見えない話を続けた。
「これは私の勝手だ。お前には何の落ち度もないし、可哀想なことに今はただ理不尽な目に遭わされているに過ぎない」
まったく的を射ない。何が言いたいのかわからなくてこめかみが引き攣る。
ソルの苛立ちにも凶悪なしかめっ面にも気付いているはずなのに、カイはやけに遠回りに話をしたがった。
「わかってるさ。こんなふうにお前を不快にさせるのはあまりにも筋違いだ」
それでも、と続いた声はそれまでの常と変わらない冷静な音とは違い、少しだけ揺れていた。
「それでも理不尽にも当たりたくなる。人の心とはそういうものだろう?」
問われても答えるだけの材料がない。まだ何一つ、この男の言わんとすることがわからない。
ふいに伏せられた瞼の先で、金色の長い睫毛が揺れた。
「……お前は何も望まないから」
「望む?」
伏せられた蒼碧が今一度ソルを見た。微笑のような、哀切のような、自嘲のような、よくわからない顔をしている。そんな顔は見たことがない。
「望むのは私ばかりだ。お前のことを知りたい、その強さの理由を知りたい、聖騎士として共に人類を救いたい――……傍に、いてほしい。盗人への恨みを晴らさせてほしい、ギアを狩る理由を教えてほしい、勝負をしたい、勝ちたい、お前を超えたい、……シンを預かってほしい」
「………………」
「全部勝手な望みだが……私がそれらを望まなければ、私とお前は今こうして面と向かってボードゲームなんかすることもなかったんだろう。……わたしが、望まなければ」
「……何が言いてェ。はっきりしろ」
カイはとん、とテーブルの上のボードゲームを指先で叩いた。
「モリスをしようと誘ったのも私だ。一昨日、お茶をしようと、ディズィーが淹れてくれたから飲まないかと、そう望んだのも」
そりゃそうだ。ソルがお茶しようなどと言うはずもない。別にカイとお茶したいなどと思っていないし、モリスもそうだ。ボードゲームで遊ぼうぜ、などとシンみたいに言うはずがないだろう。
「望んでもいねぇことを口にするわけねぇだろ」
カイは一度瞬き、そして唇の端っこを上げた。口角は確かにあがったはずなのに、どうしてか、それを笑みだとは思えなかった。
「……そうだな。お前が何も望まないことに腹を立てるつもりはなかった、すまない」
虚を衝かれた心地だった。まさか謝罪が返ってくるとは思わなかった。別に怒っているわけではない。ただ事実を口にしただけだ。
俺は別にお前のことを知りたいと思わなかった。ましてや、聖騎士として共に人類を救いたいなんて思うはずもなく、ヒーローごっこに執心の坊やの傍についていたいなんて思うわけがない。封炎剣を盗んだことへの報復は勝手にしろと思うだけだし、ギアを狩る理由をわざわざ教えてやる義理もない。勝負など面倒なだけだ。勝っても負けても構わない。超えたいだの何だのはそっちの勝手だ。シンのこともカイの勝手だ。お茶をしたいとも思わないし、ゲームで遊びたいとも思わない。
望んでいないから、望まない。当たり前のことだ。それを口にしただけなのに、どうして謝られるのか、ソルにはわからなかった。そこに腹を立てられる謂れもない。
「お前に何かを望んでくれと、そんな大層なことまでは望んではいない……望むつもりはない」
大層なこと。そんなことがか。俺がお前に何かを望むことがか。
息子を預かれというのは、そんなことより大ごとじゃないのか、と。思わず口にしたソルにカイは微苦笑して、そうかな、と曖昧な返答をした。頷いたようにも否定したようにも思える返事に眉を寄せる。さっきから、カイの話す言葉が空漠としていて何も掴めない。
「ただ……さっきお前の〝飽きた〟っていう顔を見て虚しくなっただけだ」
「虚しい?」
「ああ。こんな……ちょっと向かい合ってゲームをするだけの、こんな瑣末事さえ、お前を不快にする望みなのだと、こんな些細なことも許されないのだと、思っただけだ」
