声かけもノックもなしに開けた王の寝室の向こうでは、カイが着替えているところだった。インナーをめくりあげ、これから頭を抜こうというときに突然現れた来訪者を驚いたように見たカイは、とりあえず、すぽんと服を脱いでからソルを睨みつけた。

「ノックくらいしろと何度言えばお前はわかるんだ」
「別にいいだろ。それとも何か、同性でも着替えを見られるのが恥ずかしいってか」
「そんなことは言ってない」

 むっと不満げな顔を露わに、カイは否定の言葉通り、ソルを気にすることなく下衣まであっけらかんと脱ぎ去った。下着だけを纏った白皙の裸身をじろじろと見ていたソルは、俺も脱ぐかと上だけ裸になる。
 カイは寝間着に着替えながら、そんなソルをぎょっとして見た。

「な、なんでお前が脱ぐ」
「あ? 着てねぇほうが楽だろうが」

 ソルは事も無げに言い放ち、大きく柔らかい寝台にダイブした。

「寝るぞ」

 寝台の上に寝転びながら着替えを終えたカイを上目で見ると、カイはなぜかさっと目もとを赤らめて顔を逸らした。

「おい……カイ?」
「あ、ああ。寝る」

 カイがもそもそと布団に入ってくるのを見届け、ソルは大きいあくびをした。

「お前はどこでも眠れそうだな」
「そりゃあな」

 王の寝台は成人男性ふたりが並んでも窮屈には感じなかった。だが、寝台に行儀よく並んでいる大人の男二人というのは、とても想像したくないような光景だ。それでもあの一夜のように、カイの身体を抱きよせるなんてことはできるはずもなく、ソルは広い天井をぼんやり眺めてから目を閉じた。ああやって何を思うこともなく腕の中に抱き込めたのは、彼が子どもだったからなのだろう。

「おやすみ、ソル」

 静かに紡がれたあたたかい声に、ソルの意識は急速に眠りに落ちていった。



 もそもそと腕の中で何かが動く気配に、ソルの意識は浮上した。まだ完全に覚醒しきらない頭でぼんやり目を開ける。最初に視界に映ったのは蜂蜜色だった。その色が揺れて白い顔が覗く。ソルの腕の中で仰ぎ見たカイと目が合った。

「そる……? おきたのか…?」
「……ああ」

 カイの声は舌足らずで拙かった。カイもまだ半分眠りの中にいるようだ。腕の中でもぞもぞ動かれるのがくすぐったい。カイは腕を伸ばし、ソルの首に回した。

「おはよう、ソル」

 伸びあがってきた顔が近づく。そうして、ちゅ、と唇の端っこのほうに触れた熱にソルはぼんやり瞬いた。これが真っ昼間で互いに意識が完全に覚醒していれば、とんでもないことをしていると理解できたはずなのだが、ソルもカイもまだほとんど夢の中にいるような心地だったおかげで、ぎょっとするどころか、ああ朝の挨拶か……くらいにしか捉えられずにいた。
 ソルはお返しをしようとカイの顔に近づいた。

「ん……」

 ちゅ、と同じ音を似合わず可愛らしく立てて触れたが、ぼんやりした頭で、あれ、と首を傾げる。頬に触れたにしては感触がおかしい。触れたままの唇をあむ、と開けてもう一度同じ場所を食むように覆うと、変な声が耳に届いた。

「んぐっ、」

 眠さから閉じかけるのを何度も繰り返していた瞼をどうにか開けると、ぼやけるくらいくらい間近で蒼碧と目が合う。眠気からか潤んでいるそれが瞬いた。目の上で揺れる金糸を見て、睫毛長ぇな……女かよ、と朧々とした頭でぼんやり思う。その間も、特に何を考えるわけでもなく、身体が勝手に動くままに、あむあむと唇を動かしていた。柔らかくあたたかさを湛えるそれをもっと感じたくて、カイの腰に回している腕に力を入れる。

