TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Theme > 誰が王さま殺したの > 04
「――で、誰が王さま殺したの」
ソルは息を呑んで目を見開いた。
その表情に驚いたのは言葉を投げかけたほうのシンだった。そんなに驚かれるほどの質問を口にしたわけではない。
「オヤジ?」
「……今、何つった」
「え? だから誰が王サマ殺したのって。あれ」
あれ、とシンが視線で指した先では大衆演劇が披露されていた。街中でやっているくらいだ、大道芸と似たようなささやかなものだった。旅役者たちに群がっているのは主に子どもたちだった。子ども向けの演目らしい。あれなに、と目を輝かせたシンに引きずられ、遠目に見る羽目になったソルは思考を別のところへ飛ばしていたおかげで内容などほぼ覚えていなかった。少し見たらすぐに行くぞ、くらいの言葉はシンに投げかけた気がする。
興味津々に一つの蒼碧をきらきらさせている子どもに、付き合い切れるか、とソルは深い溜め息を吐いた。それを耳聡く拾ったシンは輝かせていた瞳を瞬時に曇らせ、小さく呟く。
「オヤジ、大丈夫か? なんか昨日も魘されてたぜ。具合悪ぃなら城に向かうの後にして宿に戻ったほうがいいんじゃねぇの」
誰の所為で街中を引きずり回されていると思ってやがる、と反論しかけて、はたとシンの言葉に眉を寄せる。
ああ、そうだ。昨夜は随分と夢見が悪かった。あいつが、王が――。
『恋の軽い翼でこんな塀など飛びこえました』
男の旅役者の凛とした声がソルの思考を遮った。
見知った言葉だ。遥か昔から愛されてきた恋愛悲劇の戯曲。だが、とソルは怪訝に顔を顰めた。シンは何と言ったか。――誰が王さま殺したの。あの話に王様なんぞ出てきただろうか。それとも長い歳月の中で改変されていったのか、はたまた子ども向けにおとぎ話よろしくハッピーエンドに変えたのだろうか。
ソルは演劇を遠目に眺めながら目を細めた。どうしようもない寂寥感が胸中を渦巻いている。自分が見知っているはずの物語でさえ、世界の変遷と共に変わってしまったように思えた。遥か昔、あの頃を生きていた自分など、まるで存在していないかのような思いにさせられた。あの頃の世界は、今のこの世界にはこれっぽっちもないのだと、まったく違うのだと、突きつけられた気がした。そんな感傷を呼び起こされ、ひどく退廃的な気持ちになった。
ソルは忌々しそうに舌打ちし、シンに「行くぞ」と声をかけ、踵を返した。少し進んでから、ああそういえば、とシンの問いかけに答えていないことに気づく。ソルは朧々とした瞳でシンを見やり、口を開いた。
「王様を殺したのは化け物だ」
きょとんと一つの目を瞬かせたシンに背を向け、ソルは機械的に足を動かした。
はやく、と思った。悪夢の中では冷たかった身体が、現実ではあたたかいことを確かめたかった。あの温かさに触れ、二度とあんな悪夢を見ないで済むようにあいつの隣で眠ってしまいたかった。だから早く、あの荊の蔓の絡む鳥籠に向かわなければ。
小さな寝息を後ろのほうで感じながら、ソルは大きい窓から空を見上げた。欠けた月が大きく陣取っている。白銀色の月の光を見ていると、ふいにあの戯曲の台詞が脳裏を過ぎった。
『あの月の美しい白銀の光にかけて誓おう』『ああ、いけませんわ。ひと月ごとにまるい形を変えてゆく、不実な月に誓ったりしては』
ふ、と自嘲の吐息を漏らす。己にはあまりにも似合わない夢物語だ。
ソルは外がそのまま見えるくらい透明な窓に手をかけ、宵闇を睨むように目を細めた。……こんなもの、窓なんかじゃない。硬い鉄格子と同じだ。中にいるものの自由を阻む冷たい檻。
「……軽い翼でこんな塀など飛び越えて、か」
そうか、とソルはもう一方の手で顔を覆った。
左手に生温かい感触が蘇る。ぐちゃり、と嫌な音を立てて、この手は薄い腹を貫いた。熱い炎で包み込み、流れ出た赤を見て俺は笑った。くずおれていく細い身体。肩まで伸びた金糸がベルベットの絨毯に散らばる。抜けるように白い額を飾る王冠をむしり取った。それを粉々に砕き、高らかに笑う。これであの玉座に座る者はいなくなった。
