小話 『マリスステラの箱庭』
忙しいと逆にその波に抗いたくなって、妄想が捗り始めました。おかげで寝不足ですが幸せです。
ソルカイ・カイデズ(デズカイ)+シン の話。r18。
カイが混ざってなくて人間だったら、のifAUです。
注意! デズとソルが病んでる。割とカイも病んでる。被害者シン。
『マリスステラの箱庭』
母さんは言った。
――私が悪いの。だから、お父さんとカイさんを責めないで。
あと二人、自分が悪いと言ったひとがいる。
「これはどうかな? 青い薔薇は入荷したばかりだし、稀少だよ」
「うーん……。青い薔薇は母さんがカイに買ってくるから大量にあんだよな。オヤジはそのうち薔薇で家が埋まっちまうって顔顰めてたし」
「え……?」
「こっちは? この白いやつ」
「あ、ああ……これはネリネだね。水の妖精ネーレーイスが名前のもとなんだ。陽に当たるときらきら宝石みたいに輝く美しい花だよ。水底で暮らす水の妖精に由来したのか、贈り物としてはあまり花言葉はよくないかなぁ。「箱入り娘」とか」
「……箱入り」
「うん」
「なんか母さんってよりカイっぽいかー。ま、いっか。これにする」
「いいのかい?」
「ああ。母さんなら何でも喜んでくれっし」
「ご家族でこの街に?」
「いや、家は遠いとこにある。お使いで俺だけこの街」
花屋の店主は首を傾げたが、それ以上問うことはなかった。両手いっぱいの袋に詰め込んだ食糧やら何やらを抱え直し、作ってもらった花束を手に取る。
「はい、どうぞ」
「お、サンキュー」
お代を払い、花屋の店主に背を向けた。
少女が男と女の手をぐいぐいと引っ張って、街中を駆けていく。
「パパ! わたし、遊園地行きたい!」
「こら、マリア。あんまりパパを困らせないの」
愛らしく騒ぐ三人の姿を横目に見て、彼らの背を追うように振り返った。あれはなに、と聞けば、百人中百人が家族だと答えるだろう。どの街に行ったって、よく見かける何の変哲もない家族の姿だ。けれど、少なくとも俺にとっての家族はあんなものではなかった。
オヤジは俺によく阿呆って言うけど、俺だって気づいてないわけじゃない。
――オヤジと母さんは狂ってる。
玄関の扉に触れた手を一度引っ込める。何かぞわりとするようなこの感覚はいつになっても慣れない。薄い膜でも張ってあるかのような空間に、ぐにゅっと身体を押し込み、高らかに声をあげた。
「帰ったぜー!」
「ぁ、あ……あッ……」
「お帰り、シン」
「母さん、ただいま!」
たたたっ、て駆けてきた母さんの唇がむちゅっと頬に触れる。それにお返しして、奥へと進めばぶわあっと花の匂いがした。
「ぁん、……んっ……ぁ、」
そろそろ床が見えなくなりそうな青い薔薇の花びらの隙間を縫って、買い物の荷物をテーブルに置いた。四人で住むにしては小さい家だ。見渡せば全貌がほとんど見えるワンルーム。狭いほうが傍にいられるから、と母さんの要望らしい。
「ぁ…あ…っ、は、ぁ……っ」
荷物を仕舞い始めた母さんに白い花束を渡すと、ぱぁっと少女のような顔が綻んだ。
「可愛いお花! シン、ありがとう」
頬を掻いて頷くと、くしゃりと頭を撫でられた。やっぱり母さんは何でも喜んでくれる。母さんはあまりこの家から出たがらないから、俺が買い物に出るときはお土産を買うって決めてた。
「っん、ぅ……あっ……」
射し込む日の光に目を細め、窓に視線をやったとき、ゆらゆらと揺らめく影が視界に入った。
部屋の奥、一番端っこにキングサイズのベッドが窮屈そうに置いてある。その上で蠢く白い肢体は、俺が家を出るときも同じ状態だった気がする。
もうとっくに聞き慣れた甘ったるい声は、情報収集のためにオヤジと立ち寄る酒場のBGMみたいに当たり前にいつも流れていた。