「んぅ……ぅ、んっ……」

 もっともっと、と衝動に突き動かされるまま、ソルはほとんどカイに乗り上げるような体勢になり、「朝の挨拶」を繰り返していた。
 少し開いた唇でそこを何度かなぞるように動かす。下のほうを噛むと、ソルの上唇は自然とカイに挟まれる。舌先で舐めたあと、左右に揺らすように戯れると、間近で合っているカイの宝玉のような瞳が撓んで微笑んだように感じた。
 今度は上のほうを挟んで甘噛みする。ぴく、と身体を小さく跳ねさせたカイは、顔の横についているソルの腕をなぞるように辿って白い手で触れた。そのカイの右手をソルの左手が掴む。細い手首を掴んだソルの五本の指はそこから這い上がり、カイの手のひらと重なった。自然と互いの指が折り重なるように丸まる。きゅっと繋がれた片手をそのままにソルの唇は依然として柔らかいあたたかさを堪能していた。
 舌先でちろりとなぞるように舐めると、そこは受け入れるように簡単に開かれた。
 首に回っていたカイの繋がれていないほうの手が、襟足から上に撫であげるように動く。その感触がぞくぞくと背筋に言いようのない痺れを齎した。その感覚を追うように、ソルは長い舌を伸ばした。

「ん、むっぅ……ふ、」

 真珠色の綺麗な歯列をなぞり、舌先でつんつんとノックすると、そこは容易く侵入を許可する。招くように開かれたそこから伸びたカイの舌が、待ち構えていたようにソルの舌と絡まった。堪らず熱い舌に吸いつくと、腕の中の痩身がびくんっと跳ねた。宥めるように金糸の流れる襟足を撫でると、カイが喉を鳴らす。
 しばらくの間絡まっていた舌から逃げ、歯茎や上顎をべろりと舐めると、ソルの灰茶の髪に絡まっていたカイの指がくしゃりと強く掻き乱した。
 内頬の粘膜を刺激していたソルの舌を追いかけてくるのがわかって、とっさに引っ込める。きゅっと形のいい眉が寄って至近距離で睨みつけてくるのを、喉の奥を鳴らすようにして笑いながら、カイの舌が追ってくるのを待った。
 案の定、逃げるように引っ込んだソルの舌をカイが追っかけてくる。ちろ、と少しだけ外に出てきたピンク色の舌を唇ではむっと挟み、吸いついた。

「ふ、ぁ…ッ……んっ…!」

 唾液に濡れた舌を軽く吸い込むようにして包み込むと、ソルの髪に絡み付く細い指にきゅっと力が篭る。まるで、もっと、と望んでいるかのように伸びてくる舌にソルも唇を飛び出した舌で応えた。舌先でちろちろと舐め合うそれは、少し幼い拙さのような情緒を生む。ソルは舐め回していた舌先から少しずれ、薄桃の瑞々しい唇を口紅でも塗るように濡らした。
 カイが耐えきれないといったように唾液に塗れた唇を開ける。ソルはそこに食いつき、ぱくりと隙間がないほどに強く重ねた。

「んぅっ!……んっ、ん……ぁ、ふ、」

 ぴたりと重なったそこは今度はなかなか離れることはなかった。隙間なく密着させたまま送り込まれた唾液と分泌され続けるそれを、カイはこくりと飲み込む。よくできましたと言うように髪を撫でられて、カイの口もとが緩んだ。
 深く重なった互いのものは徐々に激しさを増していく。くちゅくちゅと咥内は淫らな音を立て、塞がっている所為で身体の中で反響しているような錯覚さえした。滅茶苦茶に舌を絡め、吸いつき、甘噛みする。激しく顔を交差させながら、息もできないほどの熱烈なその行為に没頭した。互いの口端からは飲み込みきれなかった唾液がはしたなく垂れている。どちらのものとも知れないその液体は、寝台に仰向けになっているカイの上を重力に従い垂れていった。唇の端から漏れ、顎を伝い、首筋を撫でていく。生温かいその刺激にすら、カイの身体はぴくぴくと反応した。
 その唾液のあとを追うように、ソルの大きい手がカイの髪を撫で、側頭部から下へ辿るように降りていく。フェイスラインをなぞるように金糸の生え際をたどり、耳輪を太い指が追う。耳垂を戯れるように挟み、首筋を下りていく。首根までたどり着いた指先がカイの着衣を捉える。襟を掴んだ指は、容赦のない力でぐっと横に開くように力を入れた。一番上の釦が無惨に外れた音がした。
 カイの手もソルの指先の動きを追うように、逞しい身体をなぞるようにたどっていた。側頭部をくだり、耳、襟足、首筋ときて、衣類を纏わない逞しい上半身にカイの白い指先がさしかかろうとしたときだった。

