Vorrei essere vicino a te.
ゴーストハウスから無事に生還し、バチカンへと帰国するためにロベルトと平賀の二人は空港へ来ていた。
今回は危険だったな、とロベルトは命が助かったことをしみじみ噛み締める。
ふと視線を強く感じてさり気なくそちらを見れば、平賀がじっとロベルトの方を見ていた。いつもの澄んだ瞳に少しばかり濁った色を見た気がして不安になる。どうしたのか、と平賀に身体を向けた。
「どうかしたかい?」
ロベルトの言葉に平賀ははっとしたように目を瞬かせる。
「えっ…あ、いいえ…何でもありません」
「平賀。そんな顔して何でもないだなんて言わないでおくれよ。君が不安に思うことや困ったことがあるのなら、僕はできるだけ力になりたいんだ。僕にできることは少ないかもしれないけどね」
「いえ、そんなことはありません。ロベルトはいつだって私を安心させてくれます。傍にいてくれるだけであなたの暖かい空気に癒されるのです」
「そ、そうかい?」
至極真面目な顔でそんなことを言う平賀にロベルトは頬が熱くなったのを感じた。平賀は無自覚にこんなことを言うのだ。これだから心臓に悪い、と心で愚痴りながら、ドクドクと動きを早くした胸を落ち着かせるために小さく息を吐く。
「…ロベルト」
「ん?」
「その…ジュリア司祭には何もされなかったのですよね…?」
「うん。薬を打たれて動けなくされただけだ。なんだ、君はそんなにジュリア司祭のことが気になるのか」
ジュリア司祭、と言うとすぐさま反応する平賀に柄にもなくむっとした。
ジュリアと初めて会ったときもその神に仕える素晴らしい姿に心酔したようだったのに、彼が許されざる存在だと知っても平賀の心に深く存在している。
もちろんロベルトだってジュリアのことは気にしている。彼と、さらにはガルドウネという秘密結社が何をするのか注意しなければならない。度々会うジュリアは意味深なことを言ったりと不安も大きい。
けれど平賀がジュリアのことを気にしている様子を見るのは嫌な気分になる。ちくっと胸が痛む理由を気づかないふりをして平賀に笑顔を向けた。
「ええ、気になります」
「そうだね。彼が何を考えてるのかわからない。君に危険がふりかからないといいけど」
「それは貴方のほうですよ、ロベルト」
「うん?」
「貴方に危険が及んでしまうのではないかと」
「僕は平気さ。君のほうが心配だよ」
瞳を覗き込むようにして言えば、平賀はむぅっとふてくされたような顔をした。それが元々の幼い顔立ちにさらに子どもらしさを増して、思わずふっと笑ってしまった。そんなロベルトに平賀はさらに眉を寄せてしまう。
ごめんよ、と言おうと口を開いた矢先、平賀に腕を掴まれた。
「こっちへ、ロベルト」
「え、ちょ、何だい急に!」
ぐいっと腕を引っ張られる。平賀はスタスタと勢いよく歩いていく。その華奢な身体のどこにこんな力があるのかと思ってしまうほど強引にロベルトを引っ張っていった。
行き着いた先はトイレだった。突拍子もない行動はいつものことだが、これはどういうことだ。
入っていった先には誰もいなかった。平賀はロベルトの腕を掴んだまま個室へと向かった。先にロベルトを個室へと押し込める。
「ちょ、平賀!」
「もっと奥へ行ってください」
「奥って…」
狭い個室に平賀までも入ってきて扉が閉められる。カチャ、と鍵を閉める音も聞こえた。
ほとんど触れ合う距離で二人は向かい合う。
「どうしたんだ? 急に」
「ロベルト……失礼します」
「へ…?」
平賀が澄んだ瞳で見上げてきたと思ったら、ぎゅうっと抱きつかれた。
「な、なに、し…て…」
平賀の体温が身体を覆っていくごとに、ロベルトの心臓は早鐘を打っていく。ドクドクと血が沸き立つ音がロベルトに響いた。
「ロベルト」
「…ッ」
呼ばれた名前に熱が籠もっているような気がした。そんなことはない、と必死にその思考から頭をそらす。
