TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Novel > Je te veux > 01
開け放たれた大きい窓から入った一際強い風と眩しい陽光に、カイの意識は眠りから浮上した。なかなか開かない瞼の下で、ズキ、と強く痛む頭に呻く。身体もひどく痛む気がする。うう、と幼児のような声を発しながらようやく開かれた蒼碧の瞳は、次の瞬間には限界まで見開かれた。
「え…?」
視界を占めている肌色が何なのか答えを導く前に、ぐいっと何かに引き寄せられて額を肌色の物体に押し付けることとなった。
(え、え…なに、これ……いや、何かはわかってる!…けど!!)
温かいというか、熱い肌に包まれている。完全に。それも視界を覆う肌は男らしい筋肉がついていて、結構な屈強な男であることもわかっている。
内側から叩きつけてくるような頭痛の中、どうにか昨夜のことを思い出そうとするが混乱した頭は何も思い出してくれなかった。そういえば、と弾かれたように自身の身体に意識を向ける。シーツがかろうじて下半身を覆っているが、その上質な布の感触が素肌に触れていることにカイは真っ青になった。裸だ。何も着ていない。恐らく、目の前の男も。
(なっ…どうし……ええっ!?)
完全にパニックに陥ったカイは、とにかく得体の知れない男の腕から逃れようと身体を起こそうとしたが、蛇のように絡まり付く太い腕がそれを制した。ぐっと、さらに力が込められて、先以上に身体が密着する。
今は縛られていないブロンドの髪に熱い呼気を感じて息を呑んだ。密着していた身体が少し覆うように動く。男の口もとがカイの耳を捕えた。
「……まだ早ぇだろ」
熱い呼気と共に耳に直接吹き込まれるように囁かれて、カイの身体がびくんと跳ねる。
「っぁ…!」
喉が鳴った。
(!?……な、なななにこれ!? なんで…ッ!)
自分の身体なのに意思に反して勝手に反応した。ただ耳もとで声が聞こえただけなのに、ぞくりと背筋を駆ける感覚にさらに混乱が極まる。
きっと、こんなものただの生理現象だ。朝だからだ。そうだ。そうに違いない。
だって、寝起き特有の掠れた声が妙にセクシャルだったから――とまで思ってカイは拘束する腕を力づくで解いて上体を起こした。声。声だ。この声を知っている。
「うわあああっ……!!」
見下ろした先の男を見て、カイは盛大に叫んだ。
「…んだよ。うっせぇな」
耳を貫いた叫声に顔を顰めつつゆっくりと起き上がった男は、自分を見て固まっているカイを見て眠気に閉じかけていた目を丸くして瞬かせた。
「あ…?」
抜けるような白い肌が陽光の射した部屋の中で露わになっている。その白に赤い痕が散在していた。下半身を申し訳程度に覆ったシーツの先からは程良い筋肉のついた、けれど男にしては細く見える素足が腿から覗いている。顔を真っ赤にして呆然としているカイの姿を時間をかけてどうにか認識し、次に自分の姿を見下ろす。カイ同様、何も纏っていなかった。
ちら、と周囲に視線を滑らせると、ぐちゃぐちゃになった寝台にこびりつく何かしらの液体の痕跡と、床に転がる多数の酒瓶。それから二人が着ていたはずの衣服が点々と転がっていた。一枚一枚落ちている服のあとを追っていくと、バルコニーへ続く開け放たれたままの大きな窓に辿り着く。そこからベッドへと道を作るようにして脱ぎ捨てられた衣服に頬が引き攣った。バルコニーで盛り上がって脱ぎながらベッドに向かいました、と主張しているかのようなそれに、まったく身に覚えがないことも含めてぞっとする。
男は、未だ固まったままのカイに取り敢えず状況を問いかけた。
「どういうことだ、こりゃあ」
「ッそれは私の台詞だ…!!」
真っ赤な顔を青くしたり、そしてまた赤くしたりと、忙しなく百面相をしているカイを見たおかげで男は少しばかり冷静さを取り戻した。
とにかく服を着ようと思ったが、寝台から手が届くところには下着すらなかった。パニック状態のカイが自分の身体を隠そうとシーツを引き寄せているおかげで、こっちはあと少しで朝の清廉な空気の中へ、しかも一国の王の寝室へ真っ裸を晒しそうだった。
男――ソルは深く溜め息を吐いて、困惑の渦中にいる王様に冷静さを取り戻すよう促した。
「あー…あれだな、どう見てもセッ」
「言うな、馬鹿!!」
キッと睨みつけてくる蒼碧はショックからか羞恥からか、はたまた困惑からか潤んでいで、こんな状況にも関わらずソルはその珍しさに微苦笑した。随分と幼げが増すものだと、いつの日か彼がまだ少年だった頃の姿と重なる。
「聞きたくねぇなら、あえて言うこともねーがな…状況整理くらいさせろ。こっちはほとんど覚えてねぇんだからよ」
「わ、私だって…! なんでこんな……う、」
小さく呻いて口もとを覆ったカイは「……きもちわるい、」と俯いた。