 ――ピピピピッ……

 朝を告げるアラームの音が、咥内を弄る粘着質な音と荒い呼気、それから上等なシーツを波打つ衣擦れの音だけを響かせていた空気を切り裂くように高く鳴った。
 びくり、と互いの身体が大袈裟に跳ねる。とっさにソルが身を引くように動いたため、重なっていた唇は離れたが、絡み合っていた舌が離れるのを拒むようにまごついた。れろ、とソルに引っ張られるままに舌を伸ばしてしまったカイは、舌を出した間抜けな状態でぽかんと口を開け、目を大きく見開いた。たらりと、糸を引くように銀の唾液が垂れる。

「っん、ぅ」

 零れる唾液を反射的に拭おうとしたソルの舌がカイの舌を舐めて、カイはその感触にひくんと肩を跳ねさせた。
 いつも目覚めがいいカイが設定したアラームは、通常通りに短い音を立てただけで勝手に止まっている。ぽたり、と拭い切れなかった唾液がどこかに落ちたっきり、部屋の中は恐ろしいほどの沈黙が支配していた。ソルとカイは深い静寂の中で、大きく目を見開いて、呆然と互いを見つめていた。
 ――ピピピピッ。深い深い静寂を破ったのは、設定通りにスヌーズ機能を発揮したアラームだった。びくっと互いの肩が大きく揺れたのを目にし、混乱に陥って真っ白だったはずの頭は、何が起きたか、何をしていたかを唐突に理解し始めた。
 カイはぶわああっと一瞬にして顔を真っ赤に染めた。無意識のうちに乱れている上衣の胸もとを引っ張り上げるように握りしめ、カイはソルから顔を逸らすようにバッと勢いよく横を向いた。横に向けた先で自分の白い指が節くれ立った浅黒い指と絡まっているのを見て、ぎょっとする。

「ッ……!」

 混乱の際で驚愕ゆえに衝動的に力を入れてしまう。細身といえど、依然は少しの間、身に合わないのではと思うほどの大剣を振り回していたカイだ。加減のない力で折り重なった指をぎゅうっと握り込まれてしまえば、さすがのソルといえども鋭い痛みが左手の指を強烈に走った。

「痛ッ……てぇな!」
「ぁっ、ご、ごめ……ッ!」

 反射的に非難を張り上げたソルと、反射的に謝罪を口にしたカイの顔が今一度互いを向いた。ばちりと目が合った瞬間、カイは再三勢いよく顔を逸らした。ソルも思わず、空いているほうの手のひらで顔を覆うような体勢になる。
 完全に我に返った二人の間には二度目の深い沈黙が降りていた。先とは違い、大分気まずい静寂の中、片手が繋がれたままであるのが滑稽だ。離すタイミングを逃し、絡まったまま放置の憂き目に遭っている。
 どうすればいい。ソルもカイもぐるぐる無意味に回る頭で呆然とそれだけを考えていた。一体全体、自分たちは何をしていた。何をしでかしていた。寝惚けていた、では済まないほどの……あれだ――……キス、をした。していた。朝の挨拶だなんて馬鹿げた言い訳ができないほどの。

「そ、ソル……」

 考えが纏まったというわけではないだろう。信じられない行為をしてしまったことへの対処がわからず、助けを求めるような呼びかけに、カイに視線を向ける。その顔を見て、ソルの頭は今一度真っ白になった。
 抜けるように白かったはずの頬は上気し、朱を刷いている。混乱と羞恥と、先までの濃厚なキスの余韻の所為で、いつも毅然としている蒼碧は露に濡れていた。呼びかけた唇は薄く開かれ、わずかに震えている。そこが重ねすぎたせいで少し腫れぼったくなっているのを見て、ソルは衝動的に身を屈めた。

