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 最初は、ほんの僅かな違和感を抱いたに過ぎなかった。そこまで気にするでもない些細なこと。だが、それはいつしか大きな疑念へと成長していた。

「ん…くすぐったいですってば」

 身を捩る日本の身体に腕を巻き付ける。素肌同士が触れ合う感触は今まであまり好んだことはなかったが、この男と重ねる何の隔たりもない感触は心地よかった。僅かに浮かぶ汗すら、気にもならない。ふたりの熱で布団の中がいつもより暑く感じる。

「プロイセン君、苦しいですよ」
「おお、」

 無意識に腕に力を込めていたらしい。日本の指摘に自分でも驚いて変な返事の声をあげると、日本はくすくすと笑声を漏らした。

「わりぃ」
「ふふ、いいえ。どうしたんです」

 腕の中から見上げる日本の指先が頬を撫でる。俺より冷たい指先が気持ち良くて、擦り寄る仕草をすれば、目許を赤らめた日本が微笑んだ。

「いや…で、何だっけ?」
「聞いてなかったんですか?」
「悪かったって」
「……なにを考えていたのです」

 不満そうに瞳が眇められる。

「なんだよ、やきもちか?」
「違います」
「嘘つけ。図星だろ。頬が林檎みてぇになってんぞ」
「えっ…!」

 弾かれたように頬に自分の手のひらを当てる日本に、ケセセセと笑う。

「うっそー」
「なっ…あなたという人は!」
「ケセセセ! 心当たりがあったから、いま手あてたんだろ? 嫉妬深い爺さんだな」
「…だって、あなたが上の空だから」
「不安になったって?」
「こうしてお布団の中に二人きりでいるんですから、他のことを考えるなんて不粋です」
「ぶっ、」
「笑わないでください!」
「おまえ、ほんと可愛いな!」

 ぐしゃぐしゃと艶めいた黒髪を掻き混ぜ、大分赤らんだ目許に唇を落とせば、勢いのあった唇が閉口した。

「……もう。可愛いなどと言われても嬉しくないです」
「だろうな」
「わかっていて敢えて言うんですか」
「おう。そうやって唇尖らせて睨んでくんのが可愛いからな」
「だから…!」
「あーはいはい。ヤマトダンジに可愛いは失礼だった。スミマセンデシタ」
「わかればよろしい」

 そんな大仰なやり取りを厳めしい面で行ったあと、顔を見合わせて互いに噴き出す。

――で、何の話だっけ? 確か、行列がどうのって」
「ええ、そうです。行列の準備やら何やらで、それはもう発布前から大騒ぎだったんですよ」

 これだ。僅かな違和感は今ではもう確かなそれに変わっていた。日本はよく昔話をするようになった。今は、憲法が――それも明治憲法だ――発布されたときの様子を、彼にしては珍しく頬を上気させて昂奮したように話している。

「東京中に奉祝門が建てられて、街中をイルミネーションで飾るんです。ふふ、赤と白で溢れた街並みはとても美しいのですよ。日の丸の提灯もたくさん並べて――

 眼前の黒曜が濁っているように見えるのは、日本がどこか遠いところに意識を置いているからなのだろう。まるで、その光景が今まさに目下に広がっているが如く、克明に綴られる昔話。
 おかしい、と思い始めたのはいつだったか。なんとなく、また昔の話かと思うときが増えて何かあったのだろうかと思案したとき、不思議だったのはその昔話が幕末辺りから始まることだった。たかだか百五十年ほど前だ。何千年と生きているこいつからすれば、ついこの間と言ってもいいような歳月だ。それ以前の話を日本が話題に上げることはほぼない。例えば、おめかしした振り袖姿のガキを見かけて、あれは何だと問えば、七五三だと答えが返る。始まりは確か……と話が続き、昔の話になることはあるが、それは単なる話の流れでしかない。それとは違い、なぜか唐突に始まる昔話が幕末以降なのだ。何か昔の物の片付けでもしたのかと問えば、怪訝な顔で首を傾げたため違うらしい。
 思考の海に沈んだ俺を差し置いて、日本は憲法の話を続けていた。これが日本とプロイセンの歴史過程における繋がりだから話している、と仮定してもやはりおかしい。俺たちが恋人関係になったのは三年ほど前だ。ふたりに所縁ある話を今になって突然し始めるのも変だった。
 そもそも、日本は近代以降の話をするのを厭うている素振りすらあったのだ。この男の身体には深く刻まれているだろうその記憶を、けれどあたかも密封して決して開けたくないとでもいうように話題に出さない。この男や、それこそ弟を見たってわかる。あの歴史を決した敗けの先に続く世界で、彼らは歩みを止めないようにと前だけを見て進んできたはずだ。振り返ってしまえばきっと、その足は止まってしまうから。