――それで、誰が王さま殺したの。
ああ、そんなもの決まっている。
殺したのは、俺だ。殺したかったのだ、俺は。あの悪夢は願望そのものだ。俺は「王様」を殺したかった。この檻に閉じ込められている「王」を。人々に希望を与える偶像を。その「役割」を。
「ふふ、」
ふいに背後から聞こえた笑声に驚いてソルは振り返った。
激しい行為の所為で、大きい寝台にぐったりと身を沈めて眠っていたはずの男が眠そうな目を薄く開いて、こちらを見ていた。
「ロミオか。シンに聞いた。演劇がやっていたらしいな。でもその台詞をお前の口から聞くとは、何とも変な気分だ。さらってしまいたい女性でもいるのか」
「………ああ、そうだな」
こんな塀など飛び越えて。鳥籠の中にいる青い鳥をこの外へ連れ出せるのなら。でも連れ去った先に訪れるのはお決まり通りの悲劇なんだろう。お前は毒薬で〝カイ=キスク〟を殺すだろう。どこまでも真っ直ぐで清廉な、そんな性を持つカイという男を。そんなもの、あの悪夢より最悪だ。結局のところ、この男がカイ=キスクだからこの道を歩んでいるのだ。ソルがどうこうしたって、それはこの男を歪めることにしかならない。結局はただの悪足掻きだ。どこまでの自分勝手な。
少しの沈黙のあと、カイは少し寂しげに「そうか」と小さく返しただけだった。
しばらく静寂が部屋を包み込んでいた。ふいに、カイが吐息を零すようにして漏らす。
「……ゆめをみた」
カイの声はまだ微睡の中にいるように、少し舌足らずだった。
「ふふ……恋の翼ではないけどな、お前は大きい翼を羽ばたかせて空を飛んでいた。私はその背に乗り、世界中を巡るんだ」
夢だと言った通り、まるでおとぎ話でも話しているように、カイの紡ぐ言葉は非現実的だった。
「あれはなに、これはなに……私はお前に子どものように訊ねた。お前は何でも知っていた。ぶっきらぼうだが、それでも逐一ちゃんと答えてくれた」
くす、とカイは小さく笑声を零す。
「あまりにも楽しくて、幼子のようにはしゃいでた。でも……目が覚めてしまった。わかっていたさ。これは夢なんだろうなって。だから、あーあもう少し見ていたかったなぁって残念に思って寝返りを打つように横を向いたら、お前の背中が見えた」
ソルは沈黙し、わずかに目を瞠りながら、カイの言葉に耳を傾けた。
「……私はお前のその背中が嫌いだった」
言葉とは裏腹にいやに穏やかな声音で言う。
「思えば、背中ばかり見ていた。昔からお前は私の言葉なんて聞きもしないですぐに背を向けた。お前が騎士団を去るときも……意識が遠のく中、遠ざかっていく背を見ていることしかできなかった。そのあとも、背中を見つけては追いかけ、振り向いたと思ったらすぐに背を向けて……その繰り返しだ。だから嫌いだった。背中しか見えないということは、お前が私を見ていないということだから」
まるで子どもの言い草だな、とカイは自嘲するように笑いながら付け足す。
「でもな……嫌いと思うのと同じくらい好きだったんだ。お前のその大きい背中。お前は私の知らないことをたくさん知っていた。お前は何も言わなかったが、狭い世界しか知らない私のことを厭うていたんだろう。お前が坊やだの小僧だの言うように、私は何にもわかっていなかった。世界は私が思うよりずっと広くて、複雑で、抱えきれないものだった。お前の背中を追うと、その先にはいつも知らない世界があった」
だから、といっそ無邪気な子どものようにカイは何の算用もなしに言い放つ。
「お前の背を追えば、どこにだって行ける気がする」
ソルは息を呑み、瞠目した。ぎゅうっと、心臓を鷲掴みにされたような心地になった。
「この世界は広い。知らないことはまだたくさんあるんだろう。だからきっと、この世界のどこかに望むものが転がっているんだと思うようになった。理解したいと思ったから、いろんなことに目を向けた。お前を……、抱きしめたいと思ったから、その幸せを探そうと思った。……まだ、見つかってはいないけど。ああでも、酒があればお前は機嫌を良くするな。そういえば昔、浴びるほど呑みたいと言ってたっけ。もうとっくに叶ったんだろうが、酒くらいならあげてもいい。私の権限で世界中からいい酒を仕入れておこうか」