「んぅッ!?」

 ばくりと噛み付く勢いで、先まで味わっていたそこに食いつく。抵抗にソルの肩を押してくるカイの手は、本当に拒絶しているのか疑うほど弱々しかった。しばらくの間、ソルはカイの抵抗を塞ぐように唇を重ね続けた。
 先までの快楽を覚えているカイの身体は、容易くソルの濃厚な口づけに屈した。至近距離にある瞳はうっとりと細まり、繋がれたままだった手はきゅっと指を絡めてくる。いつの間にかソルの動きに合わせるように動いて、カイの舌がじゅるっとソルのそれに吸いついたとき、思わず身体を離していた。

「ん……やべぇ」
「ふ、ぁ……そる…?」
「勃った」
「ッ、」

 刹那、パチンッ、と乾いた音が鳴った。

「……平手を打つ奴があるか」
「っわ、悪い……とっさに」
「性質悪ぃな」
「……うるさいな。もっとこう……他に言い方ってものが――
「欲しい」
「ッ、」
「お前がほしい、カイ。……抱きてぇ」

 ドクン、と痛いほどに心臓が鳴った。
 息を呑んだカイの唇はまたしてもすぐに塞がれていた。……いや、塞がれたのか、塞がれにいったのか、もはやわからなかった。堰を切ったように欲求が溢れ出す。どんなに重ねても満ちることのない欲が。
 至近距離にあるソルの鋭い瞳に宿るものが本気だと知り、カイは何だか泣きたいような気持ちになった。首を絞められているのではないかと思うほど苦しい。カイは繋がれていないほうの手のひらでソルの頬を包み込んだ。
 ようやくわずかに離れた唇の狭間、熱い吐息のかかる距離でカイは喉を震わせた。

「……どこの誰だったかな。『男に足を開きたいなら他に頼め。俺はご免だ』って言った奴」

 するり、とカイの指先が頬を撫で、煽るようにソルの首筋をたどった。そのいやらしい動きに腰を重たくしたソルは、苦い舌打ちを口の中で留めて反論する。

「そういや『立派な父親だ』とか言ってた奴がいたな」

 互いを睥睨するように顔を突き合わせた二人は、一拍置いたあと、ふっと口もとを緩め、喉を震わせた。喉奥を鳴らすような笑声を漏らしつつ、繋いだままの手を解く。解かれた瞬間、カイの両腕が伸びてきてソルの首にぎゅっと抱きついた。背を浮かしたカイを支え、ソルは自然と顔を傾ける。それに応じたカイはゆっくりと瞼を閉じた。ちゅ、と先までとは正反対の優しい口づけが落ちてくる。
 ああそうか、とカイはようやく理解した。ずっとこうしたかったのだ、と。あの何でもない一夜、遠い昔の、たったの一夜。大人と子どもであったから、ただ抱き合って眠るだけだった。カイは意識せず、未来に繋ぐ我が儘を――約束を望んだ。いつかまた――そんな不確かな、叶うわけもないと理解しているほどには大人で、それでも手を伸ばさずにはいられないくらいには子どもの、夢想のような願い。ソルはきっとカイのことを何とも思っていなかった。それでも、その〝いつか〟が訪れる未来があったとして、そのときに万が一にも心情の変化を経ていたのなら、ソルはその我が儘を聞いてくれる。叶えてくれる。そんな愚かな望みを含んだ我が儘だった。
 カイは何度も重なってくる優しい口づけの最中、ゆっくり瞼を開いた。伏せられた長いブラウンの睫毛の下、赤茶の美しい瞳はなにか罪悪感のようなものに揺れていた。カイは気管を圧迫されたような苦しさと切なさに襲われ、呼吸の仕方を忘れたように喉を引き攣らせた。
 ソルは「抱きたい」とは言っても、その向こうの心情を口にすることはないだろう。何を考えているのか、カイをどう思っているのか、言葉にすることは、決して。それはきっと、カイを、カイの選んできた道程を、家族を、守るためだ。
 それでいい。その罪を背負うのは私だ。私は多分、お前に愛されることより、残酷な運命を懸命に生きてきたお前を、愛したいのだ。優しく抱きしめたかった。激しく繋がりたかった。刻みつけ、刻みつけられたかった。腐れ縁とか友人とか、そんな不確かなものではない繋がりが欲しかった。もっとなにか、いっそ罪のように残酷な、重苦しいものが。
 愛することを許してほしいと、まだ何もこの男のことを知りもしなかった頃から無意識に望んでいた。その許可を、今、いつか思い描いた夢想のような「未来」でカイは与えられたのだ。

