TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Theme > 頑是ない子としての君 > 01
それは突然だった。
式典出席のためにイリュリア城に来ていたレオは、執務室を訪れていた。書類と格闘している同僚を前にソファに腰かけ、優雅にティーカップを手にしている。これは彼の執事がどうぞとにこやかに持ってきてくれたものだ。細かな装飾の施された美しいカップに、もしやカイ個人の所持品じゃあるまいな、と不審に思いながらも甘い果物の香りがする紅茶を口にする。
愚痴混じりの仕事の話や近況、ちょっとした世間話など、ぽつりぽつりと軽く交わしていたが――カイは書類と向き合ったまま話に参加した――この何てことのない平和な一幕は、ひとりの男によって破壊された。
バタン、とそれなりに大きな音を立てて、いきなり執務室の扉が開いたことにレオはぎょっとした。先ほどの執事とは違い、乱暴に且つ無言で扉を開けた男は、ぽかんとするレオを見とめ、お前いたのかという特に何かの情が篭るわけでもない無感動な視線を寄こしてから、ずかずかとカイが座るデスクに向かう。
「ん」
たった一音、言葉と呼ぶにしては短すぎる音を発して、男は右手をカイに向かって差し出した。カイはそれを呆れた目で見やってから、仕方ないなぁという顔をしてデスクの引き出しを開けた。
カイが引き出しから取り出したのは小さな瓶だった。趣のあるエジプシアンブルーを輝かせた瓶は、少し波打った円筒形の先で、なで肩のペンタゴンを描いている。推測するにどう考えても酒瓶なのだが、美しい装飾が施された瓶のラベルを見てレオはぎょっとした。これはちょっと……いや、結構な高級品ではないか。なぜそんなものがここに――と思ったところで、確か箔をつけるようにとかなんとか、ウイスキーを渡されたことがあるといつの日かカイが言っていた気がする。
しかし、カイが今取り出した酒瓶はウイスキーではないようだ。……つまり、ウイスキーはすでに飲んだということか。ほとんど酒を嗜まないカイが飲むとは思えない。となれば、カイが今取り出した酒瓶にわずかながら鋭い赤茶の目を満足そうに細めた男が代わりに飲んだのかもしれない。
カイは手にした酒瓶を男に渡した。男はそれを受け取り、いつもの仏頂面を微かに緩め、踵を返した。驚きなのは男が執務室に突撃し、酒をねだり、それをカイが渡す、この今の今まで無言であるということだ。あえて言うとすれば、男が「ん」と口にしたことがあるが、それは会話になんてまるでならない、ただの吐息レベルの音だった。
呆気にとられたレオが何かを言う間もなく、そのまま男の背を見送ろうとしていたときだった。「あ……」と、突然何か思い出したとばかりの声をカイが発する。
「そういえば、ソル」
一般人がちょっとやそこら頑張って働いても買うのを躊躇う高級品をただで貰ったというのに、男はいかにも面倒そうな顔で振り返った。
「お願いがあるんだ。お前、まだイリュリアに滞在するんだろう?」
「ああ」
「ちょうどよかった」
レオはもうこの二人に何か口を挟むのは諦めた。さすがに何の声掛けもなしに執務室に入るのは駄目だろうと注意するつもりだったが、肝心のカイがそれを何とも思わず受け入れているのだ。今さらレオが言及したところでソルが正すとは思えない。レオは深い溜め息を吐いて、手にしたままだったティーカップを傾けた。
「一緒に寝てくれないか?」
ぶふう……!
レオは盛大に紅茶を吹き出した。
「ちょっとレオ……! いきなりどうしたんだ。ああ……床が…」
いや、「どうした」はこちらの台詞だ。
カイは立ちあがり、綺麗なハンカチを取り出してせっせとレオの口から噴出された紅茶を拭き始めた。汚さないでくれというように少し眉をつりあげたカイに見られたが、レオはそれどころではなかった。
今なにかとんでもない言葉を聞かなかったか。これは、えっと、つまり……そういうことか。そういうことなのか。この二人がそういう仲だということでいいのか。……いや、よくないだろう。そういう仲だとしたらカイは不倫していることになる。スキャンダルどころか、レオの見知ったカイ像が甚だしく壊される事実である。……いやいやいや、でもおかしいだろう。ここでなぜそれを言う必要がある。そもそも、そういう仲なら今さら一緒に寝ましょうなんて言わないか。うん、言わないな。というか、カイが突然そんなこと言い出すだろうか? こんな神聖な仕事場且つ同僚の前で。馬鹿か、言うはずがないだろう。
「か、カイ……お前、今なんて言った」
レオは恐る恐る訊ねた。一縷の希望を託して。
カイはきょとんと目を丸くし、無垢な少女のように首を傾げた。
「え? だから、ソルに一緒に寝てくれないか、と」
聞き間違いじゃなかった……!