――…雪が、降っていました」

 静かな声なのに、思考の海から浮き上がらせるほどの何かを湛えていて、弾かれたように腕の中におさまる男に視線を向ける。夜色の双眸はどこまでも闇が広がっているように思えて、息を呑んだ。

「日本…?」

 彼は俺の声に反応すらしなかった。すく、とおもむろに日本が立ち上がる。

「っ…おい、」

 シーツが名残惜しそうに、するりと象牙色の肌を滑って落ちた。何の布も隔てない生まれたままの姿が薄暗い間接照明の中、晒された。日本を追うように肘をついて上体を起こしたが、彼の異様な雰囲気に頭の片隅がいやに警鐘を鳴らしていて、上手く身体が動かせない。
 恋人の違和感に対する疑念が大きくなるほどに、あるひとつの可能性が胸の隅っこでずっと主張していた。俺はそれに気づかないふりをして、考えることを避けていた。
 日本が心許無い姿のまま、ふらふらと窓辺に向かって、ゆらりと明障子を開けた。月明かりが部屋に差し込む。何も纏わない身体に微かな光。衷心の片隅が頭に送る警笛が響いていなければ、それは神聖さすら感じる光景で魅入っていたかもしれない。

「雪が降っていて」
「……日本」
「翌日には一面が銀世界だった」
「……なぁ、」
「陽の光が降り注ぎ、辺りがきらきらと煌めいているのを見て堪らない気持ちになりました」
「…聞けって」
「貴方はこの国にいらっしゃらないのに」
「…なぁ、日本、」
「まるで、貴方を思わせる辺り一面の銀が祝福しているかのように感じた」
「おい、」
「雪で白く清められた、二月十一日……私は名状し難いほどの歓喜を抱いた。きっと明日にはもっとより良い国になっていると、そう確信できた、素晴らしい一日でした」

 細い肩を掴む。

「人波で溢れた街の中心を騎兵が二列になって進むのです。その日は一日中、お祭り騒ぎで――
「ッ、日本っ…!!」

 そのとき、俺が抱いていた感情はもしかしたら恐怖だったのかもしれない。
 指が喰い込むかと思うほど強く掴んだ薄い肩を引いて、窓の外を見遣る恋人を強引に振り向かせた。絞り出したように、けれど夜のしんとした空気を切り裂いた俺の声は、傍で聞くには煩いだろうに、男はその身躯を揺らすこともなく、茫とした眼で俺を見た。
 俺を映した夜色がゆっくりと瞬く。その一瞬で見えた光景に、俺は呆然と男を見つめるしかなかった。
たった一瞬だ。まばたく瞼の向こうに見えた瞳が、あたかも鏡越しの自分のように血のようだと思ったのは、きっと気のせいではなかった。

――師匠・・

 日本の双眸が俺を捉えた。次いで聞こえた己を呼ぶ言葉が耳に入ったとき、ああ…と俺の口から不様な呻きが小さく漏れた。ずっと気付かないふりをしていた、ひとつの可能性が的中しているのだと思い至り、どうしようもない遣る瀬無さが胸をひどく絞めつけた。
 俺は足に絡み付いたシーツを拾い上げ、男の身体を己の腕ごと包み込んだ。部屋の空気に晒されて、その身体は冷たかった。それが堪らなく嫌で、はやく俺の熱が移ってしまえと腕に力を込める。