それでも心が平賀の体温に寄り添うようにして身体を動かした。そっと背に手を回して熱を分け与えてもらう。頬が熱い。きっと自分の顔は真っ赤なのだろうと思いながら、ロベルトはゆっくりと目を閉じた。
透き通る青い瞳が見えなくなったのを見上げた先で確認して、平賀は背に回された腕に微笑んだ。
ジュリアと会ったというロベルトの言葉を聞いて、胸が冷えていったのを思い出す。
ロベルトに触れてほしくない。
そんな傲慢な想いが平賀の中を渦巻いていた。サスキンス捜査官もそうだ。四階の窓から身を投げ出したロベルトをしっかりと受け止めた姿に、ロベルトが無事だという安心感と共に、自分がロベルトを受け止めたかったという気持ちが湧き上がった。もちろん、自分の身体は痩せこけていて力もない。そんなことはわかっているのに、ロベルトに触れる他人に嫌な気持ちを感じてしまうのだ。
この気持ちの正体はロベルトに聞けばわかるのだろう。彼はとても聡明で、平賀にはわからない人の気持ちもいとも容易く理解してしまう。けれど、これが行き過ぎた想いだということくらい、平賀にもわかった。依存のようなロベルトへの想い。これはおよそ、兄弟や親友や同僚に向ける想いではないのだろう。
けれど今は、ロベルトの隣にいるのが自分だと確認したかった。
「ロベルト」
名前を呼べば、ロベルトは少し恥ずかしそうに平賀を見た。ロベルトの後ろに見える便座が閉まっているのを確認して、ぐいっとロベルトを押す。便座に座る姿勢になったロベルトはびっくりしたように目を瞬かせていた。
自分より下にロベルトの顔があるのを見て、平賀はなぜか気分がよくなるのを感じていた。身長差からして、見下ろせることなんてそうそうない。
そっとロベルトの頬に右手で包むようにして触れる。元々朱く染まっていた頬がさらに熱をもった。
「ひ、平賀……さっきから、どうしたんだい? そろそろ説明してくれ」
「私にもよくわかりません」
「ええ? なんだい、それは」
「ロベルト…私は貴方に傍にいてほしいです」
「なッ…、」
突然なに、としまいには瞳を潤ませてしまうロベルトに平賀は胸が熱くなっていくのを感じた。
「親愛なるロベルト。もっと傍へきてください」
真っ赤な顔をして固まってしまったロベルトに平賀は屈んで、そっとその頬に口づけた。
「……君は、なんて、もう…どうしてくれるんだい、僕を」
「隣にいさせてください」
誰よりも近くに。心の中で呟いた。もしかしたらロベルトにはこの心の声すら聞こえてしまっているかもしれない。
ロベルトは少し屈んだ体勢の平賀の首に腕を回して引き寄せて、お返しするかのように頬へと口づける。
「僕も君に隣にいてほしい。できれば……いや、これは言わないでおこう」
「いいえ、言ってください。私も同じ気持ちです」
「君はずるいよ。何で僕に言わせるんだい」
「ふふっ。だって、頬を真っ赤にする貴方が可愛らしくて」
「ッそ、そういうこと言うのはやめてくれ。いい大人なんだよ、僕は」
平賀はロベルトに微笑む。
「ロベルト、」
「……隣にいてほしい。できれば…誰よりも近くに」
「はい。もちろんです」
やっぱりロベルトには伝わっていた。
「なぁ、平賀」
「はい?」
「こんなところでそういうこと言うのはよしてくれよ」
「へ? 何故ですか」
「何故って…ここがどこだかわかってるだろう? 君が連れてきたんだよ」
平賀はロベルトの後ろの便器を視界に入れて苦笑した。
「それは…すみません」
「君らしいよ、とても」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
飛行機が飛び立ち、隣に座っていた平賀がふと思い出したように言った。
「そういえばロベルト神父」
「なんだい?」
「先ほどは何故あんなに脈拍が速かったのですか?」
「は…?」
ぶわぁと顔を真っ赤に染めたロベルトを可愛らしいな、と思いながら、なぜ今の会話の流れでロベルトが頬を朱く染めたのかわからず、平賀は首を傾げるのだった。
2013.4.3
- あらすじ
- ※時間軸が六巻の終わりあたりです。