「………職権乱用かよ」
ソルは絞り出すように軽口をどうにか吐き出した。
「いいだろ。私は王様なんだ。王とはそういうものだと相場が決まっている」
「よく言う」
当然冗談なのだろうが、この男が言っても鼻で笑って流せてしまう冗談だ。過去のどんな王様より、正しい王であれ、と自ら強いているくせに。
ふいに、カイが寝具の下から細い腕を伸ばした。何も纏っていない白い腕が月明かりの下、晒される。
「ああ、ほら……」
ゆらり、と細い指先がソルを指す。
「お前の背の向こう、どこまでも続く空が広がっている」
唐突な言葉にソルは怪訝に目を細めた。確かにソルの立つ向こう、大きい窓の先には白い月が覗く空がある。
「私はお前を見ていると……話をすると、私が私であることを思い出せる。お前の大きい背を追っていると、鳥にでもなったような気持ちになるんだ。翼をはためかせ、どこまでも自由に飛んでいける」
ふわり。無垢な子どものような微笑が咲いた。
「とても……いい、きぶん…だ………」
ぱたり、と細い手が重力に従い、落ちた。すぅすぅ、と子どものような寝息が届く。あれだけ話していたというのに、微睡の中にいたらしい。
ソルは無様に呻きそうだったのを咄嗟に歯噛みすることで呑み込んだ。
こいつが俺の心情など、知っているはずがない。心情だけじゃない。俺のことなど、碌に知りもしない。だってこの男は、この男だけは、何も聞かないからだ。それなのに、どうしてこんなにも針の先で突くように、まるで凸凹のピースでも嵌めるように、鬱屈としていたソルの心をすくいあげるのだろう。
痛ぇなぁ、と吐き出すように呟く。心臓が焼けるように痛かった。気管を圧迫してくる痛苦が鬱陶しい。切り苛んでくる痛みの嵐に、けれど決して嫌な気分ではなかった。
ソルは震える息を深く吐き、そっと寝台に近寄った。幼子のようにあどけない寝顔をさらす男の横に潜り込み、痩身を引き寄せた。
ぴく、と反応したカイが薄らと目を開ける。髪を撫で、頬を撫で、肩を撫で、背に回り、腰に回る腕に、カイは少し眉を寄せた。
「……もうしないぞ」
散々交わっただろうと言外に告げる強い非難の声に、ソルは喉の奥で笑って頷いた。
「しねぇよ。……ほら、」
両腕を伸ばし、抱っこをせがむ子どものようにカイに向ける。眠そうな目をきょとんと瞬かせ、カイは首を傾げた。
「抱きしめたかったんだろ」
ソルの言葉に小さく息を呑んだカイが動揺したように瞳を揺らした。
「………私なんかでいいのか」
その役目が。
不安と期待が混じる小さい呟きにソルは笑った。いつものように皮肉げでも揶揄っぽくも勝ち気にでもなかった。信じられないほど柔らかい笑み。カイが驚いたように目を見開く。
「俺は高望みしねぇからな」
「……たかのぞみ」
「口うるさい坊やで充分だ」
「っ、私はもう坊やじゃない」
反射的に抗議しながらも、カイの顔は泣きそうに歪んでいた。第一連王にでも、希望と仰がれるカイ=キスクにでもなく、ソルは何の格別もない「坊や」でいいと言った。その意味がわからないほど、カイはもう子どもではなかった。いつかソルは言っていた。生まれたから生きている。他の誰がどんな目でカイを見ようとも、ソルだけはそんな当たり前の目でカイを見てくれていた。
ああほら、とカイは息苦しい中、手を伸ばし、歓喜と切なさの交じった想いのまま、ソルを抱きしめた。この男の前ではどこまでも自由だ。王でもない、希望でもない、私は私のまま、どこまでも大きく羽根を広げられる。優しく抱きしめたいと思っていたはずなのに、カイは堪らなくなって情動の赴くままに強くソルを掻き抱いた。
もとより細かったのに、心労と激務でますます痩せ細った身体にぎゅうっと強く抱きしめられながら、ソルは静かに目を閉じた。薄い胸もとに押し付けた額がヘッドギアの下で温かく包まれた気がした。
こうやって、この男は事も無げにソルの懺悔を、罪を、包み込むのだ。
もう振り返ることはない。前だけを見て駆けていく。背を追う熱を感じながら。いつか、この罪が、この鼓動が、なくなるまで。どこまでも。
End. (title by : 天文学様)
2017.11.2