「プロイセン君」

 夜色に星が瞬く。見慣れたその眸と、聞き馴染んだ呼び名に強い安堵が胸中を占める。

「どうしたんです…?」

 身を丸めて、漆黒の髪へ顔を埋めた。背に回った彼の手のひらが、様子のおかしい恋人を慰めるように撫でるのが俺の意識を平常に戻していく。

「……身体、」
「はい?」
「冷てぇよ」
「そうですか?」
「冷えてんじゃねぇか」
「私は暖かいですよ。あなたに包まれているもの」
「……恥ずかしいなら、言わなきゃいいだろ。耳真っ赤だぜ」
「……うるさいです。柄にもないことを言ってしまったと後悔しているんですから、知らないふりしてくださいよ」
「やーだ」
「……意地の悪いひとですね」
「そんな俺様が大好きなんだろ? 知ってんぜ」
「はいはい、好きですよ。好き」
「あっ、おま、気持ち込めねぇで言うなんてずりぃぞ!」
「ずるいって何ですか、もう…」
「なあ、」
「はい?」
「お前のせいで身体冷えた」
「えっ…そんなに冷たかったですか?」

 冷たいと言われた身体を咄嗟に引いて離れた日本を引き留めて、こつんと額を合わせた。息の触れ合う距離で囁く。

「だからよ、」
「な…んです…」
「もっかいシよ」

 瞬間、朱く染まる頬が愛おしくて、少し顔を離してそこに口付ける。思わずといった感じで桃色の唇から漏れた息がかかってくすぐったかった。

「っ、ふふ、」
「……何で笑うんだよ」
「だって……随分と可愛らしい言い方をなさるものですから」
「可愛くねー! 俺様はかっこいいの!」
「可愛いですよ。そうやって白皙の頬を紅潮させる様なんて、本当に」
「…てめぇ。意趣返しか」
「おや、わかりましたか。ほら、嫌でしょう? 可愛いって言われるの」
「このやろう…」
「そうやって不満げな顔をするあなたも可愛いですよ」
「爺のくせに生意気だぜ。プロイセン様、超絶かっこいい!って言いやがれ!」

 丸い頬をぐにぐにと引っ張って、口を開かせようとすれば抵抗にあう。

「いーやーでーす」
「よっしゃ、わかった! 言い直せばいいんだろ。セックスしようぜ、セッ、ク、ス!!」
「っあなたは、大声でなんてことを……その言い方全然格好良くないんですけど…!」
「うん、確かに」

 顔を見合わせて、ぶは、と噴き出すようにして笑声をあげた。何てやり取りをしているんだと、さもおかしいと笑い転げるままに、ふたり縺れて布団に倒れ込む。

「いっ、」
「痛かったですか?」
「おい、その反省の全くない顔なんだよ。人の上に倒れ込んできたくせに」
「ふふ。あなたの屈強な筋肉なら、私くらい受け止めてくださるはずですよ」
「お前、ちっさいもんなー」
「我が家では標準です…!」
「でも筋肉ついてる」
「当然で…ぁ、ちょっと、変な触り方しないでくださ、ッん、」
「変なってどんなですかー? 具体的にどうぞー」
「っもう、あなたはそういう…!」

 ぶわあと赤く染まる顔に睨まれるが、もちろん怖いなんて思うわけもなく、喉の奥で笑う。でも何か喉の奥にでも詰まっているかのような息苦しさを感じて、俺は日本の首筋に顔を埋めた。どうしたのですかと聞かれる前に、がぶりと白い項を噛んだ。これからの行為を予兆させるかのように、淫らに。
 顔をあげることはできなかった。俺は多分、ひどい顔をしている。
 きっと、この行為も最後なのだろう。この夜が明ければ、おそらく俺はお前に触れることはない。このままでは、俺はお前を壊してしまうから。



 穏やかな寝息を立てる恋人を見下ろして、その頬に指先を滑らす。これだけ近い距離で、さらに触れ合っているのに起きる気配がないことが胸の内をじんわりと温かくさせる。恋人という距離を受け入れ、俺が安心できる位置におかれていることが堪らなかった。でもそれも、もうすぐ、
(……終わりかもな)

