細い背を追い、必死に声を張り上げる。

「カイ様、お待ちください……! 病院関係者の拘束や患者の避難で人手が足りません! こんな少人数で踏み込むのは危険です!」
「失踪者にギアの生体反応」

 空気を遮るような声とともに振り返った上司の顔は、人形のように無表情だった。

「何かが起きてからでは遅いでしょう。手遅れになる前に踏み込みます」

 ぐ、と口を噤むと、澄んだ青空のような瞳に強く射貫かれる。

「あなた達はここで応援が到着するまで待機してください。私が様子を見てきます」

 言うや否や、かつての聖戦の英雄は返事を聞くこともせず、鈍く灰色に光る重厚な扉を法術と共に強引に突破した。

「っ、カイ様、だめですッ! あなたの身に何かあっては――!」





 Ⅲ. hope never ever dies. - 人類の精神安定剤





 レオはカイの自室の扉を開けて目を見開いた。

「何事だ…?」

 大きい寝台に横たわる同僚を囲うように、ディズィーとシン、ソルやパラダイムまでいる。

「起きないんです」
「は?」
「カイが起きねぇんだよ」

 急いでカイの部屋に来いと通信が入ったため慌てて来たのだが、予想外の言葉にレオはぽかんと首を傾げた。
 寝台に寝転がったままのカイはすぅすぅと穏やかな寝息を立てている。

「………起こせばいいんじゃないか?」

 目覚めがいいはずのカイが起きないとは、相当疲労が溜まっていたに違いない。だが、目覚めないというのなら叩いてでも何でも起こしてしまえばいい話だ。

「何しても起きねぇの! 耳もとで大声で呼びかけても、引っ叩いても起きねぇんだよ!」

 シンは叫ぶように言いながら、カイの頬をむにむにと引っ張っている。柔らかい頬が伸びて赤くなってもカイは寝息を立てたままだった。

「……どういうことだ?」

 レオは唖然として眠るカイに近づいた。ぺちぺちと軽く頬を叩くが、まったく反応しない。

「わかりません。時間になってもカイさんが起きてこないので部屋に来たのですが、全然目を覚まさなくて……」
「俺やオヤジが散々引っ叩いたけど無反応だぜ」
「呼吸も脈も正常だ。見た限り、ただ寝ているとしか思えん」

 レオは思わず、無言で腕を組んで壁に寄りかかっている男を見た。

「……失神してるわけじゃないのか」

 いつもの仏頂面の男をちらと見やり、ぽつりと零す。カイは彼に気絶させられたのだ。レオの責めるような視線など意にも介さず、男は無言のままだった。

「失神ならば長くても数分で気がつくはずだ」

 パラダイムが答える。
 確かにそれならおかしい。カイが男に気絶させられてから一晩は経っている。

「じゃあ……」

 カイの妻から気まずくも視線を外し、躊躇いがちにレオは続けた。

「昏睡していると?」

 ディズィーがひゅっと息を呑み、カイの手を握っている指先に力を込めた。

「わからん。とにかく医者を呼――

 パラダイムの言葉の途中で空間が歪む気配がした。皆が一様に構えた瞬間、場違いな抑揚の声が降ってくる。

「お待たせしました~。患者はどこです?」

 紙袋を被った長身の男がぐにゃりとした奇妙な動きで空中に開いた穴から現れた。

「……誰だ、変態紙袋呼んだ奴」
「あ、俺」

 聞いたのはソルで、答えたのはシンだった。この場にいる誰もが、どうやって呼んだんだ……と疑問に思ったのも束の間、変態紙袋、もといファウストがカイの寝台へ近寄る。手持ちの革トランクから医療器具を取り出し、早速検診を始めた。

「呼吸も脈も正常、脳波にも異常はないようですね。脳内の血流が低下しているわけではないので失神しているわけではありません。彼は突然倒れたのですか?」
「俺が寝かせた」
「……正確には延髄に手刀をいれて気絶させた、だ」
「危険な行為です。今後は控えたほうが」
「それが原因か?」
「いえ、わかりません。……急速眼球運動をしていますね」
「つまり……?」
「レム睡眠状態の可能性が」
「睡眠状態? ただ寝ているだけってことか?」
「ええ。しかし、睡眠状態なら一定の刺激を受ければ目を覚ますはずですが……」
「何やっても起きなかったぜ?」
「疲労で爆睡してるだけっていうことはないのか? 昨日、ひどい顔をしてたぞ」
「今のところ異常は見当たらないですから、ないとは言い切れませんが……様子を見つつ、もう少し詳しく調べましょう」

 少しの沈黙がおりた。寝台の上の王の姿に皆の視線が注がれる。心配や不安が渦巻く空気の中、渦中の男はただ穏やかに寝息を立てるだけだった。

「とりあえず、原因特定まで何もできんな……。俺はカイの仕事を何とかしてくる」

 レオは退室しようとして、ふいに足を止めた。

「……カイは風邪を拗らせて部屋から出られないということにしてくれないか」

 「なんで?」とシンが目を丸くして不思議そうに首を傾げる。

「原因不明で目覚めないと知られればパニックになる。城内も城下もな。……いや、〝世界が〟か」

 寝台の上の動かないカイを見て、レオは小さい声で低く呟いた。

「カイ=キスクは健全な姿でいなければならない」

 低い声で付け足された内容をシンは理解できなかった。皆がそうだと思って見渡したが、誰もレオに問掛も反論も異議も発さなかった。答えを求めて母を見たが、カイを見つめる瞼が伏せられ、長い睫毛の奥でルビーの瞳を揺らめかせただけだった。養父を見ても、腕を組んで壁に寄りかかったまま無言でカイを見下ろしている。ヘッドギアの影にある鋭い双眸は、何の色も宿さず人形のように冷たく見えた。
 しん、とおりた静寂の中、レオの出ていった扉が閉まる音だけがもの寂しく響いた。

 

(続く)