「オヤジ、まだヤってんのかよ」
頼まれていた煙草片手に近寄ると、白い肩に後ろから顔を埋めていたオヤジがじろりと朱金の双眸を光らせて睨んでくる。
「たばこ」
ほいっと投げると、オヤジは無言で受け取って早速火を点けた。
「っあ、ぁ……しん……っ」
オヤジの膝の上で背後から抱えられている華奢な身体に合わせるように少し屈む。
「ただいま、父さん」
「っ……おか、えり……シン……」
頬にキスを落とせば、父はにへらと微笑んだ。
ブルーグリーンの瞳はとろんと蕩け、白い頬は林檎色に染まり、小さい唇の端っこからは涎が垂れてたけど。
肩あたりまで伸びた蜂蜜色は汗で濡れ、一房ぺとりとほっぺに貼りついたそれが口に入っていた。それを取ってやると、喘ぎ声の隙間でお礼が返ってくる。
そういえば、カイの髪の長さで母さんとオヤジが言い争っていた。オヤジは短いのがよくて、母さんは長いほうがいいって。結局、二人とも折れてその間ってことで、カイの髪は肩に落ちるくらいの長さに決まった。一ミリも伸びないそれは、何年たってもその長さのままだ。
抜けるように白い身体は上気して薄桃色に染まっている。細っこい脚の間の性器はびんっと上向き、狂ったように濡れそぼっていた。汗やら何やらで濡れている白い胸でピンク色がふたつ主張している。オヤジは時折くんっと腰を突きあげるだけだし、その大木のような腕も薄い腹に回ってぎゅっとカイを抱き込んでるだけだ。弄ってもらえないぷくっと膨れた突起が哀れで、思わずぴんっと爪の先で弾いていた。
「あんっ……!」
がくんっと白い喉が仰け反る。オヤジはよくあの喉笛に噛みついているけど、そうしたくなる気持ちがちょっとだけわかるような気になってしまったことにへこんだ。
「こら、シン。邪魔しないの」
ネリネの花を花瓶に生けた母さんがそれを窓辺に飾ろうと、通りがかりに注意する。
――こら、シン。お父さんのお仕事の邪魔をしないの。
いつかの、もう遠い昔のような、はたまた昨日のような、母の声が蘇る。広いリビングで仕事を持ち帰ってやっていたカイに絡んでいた俺を母さんは注意した。そのときと何ら変わらない言い方で母は言う。邪魔しないの。少しだけぞっとした。
「ぁ…あ…っ、んぅ……そる……ッ」
甘ったるい淫らな声。ぐちゅ、ぬちゃ、と響く淫猥な音。はっ、はっ、と落ちる獣のような呼気。
眼前で淫奔に踊る白い肢体を見下ろしながら、シンはぼんやりと瞬いた。
おかしい。これが夢なのか、現実なのか、もうわからなくなってきた。
オヤジがカイに凶器みたいなちんこ突っ込んで、カイはだらしのない顔であんあん喘いでいて、その横で母さんが微笑んで花に水をあげている。
この光景をおかしいって思わなくなる日が近いような気がして、ふいにここから飛び出していきたくなる。でも俺の帰るところはここしかなかった。母さんがいて、オヤジがいて、カイがいる、ここしか。
「…っは…ぁっ、あ゛ーーっ…」
高い嬌声のあと、びゅるびゅると白濁が飛んだ。びくんびくんっと小さく跳ねているカイの精液がシーツに飛び散る。あーあ。俺もそこで寝るのに。
寝どころはこのベッドしかない。キングサイズのベッドだけど、図体のでかい男三人と細いけど羽根二人もいる母さんの四人(ネクロとウンディーネも入れると六人だ)で寝るにはちょっと狭い。下手するとカイと母さんか、オヤジとカイがえっちし始めるから(もしくは三人で)、そうなると更に狭くなる。でも皆で一緒に寝るのも母さんの要望らしいから、なるだけ応えたい。
ぼすんっとオヤジに投げ出されたカイの身体が大きい寝台に転がる。小さい尻のあいだからこぽこぽと溢れる白濁を呆れた目で見やった。オヤジ、どんだけ出したんだ。
