TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Novel > juratio > 02
寂れたモーテルにはすぐ着いたのだが、カイにとってはあまりの羞恥と人目への不安、それからあと少しというところで寸止めになっている快楽に、恐ろしく長い時間に感じた。ソルが立てつけの悪い部屋の扉を開けた頃には、もう頭は下半身にしか向いていなかった。
部屋に入った途端、雑に降ろされる。その際、羽織りをがばりと勢いよく剥がされ、その下で剥き出しだった陰茎を擦っていった。
「あんっ……!」
その刺激にだけで、びゅく、と先走りが飛ぶ。堪らなくなって、カイは薄い扉に背を預けて自身の下半身へ手を伸ばした。
もうソルの目すら気にする余裕はなかった。痛いほどに上向いたそこを一心不乱に自身の手で擦り上げる。
求めていた絶頂をようやく得られる。涎の垂れた唇は自身も気づかぬうちに淫らに笑んでいた。視界が白く点滅する。
「あ、あっ……! っい、っ、…ぁっ、~~~ッ!!」
ドアに寄りかかり、がに股でがくがくと脚を震わせながらカイは絶頂に達した。びゅるびゅると白濁が飛び散るのに気をやる余裕はなく、びくびくといやらしく跳ねながらずるずると扉伝いに落ちて座り込む。
カイは虚ろな眼に涙の膜を張って、尾を引く恍惚の極致に感じ入った。いまだびくんっびくんっと淫らに跳ねる身体が急に引っ張り上げられた。
強く扉に背が当たり、その痛みに気づくより先に唇を塞がれる。
「う、ン、んぅ……ッ」
喰らい尽くすようなキスだった。キスというよりは捕食だ。意識が遠のくほどに激しい口づけの最中、着衣を一枚一枚剥がされていく。くっついては離れ、脱ぎ、またくっついては離れ、脱ぎ、と繰り返しているうちにいつの間にか扉からは離れていた。
カイの服がすべて脱がされた瞬間、壁に磔にされて深く唇が重なる。ベッドに向かっていたのだろうが、シーツがぐちゃぐちゃのままのソルが使っていた小さい寝台にたどり着くことはなかった。
ようやく解放された唇に目を開けると、眩む視界には据わった鋭い双眸を光らせる獣がいた。そこに浮かぶ仄暗い欲望にぞくりと背が戦慄く。
こんなことをしている場合ではないのに。城に戻って仕事に着手しないと。そう頭では思っているはずなのに、口から漏れるのは熱い呼気ばかりで身体は甘苦しさに支配されて痺れて動かない。ぬちゃ、と唾液を滴らせてがばりと開いた眼前の口から鋭い牙が覗いたのを、カイはただ眺めていた。
身体が浮いている。そのことに今さら気づいた。
両脚を小脇に抱えられ、完全に足が床から浮いたまま正面から肉棒を打ちつけられている。背中は壁に擦れて痛いはずなのに、最早その痛みすら快感に成り代わっている気がした。
ぐちゅ、じゅぽっ、と淫らな音がひっきりなしに響いている。ソルの大きいな掌はがしっとカイの双丘を鷲掴みにしていて、時折いやらしく揉まれるのが快楽を煽った。
「んっ、あ、あっ……!」
ひどい情交だ。
ソルとまぐわうたびにそう思う。会話などほとんどない。もとより口数の多くない男は行為の最中で饒舌になるわけもなく、獣のような荒い呼気を発するだけだ。カイほうは聞くに堪えない嬌声しか出てこない。それ以外に出すとすれば、「いや」だの「やだ」だの、拒否の言葉だけだ。伸びてくる腕は乱暴で、行為の承諾の有無など聞かれたことさえない。こういった行為に関しては衝動的なタイプなのだろうと勝手に思っていたが、先の酒場の出来事を鑑みるとそうではないのかもしれない。
ソルのこういった対象は女性だと知っている。だから、男でも自分なら抱くのだという自負がなかったと言ったら嘘になる。反対に言えば、愚かにもそこだけに縋っていた。そこしかなかった。多少くらいは気持ちがあるからだろう、と。でなければ、わざわざこんな硬い身体を組み敷かないだろう、と。我ながら惨めなものだ。そう思っていたからこそ、酒場での光景を見たときは衝撃だった。男二人に囲まれ、そういう誘いをかけられているのに断ろうともしていなかった。ソルの中での自分の価値が一気に下がったように思えた。