「………離れがてぇな」

 口を衝いて出た言葉があまりにも切切と寂しく零れたのが情けなかった。
 あーあ、とあたかもそれが何でもない些末事であるかのようにぼやく。働くことを拒否するしょうもない頭の中や、剣の切っ先で突くように、まるで血でも流しているかのごとく痛む胸に、白を切って笑った。
 どう足掻いても、この男の温もりを知る前にはもう戻れない。愛される喜びを知ってしまった俺の身体は、そこら中から悲鳴をあげて、傍で眠る島国と離れたくないと訴えている。

「……ばーか、覚悟の上だっただろ」

 そう己に吐き捨て、歪んだ唇で笑う。
 ちょっと予想と違っただけだ。ふたりを別つものが。大丈夫。俺はこの男さえいれば、この世界で生きていようと、そう思える。大丈夫。この男の熱に少しも触れられなくても平気だ。
 幼さが一層増す寝顔を見下ろし、小さく呟く。

「愛してるぜ、日本」

 あとどれくらいの猶予があるかわからないが、目一杯愛情を注ぐ。そう誓って、愛しい恋人を抱き締めて目を閉じた。



***



 壊れるかと思うほど何度も鳴る呼び鈴に、文句でも言ってやろうと怒りのまま開けた玄関の扉の向こうに見えた顔を見て、ああ到頭きたか、と妙に冷静でいた頭の片隅で思った。

「日本に何したんだい!?」

 怒声のような声が叩きつけられる。ヴェストがまだ帰ってなくてよかった、とそんなことを思いながら、胸座を掴む元弟子を眇めた目で見遣った。

「うるせぇ。近所迷惑だろ」
「ッ、プロイ――
「黙れっつってんだよ。とにかく、なか入れ」

 強引に家の中に引き込む。傾いた身体を放置したまま背を向けて、さっさとリビングに向かえば、背中に痛いほどの視線が突き刺さった。



「で、ようやく日本の異変に気付いたのか」
「……ようやく? 君、知ってて黙って――
「お前に言う義務でもあんのかよ」

 睨みつける男の眼に酷薄に映るだろう笑みを浮かべて言う。

「なあ? あるのか? アメリカさんよ」
「っ…重大なことだろ! 日本があんな、」
「昔みたいな立ち居振る舞いをするなんて、か?」

 アメリカが言葉を放つごとに遮るようにして動く己の口は、最早俺の理性を置いてけぼりにして勝手に動いているようなものだった。

「そんなに怖いかよ」
「なに、」
「そんなに〝昔の日本〟が怖いか?」

 ぐ、と開いた口を噤む様子がその言葉に真実味を与える。

「……怖いなんて思うはずがないんだぞ。日本は俺の友達で、」
「〝今は〟だろ」
「だからッ! 日本の様子がおかしいなら、俺が気にかけるのは当然なんだぞ!」

 ガタッと大きな音が殺伐とした冷たい部屋の中でやけに大きく響いた。数分前に座れよと促したそこから勢いよく立ち上がったアメリカの脛がテーブルにぶつかった音だった。

「そんなにおかしかったか? 俺にはあいつの本来の姿に見えたけどな」

 見上げた先で、ゆらりと大きく揺れたスカイブルーに言い過ぎたかとようやく自分の口が動くのをやめた。冷静さを失っていたのかもしれない。はあ、と深い溜め息を漏らすと、向かいのソファの前の大きい図体がびくりと揺れた。

「……わり」
「え…?」
「前言撤回。お前にだけでも言っとけばよかった」

 口角が勝手に上がる。

「亡国が現役国家に影響を与えていいわけがなかった」

 アメリカは目を見開いて、プロイセンを見た。不敵な笑みはいつものプロイセンと何ら変わらないのに、サングロウの瞳があまりにも寂しげに見えた気がした。まるで迷子の子どものように僅かながら揺らめいていて、どうしてか、いつか見た露に濡れた日本の冬空を連想させた。似合わないその表情に、アメリカも中途半端に立ち上がっていた腰をソファに深く沈めて小さく息を吐く。