オヤジが母さんと入れ替わるように煙草片手に窓際に立つ。母さんはひくんひくんっと快楽の余韻に痙攣しているカイを寝台に乗り上げて覗き込んでいた。
「カイさん、私の番です。愛してください」
頬を染めて少女のようにこてりと首を傾げる母さんは確かに可愛い。けど、やってることは酷いというか怖いというか……。
だって、羽根ふたりが顕現して、動けないカイを母さんにくっつけるように動かしてるんだもん。
「おい、酒は」
低い声が催促してきて、むっとする。オヤジもあまりここを出たがらないから、買い物の頻度は俺が圧倒的なのだ。たまにイラっとする。
「ちゃんと買ってきたぜ、ほら」
投げた酒瓶は美しい軌道でオヤジの手の中に入った。さすが俺。
くちゅくちゅと淫らな音がまた鳴り始めている。母さんとカイの甘ったるい声を聞きながら、ぼんやりと酒を呷るオヤジの太い腕を見ていると、街で見た光景が過ぎった。
「なァ、」
ヘッドギアをつけていない乱雑な長い前髪の隙間から、ぎょろりと鋭い双眸がシンを見る。
「俺、遊園地行きたい」
一瞬丸くなった朱金の瞳は、次の瞬間には怪訝に細められた。
「なにガキみてぇなこと言ってやがる」
「ガキだよ。ここにいる限り」
「……………」
押し黙ったオヤジに口だけ笑って続ける。
「行きてぇな。オヤジと母さんと、――父さんと」
ぴしっ。
分厚い氷に白い罅でも入ったみたいに、歪な音がした気がした。
オヤジが酒を呑む音も、母さんがカイを犯す音も、すべてがやんだ。
長い静寂を破ったのはカイだった。
「シン」
細い腕が母さんの下からゆらりと伸びる。
「おいで」
誘われるままに寝台に乗り上げると、こつんと額が合わさった。
「私は留守番してるから、ソルと母さんと行っておいで」
くしゃりと頭を撫で、教会にある聖母像みたいに慈愛に満ちた蒼碧が微笑んだ。
わかっていた。カイがここを出ないことは。母さんとオヤジが出させないことは。
俺は眉を下げて寂しく笑った。
「冗談だよ、何マジになってんの」
抱きしめてくる細い腕を解き、カイを母さんに返す。
「そういや、オヤジ、街にこんな張り紙あったぜ」
凍りついた空気を意にも介さず、シンは買い物の袋に突っ込んであった紙をソルに渡した。
それはいつかの日、どこぞの王様がやったのと同じ、ソル=バッドガイの手配書だった。
「レオのおっさん、まだ捜してるみてぇだな」
「……そうだな」
「行くのか?」
「ああ」
ヘッドギアをつけ、荷物を肩に引っかけたオヤジが面倒そうに首を鳴らしている。
「なんて言うんだ?」
「『神隠しにでもあったんだろ』」
「さすがにレオのおっさんももう気づいてると思うけど」
突然姿を消した連王主席の誘拐犯に目星くらいついてるはずだ。だからこその何度目かの呼び出しだろう。
わかってる、と言ったオヤジが横を通り過ぎる刹那、ぼそりと呟いた。
「シン、恨むなら俺を恨め」
その言葉、前にも聞いた。
俺にだけ聞こえるように落とされた言葉を最後に、オヤジは家を出ていった。
オヤジ曰く、この家はすべてが母さんの願いで形づくられたらしい。最初に望んだのは――いや、最初にその望みを口にしたのは母さんだったとオヤジは言っていた。
ここはなに。
可憐な花に囲まれた小さい家を見上げ、そう聞いた俺にオヤジは答えた。
『ステラ・マリスを閉じ込める箱庭』
あの日の光景を忘れたことはない。新しい家だと思って――このとき、俺はなぜイリュリア城以外の家が必要なのかという考えには至らず、ただいつかの巴里の邸宅みたいにひっそりしていたから嬉しかった――喜々として扉を開けて固まった。