「そりゃ飲み過ぎだろ」
部屋中に転がる酒瓶の量はどう考えても不自然だ。
「つーか、なんで飲めねぇくせにこんなに開けたんだよ。俺は昨夜テメェと飲んだ覚えはねぇぞ」
そうだ。そもそも飲もうぜという話になることが二人の間ではないし、酒を飲み交わす約束をした覚えもなければ、ここまで何で来たかさえソルは覚えていない。ただ二日酔い特有の感覚は確かにあった。もとより記憶がないくらいだが相当酔っていたとも思う。だが、この部屋に転がっているような上品な酒を飲んだ覚えはまったくない。
「…私だっておまえと飲んだ覚えなどない」
「じゃあ、これはテメェが乱心した証拠だろ。酔った勢いで俺に迫ったんじゃねぇのかよ」
「はあっ!? なんで私が…!」
「溜まってたんじゃねぇのか。発散したくて所かまわずってことも」
「ないっ! 第一、仮に私が…せ、せせ迫ったとしてもおまえが誘いに乗ること自体おかしいだろう…!」
「俺の所為かよ」
「私は不本意だ」
「そりゃ俺の台詞だ。何が哀しくて男に手ェ出さなきゃなんねーんだよ」
「ッ、」
もはや喧嘩腰になっていた会話は、喚いていたカイが急に口を噤んだことで止まった。しん、と突然落ちた沈黙と急に俯いてしまったカイにソルは怪訝な眼差しを向ける。
「カイ?」
ひくり、とカイの身体が震えた。
――カイ、……
同じ声が沈み込んでいたはずの記憶と重なった。ただ呼んだだけの今の声とは違う。名状し難い色を湛えた呼びかけを知っている。それを望んだのは――。
急に脳裏に浮かび上がった場景に、カイは俯いたまま自分の身体を抱き締めるようにして腕を回した。
カイ、カイ……。その名を呼んでほしいと願っていた遠い昔を思い出してしまった。あの頃は名前を呼ばれることなどほとんどなかった。彼にとって自分がただの子どもでしかなかった頃。口煩く追いかけ回してくる鬱陶しい坊やだった頃。自分でもどうしてそこまでこの男に執着するのかわかっていなかった。
あの日。この国がまだ成立してもいなかった頃。街で見かけた男の姿を見て唐突に執着の理由を思い知らされたのだ。その理由を突き止めてしまったとき、それは己の奥深くへと閉じ込めた。決して開けてはならぬと頑丈な鎖で雁字搦めにして。二度と、そこに触れないように。わかっていたから。男の赤茶の瞳がカイを映すことは決してないのだと、理解していたから。
忘れたふりを、した。知らないふりをした。気づかないふりをした。自分が壊れてしまうくらいならどうでもよかった。ただ、男の負担になることだけはどうしても嫌だった。
「おい、」
どうした、と長い前髪で見えなくなったカイの顔へ伸ばされたソルの手は、パシンッという乾いた音と共に弾かれた。
「ぁ……すまない」
思いの外響いた手を弾く音に、びくりと肩を揺らしたカイは咄嗟に顔をあげて謝る。
「……いや」
ソルは、触れることに怯えたような仕草を見せたカイに驚きつつも首を振った。
相当ショックだったのかもしれない、と再び俯いたカイの長い睫毛を見ながらぼんやり思う。品行方正に生きてきたはずの真っ直ぐな坊やには耐え難い出来事だったのではないか。同性との、ましてや妻子を裏切るような行為は。
ソルは何か腹の底から込み上げてくる苦い感情に気付かないふりで蓋をして、口端を上げた。
「まぁ、あれだ。犬に噛まれたとでも思っとけ」
「は…?」
「男同士なんてスポーツみてぇなもんだしよ」
「……スポーツ…」
「覚えてもねぇわけだし、数に入りゃあしねーよ」
真面目で正義感の強いこの男が、教会で頭を垂れるほどの罪悪感に苛まれるくらいならカウントしなければいいのだ。こんな、酔っ払いの過ちなど。
「…ああ、そうだな」
納得したらしい。カイは頷いてソルに微笑いかけた。まだ人類の種をかけた戦場を駆けていた頃の人形のような温度のない笑みで。
「……その顔やめろ」
「え?」
そんな、機械みたいな。
ソルの言葉は聞こえなかったのか、カイは不思議そうにしながらも特段気にすることではないと判断したらしく、聞き返すことなく寝台から足を下ろした。しかし、シーツを纏っただけの身体はいつものように凛と立ち上がることはなかった。かくりと沈んでいくカイの身体をソルは反射的に手を伸ばすことで支えた。
「ひ、ぁっ…!」
ソルが腕を掴んだ瞬間、カイから零れた声に時が止まる。
支えたと同時に寝台まで引っ張り上げたことでシーツははらりと床へ落ち、互いの裸体が晒された間抜けな状態で沈黙が場を支配した。
「っ…、」
状況をようやく飲み込んだカイが息を呑んで、ぶわあっと瞬く間に赤くなるのをソルは混乱を極めていっそ冷静になったような頭で見つめていた。顔だけでなく、白皙の身体までをも朱に染めて、カイは今一度俯いてしまった。
「ちがっ、」
「…ああ」
違う、と言う声に何がとは返さず、取り敢えず頷いておく。
「なか、の」
なか?