何をしているのだろう。お前の男は私だけだ、などと馬鹿げたことも言った。そうであってほしいという願望でしかない。もういっそ洗いざらいぶちまけてほしかった。ほんの少しでも気持ちがあるのなら嬉しい。そうでないのなら、ただの処理だとか都合のいい相手だとか、はっきり言ってほしかった。
そうしてくれなければ、いつまでもソルという男の袋小路から抜け出せない。触れてしまえば欲しくなる。欲しくなってしまえば、あとはなし崩しだ。この逃げ場のない快楽の中に堕ちていくだけ。
わかっているくせに。こんなあられもない姿、お前以外には絶対に晒したくない。私がこんなことを許している意味なんか、とっくの昔にわかっているくせに。
「ッ……ア、あ、……ひっ、ぅ」
何も言わないこの男が憎たらしかった。強すぎる快感の中で、縋りついた逞しい身体に爪を立てると赤い筋ができて血が滲む。しかし、その傷は瞬く間になくなった。まるでそれが、こんな行為に意味などないのだと知らしめているように思えた。こんな深いところで繋がって互いにひどい醜態を晒し合っているというのに、カイはこの男に爪痕一つつけることができないのだと。こんなことをしても、この男に傷一つつけられないのだと嘲笑われているかのようだった。
歯噛みし、より一層強く浅黒い肌に爪を突き立てると、仕返しとばかりにズンッと激しく突き上げられた。
「ああーーっ! は、ぁッ……っ」
ごりごりと容赦なく中を擦り上げられ、あまりの刺激に大きい声が出てしまう。
刹那、突然ドンッと背中に振動が走った。強い快楽に頭を支配されたカイが何が起きたのか理解するより先にソルが舌打ちする。面倒そうに顔を顰めたソルに、カイはようやく隣室から壁を叩かれたのだと気づいた。
――聞かれてた。
途端に、かあっと顔が真っ赤になる。
寂びれたモーテルは壁が薄く、隣の声など筒抜けなのだろう。冷静な頭なら最初からわかっていたが、カイはこのモーテルに着くより前に理性などほぼ失っていたようなものだ。
あまりにも居たたまれなくて、羞恥でどうにかなりそうだった。ソルに縋っていた腕を離し、慌てて手の甲を口に当てる。すると、また舌打ちが落ちた。
がしっと掴まれた手は容易く唇から離された。快楽と羞恥に潤んだ瞳でソルを見てふるふると首を振って拒否したが、彼の薄い唇はいやらしく吊りあがっただけだった。嫌な予感を感じる間もなく、ずんっと勢いよく突きあげられる。
「ッひ、ぃ、っ、まって、まッ……あ゛ぁーーっ……!」
先まで以上に大きい嬌声が漏れてしまう。完全に隣の部屋には聞こえていただろう。
嫌なのに、口を噤む余裕もないほどにがつがつと責め立てられた。引き攣る呼吸は酸素不足の脳には不十分で、すぐに思考回路すら遮断される。
もう声を抑えることなど意識すら向かず、カイは責め立てられるがままに甘い声をあげてよがった。
『あっ、あんっ、あんっ!』
あれ、と朧々とした頭で首を傾げる。自分の声とは似ても似つかない声が聞こえることに気づいた。自分を乱暴に抱く男は相変わらず乱れた呼吸音を発しているだけだ。この男の声とは果てしなく遠い高い声が聞こえている。息も絶えんばかりに荒く、信じられないほど甘ったるく響く声は紛れもなく女性のものだった。
いい、いい、と我を忘れてよがる女性の嬌声だ。
「っ……」
すべてを理解し、カイは気を失ってしまいそうなほどの羞恥に顔を赤くした。
隣室だ。隣の部屋から聞こえている。居たたまれなくなって縋るようにソルを見れば、いやらしく口角をあげられた。最悪だ。愉しんでいる。
自分たちの行為に触発されたのか、今まさに隣の部屋で男女が交わっていることもだが、何よりもこんなにもはっきりと隣室の声が聞こえるということが衝撃だった。だって今の今まで、カイのあられもない声はこんなにも筒抜けだったのだ。
「ッ、やだ、ぁっ、やっ……」
ずるるる、と硬い男根が一気に引き抜かれたと思ったら身体を反転させられた。甘く痺れる身体はがくがくと震え、ようやく床についた足は覚束ない。両肘をつくようにして壁に縋らないと立っていることすら難しかった。