「ソル」

 離れた唇の間で囁くように呼ぶ。眦を指先で撫で、カイはふわりと微笑んだ。

「立派な父親と、お前を愛することは並列して叶えられるよ」

 ソルは息を呑み、大きく目を見開いた。
 そんな世界中の真面な人間からすれば、非難を浴びるようなことを嘯いて、それでもカイはそれを真実と信じ、ソルを想うという。
 ソルは目を伏せ、目の前の男を掻き抱いた。多分あの日、この男がまだ子どもだった頃、薄い毛布の中で身を寄せ合い、抱き合った、あのたったの一夜。あの温かさをソルは忘れられなかった。ぴたりと腕の中にはまった子どもに確かに庇護欲を煽られたのに、その先を望んだ。絶対にないとわかっていて、それでも誰か、と。酷い話、もしかしたらこの男でなくてもよかったのかもしれない。けれどあの日偶然にも触れたあたたかさは確かにこの男で、ソルはどうしようもなく求めたのだ。
 愚かにもあの日、慣れたはずの孤独が辛くなった。これから先、今までと同じように暗闇しかない未来がどうしようもなく恐ろしく感じた。だから求めた。望んだ。この男を。もうすぐ、恐らく二度と会うことはないのだろうと、騎士団を抜ける未来をわかりきっていながら。この子どもの我が儘を聞くことは二度と未来にはないのだろうと知りながら。それでも。
 けれど、あの夜、ソルは自分を制した。残虐で恐ろしい化け物が、清らかで無垢な子どもを喰らうのをどうにか抑えた。あの瞬間、ソルは化け物になりたくなかったのだ。庇護したいと確かに思ったあの人間の感情を、忘れていた情を、心を、大切にしたかった。
 ソルはぎゅうっと子どものように抱きついてくるカイを、今一度柔らかい寝台に押し倒した。もう何度目かわからない口づけを交わし、乱れた着衣に手をかける。許しがあっても我慢できるほど、ソルはお人よしではない。どれだけ地獄で苦しんでも足りないほどの罪を負っている旧時代の怪物だ。思うままに生きるだけだ。どんなに嘯いたって、ソルはもう人でなしなのだから。たとえ、あの夜の頑是ない子どもを汚したとしても。いつか、安らぎが訪れると愚かにも夢想して、あの夜のあたたかさを求めている。
 すり寄ってくる身体を撫でながら唇を下へとずらし、細い首筋に衝動のまま噛み付こうとしたときだった。

「カイ様」

 部屋の外から聞こえた声に、ぴたりと動きを止める。コンコン、と控えめなノックの音と時間になっても起きてこない王を心配する声が響く。
 一拍置いて、ぐっとソルの肩を押しやったカイが、仕事があるというのに行為に及ぼうとしていたという居たたまれなさに顔を赤く染めながら、寝台から足を下ろした。

「……おい」
「無理だ」
「ちっ」

 間髪置かずに、ソルの言ってもいない言葉を否定される。行き場のない熱さの渦巻く身体にソルは盛大に舌打ちし、がしがしと頭を掻いた。
 今起きたということを扉越しに声を張って言い届け、部屋の外にいる兵が入ってこないようにそのまま待機させたカイは、ほとんど剥かれていた着衣を着替えるために脱ぎ捨てた。大きい窓から差し込む朝の陽光がカイの白い肌を照らす。それを忌々しそうな、それでいて飢えた獣のような眼差しで見てくるソルの熱い視線に、カイは目もとを赤らめながら寝台の上で胡坐をかくソルに近づいた。
 下着姿のまま無防備に近寄ってきたカイを睨みつけたソルに、挑発するような好戦的な微笑を向けたカイは、太い首に腕を回してしなだれかかった。