「意味わかんねぇ。誰に何の許可を取る必要があんだ」
春空のような瞳が見開かれる。
「俺が嫌がろうが何だろうが、テメェが望むのは勝手だろ。一々面倒くせぇ奴だな」
そう、勝手なことだ。
勝負もお茶もゲームも、ソルにとって面倒であることに変わりはないが、それを望むカイの気持ちを否定するつもりはない。否定はしない。拒否はするが。
ソルの常と変わらない温度のない視線の先で、真っ白い瞼の奥の蒼碧が揺れた。
「おまえはひどいおとこだ」
やけに舌足らずに謗られて眉が寄る。
「……では、お前に触れたいという望みを私が持っていても勝手だと思うか」
思いもよらない言葉に瞠目する。そのレッドリベルの双眸に作られたような笑みを浮かべるカイの顔が映った。
細い、女のような白い人差し指が自身の薄桃の唇をなぞった。
「お前と口づけたい」
それは一瞬だった。ぱちりと、長い睫毛が瞬きをした次の瞬間に現れた蒼碧はそれまでと様変わりしていた。大量の砂糖でも放り込んだ飲み物のように、重苦しくどろりと揺れた。
「おまえと、」
こんな声だったか、この男は。疑うほどに甘ったるく響く声が、幾度も悲惨な戦場を切り裂く号令を出していたとはとても思えない。
「セックスしたい」
呆然と見開かれたソルの双眸の先で、カイは別人かと疑うほどに婀娜っぽく微笑んだ。
「これでも勝手だと思うのか。私がそう望んでいても、お前は勝手にしろと言えるのか」
長い沈黙があった。いや、長かったのか、はたまた一瞬だったのか、感じ取るだけの余裕がソルにはなかった。
息を呑み、ただ瞠目するしかできなかったソルの耳に喉を鳴らす声が届く。カイは先までの表情が嘘のように、普段と何ら変わらない涼しげな顔でからっと笑声をあげた。
「はは、〝意趣返し〟だ」
その言葉を時間をかけて呑み込んで、ようやく話が最初に繋がったのだと気づく。
「死に際にどうしても会いたいと思って、無意識にもお前を呼んだ意味がわかっただろう? 死ぬ前にどうしてもひと目お前の姿を見たかった。……恋い焦がれる男の姿を。
同じ気持ちを抱いてもらおうだなんて思ったことは一度もない。ただ……私もそろそろ疲れた。お前の飽きたって顔を見たら無性に腹が立ったんだ。私はこんなにお前を……私ばかりが望んでって……女々しいな、本当。だから八つ当たりだ。すまなかった、気を悪くさせて」
カイは真っ白いティーカップを傾け、最後の一口を流し込んだ。空のカップを手にしたまま立ちあがる。ただ単に空になった食器を片付けるかのように、そのまま部屋を出ていこうとする細い背を見つめる。
カイの〝意趣返し〟は、ソルにとって寝耳に水だった。カイが今までその衷心を億尾にも出さなかったからだろう。けれど。
――お前は何も望まないから……
――私ばかりが望んで……
望み。はたして俺はこいつに何一つ望まなかっただろうか。
お前のことを隅々まで知ろうだなんて思わない。ヒーローごっこなど付き合いたくはない。人類を救いたいなら勝手にしろ。傍になんていなくたっていい。勝ち負けなどどうでもいい。仲良くお茶などしたくもないし、ゲームで楽しく遊ぶ仲になどなりたくない。
そんな矮小な望みなど、俺はお前に望まない。
眼裏に鮮明に蘇る。聖堂の短い身廊の先、ステンドグラスの向こうから降り注ぐ幾筋もの陽の光に照らされた十字架の下。真っ赤な大量の鮮血の中央に少年が横たわっている。ぴくりとも動かない血まみれの少年の横で、アガットの髪をおろした少女がえんえん、と泣いていた。
少年は言った。生存者は彼女だけです。腸が煮えくり返るような、それでいて虚ろに支配されるような、名状し難い情動が沸き立った。
お前は死ぬのか、と俺は聞いた。そうですね。少年は明日の天気でも答えるように呆気なく頷いた。
あのときの情動の理由を俺はもう気づいている。あのとき感じた、地獄の底に突き落とされるような諦念の理由を。