ぴと、と背後から秘所にあてられた熱い欲望に絶望する。
「ぅあ……ッ、や、やだ、ソル……っ!」
先端がほんの少しだけ中に入ってきた。カイの眼前にある壁は時折ドンッドンッと音がして振動が手に伝わってくる。女の嬌声もひっきりなしに聞こえていた。この薄い壁の向こう側にいるのだ。この壁の向こうで、見ず知らずの男女がセックスしている。
このまま突き入れられてしまえば、この目の前の壁に向かって声をあげてしまう。聞かれてしまう。
いやいやと必死に拒否を示してみても当然ソルが止めてくれるわけもなく、ぬぷぬぷと肉棒が入ってくる。
「ひぃ、っう、あ、ッ――……!」
ゆっくりと挿入してきた間は唇を噛み締めることで我慢できた。しかし、途中で突然奥まで衝き入れられて、カイは首を仰け反らせて身悶えた。
「ぁ、はっ、……っ…ふ、う……ッ」
懸命に声を噛み殺したが、背後から伸びてきた節くれ立った指先がカイの顎を持ち上げ、唇の中に指を突っ込んでくる。
「隣も楽しんでんだ。もっと煽ってやれよ」
行為を始めてから久方ぶりに紡がれたソルの言葉は、ろくな意味じゃなかった。
「声だけじゃ、誰もテメェの国の王サマがあんあん喘いでるとは思わねぇよ」
耳の中へ直接吹き込むようにして囁かれた言葉に、恥辱と怒りでカッとなる。この身体がちゃんと動くようになったら絶対雷撃を喰らわせてやる。そう思ったものの、強制的に開かされたカイの口からは、壁に向かってあられもない嬌声があがった。
「はぁぅ、あっ、あぅ……」
もう解放されたい。
過ぎた快楽で意識を失いそうになる度に快感で意識を引き戻される最悪なループの中で、カイの理性は粉々に打ち砕かれていた。もう隣室の声すらカイには届いていない。
「ぁっ、だめ、すごい…っ、ぁっ、あーー……」
びゅるるる、と白濁が薄汚れた壁に向かって噴き出す。絶頂に達した身体が限界を訴えて弛緩した。ようやく解放された、と長い快楽に息を吐いたのも束の間、ソルががつがつと律動してきて目を剥く。そこでようやく、まだソルは達していないのだと気づいた。
「っひ、んッ、もう…っいって、っ、いってるからぁ……!」
達したばかりの内部はあまりにも敏感になっていて、動かれる度に小さなオーガズムを迎えているかのようだった。
もう充分に欲望を出しきったはずの中心で何かが弾ける感覚がした。まずい、と一瞬で頭が冷える。
「っぁ、だめ、ま、とまっ、て……ッ――~~~っ!」
びしゃっ、と何かが噴き出した。身体を突き抜ける過ぎた快感に虚ろな眼で見下ろすと、透明の液体が壁を滴っていた。それが何かを理解する間もなく、がつがつと腰を打ちつけられて、その度にびゅっびゅっと少量の液体が噴出する。
おかしくなる。
背後の男から逃れるように、カイは乱れた金糸をくしゃりと鳴らしながら壁に頭を押しつけた。わずかに離れた身体を許さないとでもいうように乱暴に掻き抱かれたと思ったら、ソルの呻きが聞こえ腹の中で脈動を感じた。熱い飛沫がどくどくと注がれる。
「ぁっ、いぅ、っ……あ、…あー……」
熱く逞しい腕がぎゅううっと絡まってくるのを感じながら、カイの意識は深い闇の底に落ちていった。
「……ベルナルドに怒られる」
右腕に乗る頭から不満げな低い声が漏れた。ソルはもう一方の自由なほうの手で咥えていたシガレットを離し、だろうな、とぼんやり思う。仕事を放って長いこと情事にいそしんだ挙げ句、少しの間だが眠っていたのだ。
ようやく目を覚ましたと思ったら最初の一言がこれだ。親に叱られるのを想像したガキみたいな三十路過ぎの男に呆れる。シミだらけの天井に向けて深く紫煙を吐き出したソルは、たっぷりの間をあけて口を開いた。
「ざまぁ」
途端に腕に容赦なく噛みつかれた。痛ぇなと嘯くと、そっぽを向いていたハニーブロンドがもそもそと動き、身体を反転させてソルのほうを向く。ソルは灰が落ちそうな煙草を枕もとの灰皿へ仰臥したまま手さぐりで押しつけた。