レオは思わず空を仰いだ。なんてことだ。
そういえば、まだ執務室に訪れてから「ん」と「ああ」しか口にしていない男が何の反応もしていない。レオは首を戻し、男の様子を窺って瞠目する。男は見たこともないくらい赤茶の目を大きく見開き、丸くしていた。
「………カイ」
男がなにか言いようのない情を湛えてカイを呼んだ。丸くなっていた眼はどこか憐憫の眼差しで第一連王を見ている。
「ついに気が触れたか」
「は……?」
強い憐れみの篭った目で見られたカイは片眉をあげ、男を睨みつけた。
「何なんだ、急に。失礼な奴だな」
「いや、テメェが何なんだ。男に足開きたくなったってんなら、そこにいるオトモダチに頼めよ。俺はご免だ」
「なッ……!」
あまりにもひどい言い草だ。勝手に話に巻き込まれたのは癪だが、レオは安堵していた。二人は別にあやしい仲ではなかったのか、と。
ソルのあまりの言い様に、ぶわあっと瞬く間に顔を赤くしたカイが怒りからわずかに潤んだ瞳でソルを睨みつけている。正直その顔は性質悪いぞ、といつの日か聖騎士団の団員が意図せずカイに籠絡されていた過去を思い出して、レオは憮然とした面持ちになった。
「な、なんてことを言うんだ、お前はッ……!」
「テメェこそ、なんてことを言い出すんだよ。うっかり酒落としかけただろうが。割れたらどうしてくれるつもりだよ」
「結局落としてないだろう! そもそもそれは私のなんだ! 厚意でお前にあげているんだから文句を言える立場じゃない!」
「っせぇな。どうせテメェは飲まねェんだからいいだろうがよ。俺が〝厚意〟で瓶を空にしてやってんだ。ありがたく思えよ」
「ッ、お前はそうやって、また……! 滅茶苦茶な理論で自分を正当化する!」
「ハァ? 正当化してんのはテメェのほうだろうが。せっめぇ価値観で正義感振り回してたのはどこの坊やだよ」
「うるさい! 昔の話を持ち出すな! それといい加減、これみよがしに坊やと呼ぶのをやめろ……!」
「坊やは坊やだ。呼ばれたくないなら、さっさとその青いケツどうにかしろ」
「私はもう子どもじゃない! 立派な父親だっ!」
「立派ァ? テメェでろくに子育てもできなかったやつが立派な父親ってか。はっ! シンが報われねぇなァ」
「ぐっ……」
「ふん。今さら言葉の綾だって前言撤回すんなよ」
「ッ……お前こそ、おじいちゃんのくせして、シンにオヤジって呼ばせて若ぶってるくせに……!」
「ああ゛っ? テメェ、なんつった。もう一遍言ってみろ」
レオはぽかんと大口を開けていた。突然勃発した喧嘩はヒートアップして、もはや何の関係もない話まで飛び火している。
カイが理知的さを失いぎゃんぎゃん子犬のように吠えている様も、ソルが面倒だと捨て置かず挑発を重ねている様も、見たことのない光景だ。
今にも互いに掴みかかりそうな二人を止めたのは、執務室を叩くノックの音だった。
「あ、あの……何か問題でもありましたか?」
衛兵は王の返事を待たずに扉を開けた。それにレオは教育がなっていないと盛大に眉を寄せたが、兵はかなりおろおろと困惑しているようだった。まぁ、普段慎ましく微笑んでいるような王があれだけ語気荒く声を張り上げていれば何事かと焦るだろう。兵はソルが執務室に入るのを止めることもできなかったようだし。
「い、いえ」
カイはわざとらしく咳払いをして、すぐに「王」の顔に戻った。
「すみません、お騒がせして。どこかの無法者があまりにも礼儀を欠いていたもので」
それでも嫌味を付け加えるあたり、怒りは治まっていないらしい。ソルは大きく舌打ちしてカイを睥睨した。衛兵が「ひっ」と短い悲鳴をあげる。ソルの凶悪な面構えが相当恐ろしかったのだろう。それを向けられた張本人であるカイは、つん、と子どものようにそっぽを向いて抵抗している。レオはもう目の前の光景が信じられなかった。
「あっ、あの……レオ様、」
「おあ?」
突然の呼びかけに、うっかり間抜けな声が出た。
「直属の部下の方がご用があると……」
「あ、ああ」
衛兵は蒼い顔をしている。ソルをみすみす通してしまったこととか――それで王と喧嘩に発展しているし――返事も待たずに扉を開けてしまったこととか、色々考えて反省と共に慄いているようだった。その様子があまりにも可哀想で、レオは注意はしないことにし、すれ違い様にぽんっと肩を叩いてやった。
「あー…じゃあ、カイ。俺は行く」
「ああ」
生返事が返ってくる。レオは去り際に見やったカイの顔を見て、今日何度目か知れないほど驚愕を露わにした。
怒りからか頬を微かに上気させ、むぅっと唇を尖らせている様は本当に子どものようだった。それこそ、ソルが言う「坊や」やレオの辞書に載る「バンビーノ」のような。そんな顔は、彼が本当に子どもといっていい年齢だった頃にだって、一度として見たことのないものだった。
レオは執務室を出て長い廊下を歩きながら、それで結局カイの「一緒に寝てくれないか」発言は一体なんだったのだろう、と一人もやもやすることとなった。