大きい寝台の上に見知った男がいる。いつも一つに纏めていた長かった髪は肩あたりまでの長さになっていて、布ひとつ纏わない白い裸身が寝台に横たわっていた。その細い足首には術の気配のする重々しい枷があり、家の隅にきつく繋がれている。
ぐったりと寝台に沈む男の横で母さんが蜂蜜色を優しく梳いて、ありったけの幸せを詰め込んだみたいな顔で微笑っていた。
「なんで」。俺はオヤジに聞いた。知ってしまった、とオヤジは答えた。「俺は知ってしまった」。「テメェの母親があいつと出会わない世界、俺があいつを失う世界」。何の話だか、俺にはまったくわからなかった。
『荒れ狂う海の中で導きの星を見失えば、生きてはいけない。狂った母親と二人で生きていくのと、皆で狂うの、テメェはどっちを選ぶ』
その言葉の意味を、俺は知りたくなかった。
だからといって、星を独り占め――いや、ふたり占め、か――していいとは思わなかった。星は空の下にいるみんなが見上げるものだから。平和を与え、罪の鎖より解放し、盲人に光を与え、悪を去らせ、良きものを与える。そんな星を見失ったら、その航海は正しい終着点へと辿り着けない。
俺は気づいていたけど、でも言えなかった。母さんのあんな幸せそうな顔を見たら、どうしても言えなかった。「こんなの間違ってる」って。
ソルは手配書片手に振り返り、今し方出た花に囲まれた小さい家を見上げた。
いつかの日の記憶が眼裏を過ぎる。
『わかっていて、あいつを愛したんだろ』
『……はい』
『わかっていて、共に生きると決めたんだろ』
『っ…はい』
大きい真紅の眼の淵から今にも溢れそうな雫をディズィーは必死に堪えていた。
――目尻の皺がまた増えたんです。
彼女の言葉はそうして始まった。
『あいつも馬鹿じゃない。シンはそんなお前のために作ったんじゃねぇのか。シンと二人じゃ生きていけないのか』
『……だって、シンはあの人じゃない』
『……………』
『っ……嫌なんです…ッ、あの人がいなくちゃわたし……っ!』
胸もとに縋りつく細い指先が化け物じみた力で――いや、歴としてその力で――肉を抉る。
『お父さん……っ』
娘の頼みを無下にできるほど、人でなしではなかった。……いや、人でなしではいられなくなった。あいつの所為で。
溢れ出た血にハッとして、泣きそうな顔で離れていく細い腕を咄嗟に取る。
『叶えてやってもいい。だが、あいつの意には添わねぇぞ。あいつは嘆くだろうよ。それでもいいのか』
ディズィーは俯いて黙り込んでから、ゆっくりと顔をあげた。その母親とは思えない少女じみた顔に何の色も乗っていなくて息を呑む。人形のように無感動な真っ赤な瞳が真っ直ぐにソルを見上げた。
『お父さんは、わかっていてあの人を愛したのですか?』
……そうだ。わかっていた。ヒトの寿命の短さなど。
正確には、「わかっていても愛してしまった」だ。
『出して……! ここから出してくださいッ!』
『カイさん……』
『ディズィー、こんなのは間違ってる! ソルっ! お前も何でこんな……っぐ!』
片手で容易く掴める細い喉を壁に押しつける。
『お父さんッ!』
『「何で」? 知りてぇなら教えてやる。お前がディズィーに出逢ったからだ』
『っ……』
『俺に出逢ったからだ』
締めつける喉の下で、カイが呻く。
『お前がディズィーを愛したからだ』
綺麗な蒼碧が揺らぐ。
『お前が俺を愛したからだ』
大きく見開いた双瞳がゆっくりと細まり、その縁に雫が溜まっていく。
『昔から救済が大好きだったもんな、坊や』
美しい蒼碧がだんだんと濁っていく。
掴んだ喉を離しても、カイはもう暴れなかった。細い頬を包み、耳もとで低い声を落とす。
『バケモノなんかを救おうとしたツケだ。全部テメェの所為だよ、カイ=キスク』
がくんっと痩身が崩れ落ちる。
絶佳の貌は人形のように色を無くしていた。
『……おとうさん』