死を目前にした少年の顔は見たこともないほど穏やかだった。裂けた肉から真っ赤な血が流れ、透き通る頬を色を失い、プラムのような唇は変色していた。それなのに、少年は肉体的苦痛も、精神的苦痛すらないかのように穏やかだった。薄っすらと笑みすら浮かべて死を待っていた。
それがどうしようもなく嫌だった。
もとより少年のことは気に食わなかった。まるで神の軍隊かのように人間味がなく、幼い顔つきと反例した成熟さは気持ち悪かった。ギアを抹殺する機械みたいな動きは化け物じみていて吐き気がした。人間味がないところが気に食わなかったのだ。でも。
美しい聖堂。短い身廊の先。祭壇の前。掲げられた十字架の下。幾筋もの光に照らされ、横たわる少年。
あんなふうに呆気なく死ぬくらいなら。あんなふうにいとも容易く失われてしまうくらいなら。それならば、いっそ。
「――本当にテメェが天使だったらよかったのに」
無意識に零れ落ちた言葉は、扉に手をかけたカイがそこから出ていくことを阻んだ。
俺がお前に望むことは、ただ一つ。
「……俺は」
それを望むことはあまりにも罪深く、自身がいかに惨たらしい化け物であるか知らしめられる。
「テメェに触れることがなくてもいい」
振り返ったカイと視線がかち合う。
「お茶をしたいとも思わないし、ゲームで遊ぼうとも思わない」
「………………」
「キスなどいらない、セックスもしなくていい。たとえ……――言葉を交わすことがなくなろうと構いやしねぇ」
ここでようやく、澄ました顔をしていたカイの柳眉がわずかに下がった。
「意地が悪いな。気を悪くさせたのは謝るが、わざわざ口に出さなくても……私だって傷つ――」
「だが一つ、」
ガタッ、と大袈裟な音を立てて立ち上がったソルはカイへとゆっくりと近づいた。
「テメェに望むことはある」
白い頬に手を添えると、そこは驚くほど冷たく、顔には決して出しはしなかったカイの緊張が伝わった。
「……何だ」
「俺は叶いもしねぇ望みをわざわざ口にしようとは思わない」
「私では叶えられないのか、その望みは」
「ああ、無理だ。だが、無理だとわかって口にしたことが過去に一度だけあった。言ったはずだ、『生きたいと言え』と」
「――……、」
弾かれたように見開かれた蒼碧に諦観の色濃く滲んだ自分の顔が映っていた。
長く生きていれば諦めることに慣れてくる。叶うはずもない望みは、さっさと捨てるに限るんだ。俺の望みは復讐、それだけを見据えていられればいい。だが、俺は確かにあのとき望んだ。無意識だった。三つの鼓動しかない教会。細くなっていく呼吸。もとより、碌な死に方はしないと思っていた。あんな小僧など。ああいう奴ほど、簡単に呆気なく死ぬのだとわかっていた。だが、いざその死に際に出くわしてみると、俺は無意識に紡いでいた。
――生きたいと、言え。
「『死にたくないと』」
言え。
あのとき、なくなりそうな命を救おうとしたのではない。もうあの頃、そんな高尚な精神は持ち合わせていなかった。だから、あれは俺の我が儘だ。どこまでも自分勝手な。死を受け入れた子どもに対して、我が儘にも望んだ。
「俺の望みは一つ」
キスなどいらない。セックスも。触れることがなくても、顔を合わせることがなくたって構わない。言葉すら交わすことがなくてもいい。
ただこの世界のどこかに、
「〝死ぬな〟それが望みだ」
お前の鼓動さえ、あれば。
「死ぬな」
俺を置いて。
という前置きは言葉にしなくても聡い男は気付いたに違いない。
決して叶わぬ望みだとわかっていてなお、口に出せるほど純真ではない。ただ。
――私がそれらを望まなければ、私とお前は今こうして面と向かってボードゲームなんかすることもなかったんだろう。
確かに、お前が何も望まなければ俺はここにはいないだろう。だが、お前が今まで俺に望んだいくつもの望みなんか、俺からすれば瑣末事だ。ふざけんな。そんな小さいことで嘆きやがって。