首もとを擽る金糸の艶やかな髪が動き、ぢう、と鎖骨のあたりに吸いつかれる。肩や二の腕、胸筋へと、つけた途端に薄れる痕を嫌がるように何度も吸いついてきた。そのくすぐったさに耐えかねて制止するようにくしゃりと髪を撫でると、ソルの肌に埋まっていた顔があがる。覗いた花顔はいかにも情事後ですと主張するように淫らさが抜け切っていなかった。
「……それで?」
「あ?」
「何のために私を呼び出したんだ」
「別に呼んでねぇだろ」
「早急に伝えたいことがあるとここの座標だけよこして音信不通になったのはどこの誰だ」
無言でいると、形のいい眉が寄り苛立ちが露わになる。
「まさかこんなことをするためじゃないだろう?」
「……仕事が立て込んでて欲求不満ではあった」
瞬間、カイの顔が怒りでカッと色づいた。
「シンだけ城へ寄こしたからあの子に聞いたら「オヤジは手が放せねぇって言ってた」って返ってきたんだ。それに加えてあの連絡だ。何かに巻き込まれてるのかと仕事を後回しにして来てみれば、酒場で男性に口説かれているところだったうえにこれか? さすがに怒るぞ」
「いつも怒ってんだろ。あとシンの言葉は間違ってる。テメェが聞き間違えたんだか、あいつが言い間違えたんだか知らねぇが、俺は「手が離れてるから先に城に行ってろ」っつったんだ」
「は?」
「右手が千切れたから修復するまでここでおとなしくしてた」
がばっとカイが身体を起こした。自分が頭を乗せて枕扱いしていた腕がちょっと前までもげていたと知り、慌てたのだろう。
「もう完全にくっついてる」
しきりに肩から二の腕にかけて検分されて、面倒ながらもそう言って納得させる。
「じゃあ、あの連絡は何だったんだ。まさか本当に欲求不満だったからとか言うんじゃないだろうな」
「……………」
何も答えずソルが新しい煙草を取り出して一口喫んだところで、カイは信じられないものでも見るような目でソルを見た。
「……嘘だろう?」
本当に性欲を解消したいだけだったとでも言う気か、とカイは呆れて深く溜め息を吐いた。でも、とだんまりを決め込むソルを見る。解消するだけならわざわざカイを呼び出さなくても、相手ならいくらでも捕まえられるはずだ。あの酒場の男たちだって構わなかっただろう。想像するに、カイが到着する前に立て込んでいた仕事か何かが決着がついてカイが必要なくなった、というところか。勝手にそう納得して、カイは硬く狭い寝台から足をおろした。
部屋に散乱している衣服の惨状に頬を引き攣らせながら、気怠い身体に服を身に着けていく。粗方身に着け、最後にと髪留めを拾ったところでソルに手招きされた。
寝ていた身体をのそりと緩慢に起こし寝台の上で胡坐をかいたソルの傍に近寄ると、髪留めを奪われる。されるがままにソルに背を向け寝台の縁に腰かければ、皮の厚い指先がカイの髪を纏め始めた。
どういう風の吹き回しか知らないが、おとなしく髪を纏めてもらう。いつもとは違い、頭の上ではなく首もとで一つに括られた。ここに来るときフードを被るために下で纏めていたからだろう。そのときと同じ髪型にしたようだ。
首をくすぐる指先が何ともいえない感覚をもたらし、ぞくりと戦慄く背に気づかないふりでカイはソルに纏めてもらった髪を靡かせて振り返った。
「どういうつもりだ?」
「……別に」
ふい、と顔を背けられフードを被せられる。そのまま背を向けてまた寝台に横になったと思ったら、さっさと行けと追い払うようにしっしっと手を振られた。あまりの態度に頭に来たが、すぐにでも城に戻らないと、と放置してきてしまった仕事を思ってカイは踵を返した。
「カイ」
扉に手をかけ、ドアノブを回したところで声がかかる。
久しぶりに名前を呼ばれた気がした。あれだけ長く激しく身体を重ねたというのに、ろくに名前も呼ばれなかったのだと思い知る。
あまりよくない気持ちのまま呼びかけに応えて振り返ったが、ソルはこちらに背を向けたまま横臥していた。
「Bon anniversaire」
カイはきょとんと目を丸くした。
母国語で告げられた「良い誕生日を」との言葉に、先のまでの嫌な気持ちは一気に吹き飛び、現金にも頬が緩む。