「こ、こぼれ…っ、」
幼児のように拙く説明されるカイの言葉にソルはようやく事に思い至って、思わず彼の下半身へ視線を滑らせた。
抜けるような白い色の腿をつーっと伝っていく白濁を見て、ソルは歪みそうになった顔を咄嗟に無表情に保った。その光景は、もういっそ豊満で魅力的な女がストリップしているより艶めかしく見えると思ってしまった自分が怖ろしかった。普段の服装からは決して見ることのない瑞々しい素肌の腿に伝う男の欲望。茫とカイを眺めていたソルは、ぽたりとシーツに垂れる白濁を目にして、ようやくハッとして顔を上げた。
「あー…」
跋が悪いというような面持ちで頬を掻きつつ、羞恥とかいろんなもので動けずにいるカイに手を差し伸べる。
「シャワールームまで連れてってやる」
「っ…いい」
「歩けねぇんだろ」
さっき、立ち上がろうとして思いっきり失敗したじゃねぇか、と言えば強く睥睨される。
「だ、大体誰のせいでこんなっ…」
「はいはい。俺のせいだな、その精え――」
「言うなっていってるだろう!」
涙目で見上げてくる姿はいっそ少女のようだった。昔より随分と長くなった蜂蜜色の髪が纏められずに肩に落ちているのも要因かもしれない。
とにかく、互いにこれ以上このままというのは気まずい。早くシャワールームにでも連れていって別の空間で煙草でも吸って落ち着きたかった。
ほら、と腕を引っ張ろうとした差し出したソルの手から逃れるようにカイは後ずさった。
「おい」
「いいから。…本当に」
「いいって」
「お前が先にシャワー浴びてこい」
「ああ? なに意地張ってんだよ。早くそれ掻き出さねぇと――」
「大丈夫だから…!」
頼むから、とまで言った強情なカイに舌打ちしてソルは寝台から下りた。点々と散らばる服をぞんざいに身に着けながら、カイの衣服は乱暴にベッドに投げつけた。
気怠い身体でシャワールームへ向かう。
「ソル」
背にかかった呼びかけに振り返るより先に、彼が発するにしてはやけに小さく弱々しい声が耳に入った。
「……すまなかった」
何に対する謝罪なのかわからなかった。だが、謝罪されたことがいやに気に障った。湧き上がる苛立ちのまま、ソルは返事も返さずその場を去った。
カイは去っていく背が見えなくなってから深く息を吐いた。二日酔いによる吐き気と、酷使したことを主張するような痛みにぐらついた身体をそのままシーツの波へと放り投げた。
ふわ、と香った煙草の匂いに息を呑む。目を閉じて、ぎゅっとシーツを握り締めた。
『何が哀しくて男に手出さなきゃなんねーんだよ』
ああ、そうだな。
『覚えてもねぇわけだし、数に入りゃあしねーよ』
それでいい。覚えてもいない行為など。
それでいいのに、どうして。
カイは嗚咽が零れそうな唇を強く噛み締めた。何で覚えていないのだろう。もうひとりの自分がそう嘆いていることに自嘲する。もう二度とないことなら、どうして。
(…ソル、そる……すまない…)
覚えていなくたってカイにはわかった。こんな行為をしたというのなら、それは。
(……わたしが求めたのだろう)
腿を伝う液体に手を伸ばす。流れ出ていく感覚は気持ちのいいものではない。けれど、体内から異物を吐き出そうとする己の身体が憎かった。ずっとそこにあればいいのに。その白が体内に滲み込んで、ずっと存在していればいいのに。この身体の中に。
カイは指先に絡み付くかの男の遺伝子を唇に運び、昏く微笑った。