『これで呵責を感じて、こいつはお前を残しては逝けない。もうここからは出られない』
最高の、気分だった。
ソルはいつかの日の――いや、それは昨日のことだと言ってもいいのかもしれない――記憶に目を細め、星を閉じ込めるために作った檻を見上げた。
もうわからなかった。助けて、と縋りついてきた娘の望みを一度くらいは父らしく応えてやりたかったのか、それとも自分自身の欲望を娘の望みを盾に叶えたかったのか、ソルにはもうわからなかった。
むせ返るような花の匂いがする。二匹の化け物のために存在する牢獄から逃げ出すことを諦めた夫に、ディズィーはたまに外へ出かけると青い薔薇を買ってきた。初めてそれを渡したとき、人形みたいに表情をなくしていたカイが「綺麗ですね」と微笑った。ディズィーは嬉しくなって、それからいつも青い薔薇を買ってくる。それは家の周りにも、家の中にも溢れていた。なぜなら、この空間にあればそれは枯れることがないからだ。持ってくればそれは永遠に増えていくだけだった。
永遠に枯れない花――……永遠に時の進まない箱庭。
時を止めた世界で、導きの星は老いることなく永遠に美しい姿のまま、そこに存在している。
ここには永遠の幸せがあった。彼女にとっての、そして、俺にとっての。
ソルは時を止めた家に背を向けて、導きの星を失くして迷走する世界へと足を向けた。
母さんはオヤジとカイを責めないでと言う。
オヤジは恨むなら俺を恨めと言う。
一度、ぼんやり窓の外を見ていたカイの隣でぼそりと零してしまったことがある。
――どうして、こうなったんだろうな。
ただ単に、母さんは自分が悪いと言い、オヤジも自分が悪いと言うから、実際どうなんだろうなって考えていただけで、本当はカイにここから逃げようって言うつもりだった。つもりだっただけで、勇気がなかった。いや、それが正しいことだと思っていたけど、それが正しいと認めたら、母さんとオヤジを否定するみたいで、あと一歩が踏み出せなかった。
――私の所為だ。
また、だ。自分の所為だと、また言う奴がいた。
窓辺に立ったカイが決して開かない窓に手を添えた。その外では青い蝶々がぱたぱたと自由に羽を羽搏かせている。その蝶々に縋るように細い指先が震えた。
母さんもオヤジも自分の所為だって言ってたぜ、と言えば、ふるふると金糸が揺れた。
――これは私の罪だ。
なんの、と聞いた。
――私は愛されたかった。彼女に。あいつに。
カイは欲張りだ。あれだけ世界中の人間に愛されてたのに。
――ありがとう、シン。あなたの気持ちは嬉しいけど、私はここから逃げないよ。
逃げようと告げる前に答えが返ってきてしまった。そうやって、何もかも見透かすみたいな態度は嫌いだった。逃げようとしないことも、そうやって諦めているのも。
――……シン。これは私とお前だけの秘密だ。私の罪は……
ぐいっと窓の外の蝶々へ伸ばされていたカイの腕が突然後ろに引っ張られた。気配もなく無表情のオヤジが立っていてぎょっとする。その窓は開きもしないというのに、オヤジはまるで外へ出ようとするカイを阻止するようにぐいぐいと引っ張って寝台に押し倒した。
カイを組み敷いたオヤジの横顔はどこか安堵しているように見えた。せっかく捕まえた蝶々が虫かごから逃げかけたのをもう一度捕まえた子どもみたいに。
二人がまぐわい始めた淫らな音を聞きながら、俺は窓の外の蝶々へと手を伸ばした。
母さんとオヤジは狂ってる。けど、二人とも知らない。一番狂ってるのはカイだ。カイは言った。「私の罪は」。
――この枷を悦んでいることだ。だってこんなにも愛されてる。
みなしごが初めて親に抱きしめられたみたいな幼い顔で、カイは世界で一番幸せだというように笑っていた。