「我が儘を言っていいか」
「あ?」
「今夜……、」
「………………」
「一緒に寝てくれないか」

 耳もとで囁いてから、こつんと額を合わせて微笑んだカイに、ソルは何度目か知れない舌打ちをして乱暴にカイの頭を引き寄せた。

「んっ」

 がぶりと唇に噛み付き、皮膚を突き破る。流れた血を舐め取って唇を離したソルは、意地悪く口角を歪にあげた。

「仕方ねぇから聞いてやる。滅多に聞けない坊やの我が儘だからな」
「言ってろ」

 さっと身体を離して着替えを始めたカイの背に、やはり今すぐにでもその身体を組み敷きたいという衝動の腹いせに、下品に言い放つ。

「足腰立たなくなるまで可愛がってやるから覚悟しとけよ」
「なッ……」

 さすがにぎょっとして振り返ったカイの顔は真っ赤だった。それを見て少しは溜飲を下げたソルは満足げに笑った。朱に染まった顔で恨ましげに睨み、ぷい、と子どものように顔を逸らしたカイは、それでも何も反論を口にすることはなかった。我が儘を言ったのはカイで、それをソルが聞き入れたという事実を壊さないようにだと、ソルは痛いほどわかっていた。
 そうだ。これはカイの「我が儘」にソルが「付き合って」いるのだ。
 そんなふうに繕って、無様な言い訳をして、そうして互いを求めるのだから、滑稽極まりない。それでももう知らないふりをしていた境界を超えてしまった。
 この一夜さえなければ、変わらない距離でいられた。知らないふり、気づかないふりで、「もっとも近しい友」だなんていう距離で、触れることのない距離でいられたのだ。あの日、ソルが化け物から守ったはずの子どもを、そのまま壊さないでいられた。けれどその子どもは自ら怪物の供物になることを望んだ。一緒に寝てくれないか、と頑是ない子どものような顔で無邪気に笑って「我が儘」を口にする。
 着替えを終え、扉に向かうその男の背をソルは衝動的に追いかけた。扉に手をかける直前、背後から覆うように抱きとめて顎を強引に掴み、顔を振り向かせる。何度重ねたってこれっぽっちも満ちることのない唇に噛みついた。至近距離で合った蒼碧の宝石は、いろんな感情でぐちゃぐちゃになって潤んでいた。ソルは不様に震える唇と身体をカイから離す。離した途端、かくんと膝を折り、カイはその場にしゃがみ込んだ。カイはぺたんと床に座り込み、俯いていた。その顔は立ったままのソルには見えないが、震える肩と高級な絨毯に落ちる雫が、彼の表情を物語っている。しゃくりあげる声が聞こえるわけではない。それでもそれは、幼子のように心もとない姿だった。
 歓喜とか不安とか幸福とか罪悪とか……もういろいろ詰まり過ぎて壊れてしまいそうなその痩身をソルはただ見下ろした。もう手を伸ばそうとは、その子どものように震える身体を、今、組み敷こうとは思えなかった。
 その肢体を、あの日の庇護欲を煽った少年を、誰もが仰ぎ見る天使を、ソルは今夜壊すのだ。この男の清らかさを、正しさを、穢すのだ。あの夜の純粋な子どもに、二度と戻れない道に、引きずり込むのだ。
 でも知っている。それでもお前は明日の朝、それを幸福と呼び、微笑むのだろう。残酷で、熾烈で、無情な化け物を想って。そして明日の朝を迎えれば、その化け物はもう手離せなくなっているに違いない。この男を、もう二度と。純白の羽根を無惨にもぎ、暗い地の底へ閉じ込め、世界が終わるまで俺を愛せと喚くだろう。独りにしないでくれと泣き喚く無様な男を皮膚の下に隠し、その怪物はお前を際限なく求め続けるだろう。あの夜のあどけない子どもを跡形もなく奪い去って。
 それはどんなことよりも罪深いような気がして、ソルはまだ清らかさを保っている眼前の男に触れられないでいた。今は、まだ。この明るい陽が沈み、夜になるまでは。

 


 頑是ないとしての君



 End. (title by : afaik 様)
 2017.10.12