「〝早急に伝えたいこと〟ってそれか?」
まさか、と思いながら悪戯に問いかけると無言が返ってきた。沈黙は肯定と捉えたいところだが、この男がわざわざそんなことを伝えるためにあんな面倒な呼び出しをするはずがない。わかっていながらも、カイは自分に都合がいいように受け取ってしまう心臓が早鐘を打つのを感じた。
もしかしたら一生告げることはないだろうと思っていたこの高鳴る心臓に隠した想いを、やはりいつかは伝えてみたいと思い直した。今はまだその勇気はないけれど。
カイは廊下へ踏み出しそうだった足を引き、ソルのもとへ戻った。
「ありがとう、ソル」
頑なに背を向けたままの布一つ纏わない逞しい肩甲骨を見ながら返した言葉は、恥ずかしいほどに甘く響いた気がして頬が熱くなる。カイは不自然に咳払いをしながら、横臥する大きい身体に覆いかぶさるようにして、頬にちゅっと唇を落とした。でもこれだけは言っておきたい。
「だが一応言っておくが、私の誕生日は十日前だ」
「へえ」
わかっていたのか、本当に日にちを間違えて覚えていたのか、ただの気まぐれの言葉だったのか、真偽はわからないが興味なさげな相槌だけが返ってくる。もそりと動いたソルはうつ伏せになって枕に顔を埋めてしまった。そのまま寝入ったような寝息に吐息をつくと、カイは屈めていた腰をあげた。
くしゃり、とダークブラウンの髪を撫で、「またな」と小さく呟いてその場を後にした。
*
城に戻って正装に着替えたが、髪はそのままにした。せっかくソルが結んでくれたものを解くのが嫌で、今日一日くらいはとどうしても思ってしまった。
いつもは上で括っているはずの髪が首の横で縛られている様に、すれ違う兵たちが不思議そうに見る視線に居たたまれなくなるが気にしないことにしておく。
気に病んでいたベルナルドのお叱りは意外にもないまま、カイは山積みの書類に手を伸ばした。
「あなたが着飾っているなんて珍しいですね」
紅茶を差しだしながら、ベルナルドがそんなことを言う。
「……はい?」
想像だにしなかった言葉をかけられて、カイは目を丸くした。
「おや、まさかお気づきになられていないのですか?」
目尻の皺を深くして、何やら意地悪く笑んだ執事がとんとんと首もとを指した。示されたそこに触れても自身の肌があるだけだ。ベルナルドは若干呆れたように肩を竦めてみせ、「髪留めを」と一言告げた。
ハッとして、あれだけ解きたくなかった髪を呆気なく解いたカイは手の中の髪留めを見て目を見開いた。
見知った髪留めに見知らぬものが括られている。部屋の淡い照明の下でそれはきらきらと瞬いていた。あいつの色だ。それを見て連想したのはただ一つだった。炎の、いろ。
煌めく赤い楕円の周りにダイヤが散りばめられ、それはリングになっている。……指輪だ。
「見たところ、アレキサンドライトですね」
呆然ときらきらと光るそれを眺めていたカイに少し揶揄を含んだ声が届く。
「照明の下ではその情熱的な赤色ですが、太陽の光の下では色が変わるはずですよ。今となってはとても稀少なものですから、それだけの大きさとなるとかなりの値段でしょうね。小さな国ならば傾くのでは」
あまりのことに目を剥いたカイに、さらなる追い打ちがかけられる。
「随分と貢がれてるようですな。愛人に」
城を不在にしてどこで何をしていたか全部知っているかのような言い様に、カイはかあっと顔を真っ赤にした。
カイは朝日の差し込む窓辺で頬を熱くしていた。手の中の指輪は昨夜とは違い、透き通るような蒼碧へと変化していた。その色には見覚えがあった。生まれてこの方、鏡を見れば映っている色だ。
カイはきゅっと唇を噛み、手の甲で頬を冷やしながら内線に手を伸ばした。
「……今すぐソル=バッドガイを指名手配してください」
渡すならちゃんと指に嵌めろと言ってやる。そして伝えようと思う。この気持ちを。
カイは手の中にある不器用な男からの精一杯の想いに、そっと口づけを落とした。
End.(juratio =〈羅〉誓い)
2018.11.20