いっそお前が天使ならよかった。そう思うほどには、惨たらしく育ってしまったお前への情は、もうお前自身の感情などどうでもよかった。希望などという、王などという、役割を負わされたお前を憐れむことも、人間味のない化け物じみた存在に見えた坊やを嘆くことも、もうない。そんなことどうでもいい。お前が傷つこうが哀しもうが苦しもうが、どうでもいい。ただ俺の欲望のまま、我が儘に、お前に望む。天使ならよかった。そうならば、お前は俺を置いていかない。
もうこれ以上言うことはないと、ソルは頬に添えていた指先を体温をなぞるように動かしたあと、呆然としているカイを通り越して扉に手をかけた。
開いた扉の先へ一歩踏み出す、まさにその瞬間だった。
「わかった」
背にかかった声に反射的に身体が止まる。カイの言葉の意味を理解しあぐねている頭と、先走って高揚している胸と、苛立ちに似た憤りを溜め始めた腹の底と、剥離する情動が気持ち悪い。
意を決して振り返ったソルの先で、カイはただ真っ直ぐに、いつもの熱意を真摯に映す澄んだ眼差しでソルを見つめていた。
「………何つった」
「わかった、と言ったんだ」
事も無げに応えられて、歪に唇がゆがむ。
〝わかった〟それが俺の望みの返答だと言うのか。テメェは俺を馬鹿にしてんのか。
「はっ、テメェが嘘を吐くとはな。俺はお前を買い被っていたらしい」
酷薄な笑みを刷いた頬がひくりと痙攣する。
叶わぬ望みを、それでも口にしたのは勇気のいる行動だったのだ。決意をして、放ったのだ。その決意を踏みにじられた気になった。
お前の告白に誠実に答えるために、嘘もなく、誤魔化すこともなく、ありのままを伝えた。叶わないと知っていて、自分の身勝手さに、化け物らしさに、吐き気を催すほどの嫌厭を押しとどめて、口にしたのだ。
決して嘘をつくことのない男の甘ったるい嘘など、聞くためじゃない。
「たかが恋情に振り回されて、熱に浮かれた睦言でも囁いているつもりかよ。メロドラマに出てくる女みてぇに嘘でも嬉しいなんて思うような玉じゃねんだよ」
わずかに蒼碧の宝玉が揺れた。しかしそれは一瞬で、カイはただ直向きにソルを見つめ、口を開いた。
「知ってる。そんな中身の薄いドラマのような安っぽい気持ちじゃないんだろう? お前の私への思いは」
確かにそうだが、その言い方は癪に障る。ついさっきまで、俺を想って些細なことで苦しんでいた癖に現金なものだ。
「嬉しいよ、とても」
近づいたカイの細い指先が羽根でも触れるくらいささやかに、ソルの頬に添えられた。
「お前は私が傷つこうが苦しもうが哀しもうが構わないんだろう? 私も同じだ。お前が傷つこうが苦しもうが哀しもうがどうでもいい。私は我が儘にお前を望む。お前と同じように」
だから、と剣胼胝にまみれた手のひらがソルの頬を包んだ。
「お前が望んでいなくても、私はお前に口づけるよ」
ソル、と隠しもしない情愛の宿った囁きと共に熱い吐息が唇にかかる。
「だいすき」
指一本もない唇と唇の狭間でカイがぽつりと囁いた告白は、大の大人が紡ぐにはあまりにも子どもじみていた。
揺れる睫毛、潤んだ瞳、上気した頬、震える唇。親にでも縋る子どものようなその顔に目を奪われている間に唇が重ねられていた。
ああ、と内心呻く。天使なら、こんな顔をすることはないのだろう。いっそ天使ならよかったと思っていた。置いていかれることがないなら。
けれど、彼が人間だったから俺はこの男に焦がれたのだろう。
惨い世界だ。どう足掻いても結末は同じ。相手の感情を無視してまで我が儘にも焦がれる相手は必ず俺を置いていく。
それがわかっていても望まずにいられない。……お前のいない世界など、俺は。
――わかった。
最悪だ。大嫌いなメロドラマの女のように、嘘でも嬉しいなんて。
重なっただけで離れていった唇を無意識に追っていた。同時に引き寄せた互いの頭は、潰れるかと思うくらい強く引き合った。歯がぶつかるほど強く再び唇が重なる。また触れてしまえば、あとはなし崩しだった。
(続く)