「睨まれでもしたのか」
「うん?」
「あいつに」
「…ああ。そうなんだぞ! あんまり鋭い視線で見られたから、思わず十五個目のおやつのハンバーガーを飲み込んじゃうところだったよ」
「おやつのハンバーガーって何だよ。ってかおやつにそれは食い過ぎだろ」
「ヘルシーな日本製だから大丈夫さ!」
「ンなわけあるか! ったく…久々にやるか? プロイセン式――
「エンリョしとくよッ!」

 HAHAHA、と続く乾いた笑いにプロイセンも笑みを浮かべて、重苦しかった空気が変わったことに安堵した。

「…最初は少し変だと思っただけだった」
「……うん」
「昔話をよくするようになってよ。それも近代以降の。それが続くと次は、あたかも目の前にその光景が見えてるみてぇに、明細に紡ぎ始めるようになった。それから……あいつの黒の眸が血みてぇな色に見えることもあった」

 いつも子どもみたいに血色の良いアメリカの頬が色を無くすのが、少しながらおかしかった。

「……君みたいなかい?」

 彼にしては随分と小さい声だった。

「ああ。俺は何かをしたわけじゃない。ただ…恋人として過ごしただけだった。傍にいることも多くはなかったんだぜ。俺はドイツにいて、あいつは日本にいるわけだし」
「でも君は自分のせいだと思った」

 怪訝な顔で問われる。

「…ああ。俺の存在があいつを過去に立ち返らせたんだろうよ」
「何でそう思うんだい。君と一番傍にいるドイツは何も変わらないし、フランスとかスペインだって――
「あいつは馬鹿なんだよ」
「え?」
「馬鹿で頑固で偏屈な爺なんだ。俺みてぇなのに焦がれるような、そんな奴なんだよ」
「……意味がわからないんだぞ」

 アメリカの疑問を流すようにして続ける。

「で? 俺はどうすればいい?」
「…気付いてるのは俺だけだと思う。だから、何か仕事に支障を来すほどじゃない。でもこんなこと前例がないから、この先どうなるか俺だってわからないよ」
「だろうな」
「とにかく、どうすればいいのかすら不明瞭なわけだから、」
「俺は会わないでおけばいい、か?」
「しばらくは」
「おう。様子見だな」
「……全然、」
「あ?」
「堪えてなさそうに見えるんだぞ」
「覚悟はしてたからな。それに、」
「うん?」
「おまえの前で俺様が情けねー面見せるわけないっつの」

 そう言って勝ち気に笑う男に、さっき情けない顔してたけどと思いつつ、それを口に出さないほどの空気を読んだアメリカは遥か遠い地にいる友人を思って目を伏せた。

 ――迷惑はかけませんから、どうか……

 プロイセンとの交際を告げた日本は必死に言葉を紡ぎ、アメリカに縋った。許してほしい、そう言って。それは、海よりも深く、空よりも高い矜持を持つ男の珍しい姿だった。
 彼がその事実を口にし、アメリカに告げたのはどうしてだろう。この二人なら、秘密にしようと思えばやり切るに決まっている。それでも、わざわざ口にした。反対するかもしれないアメリカに。その疑問の答えは依然として見つけられないままだった。
 うそつき、と口の中で毒づく。
(今まさに、迷惑かけられてるんだぞ)
 堪らなく嫌だった。あの男のあんな姿をまた目にするなんてことは、どうしても嫌だった。
 そうやっていつも思い通りにならない、太平洋に浮かぶ島国が憎たらしかった。

 玄関の開く音が聞こえる。重々しい足音を立てた男がリビングに居座る俺に「アメリカ?」と目を丸くするのを見て、「やあ」と手をあげる。「おかえり、愛しの我が弟よ!」と大仰に言う兄の姿を胡乱げに見遣ったドイツは、それでも「ただいま」と返した。

「兄さん、アメリカ捕まえて何してたんだ」
「はあ? 何で俺様が連れ込んだみてぇに言うんだよ。こいつが勝手にずかずかと人ん家あがりこんできたんだっつの」
「そうなのか?」
「暇を持て余し過ぎて干からびそうなプロイセンの遊び相手になってあげたんだぞ!」
「はあっ!?」
「……兄さん」
「おい、ヴェスト。何でお兄様をそんな憐れむような目で見るんだ」
「アメリカ。兄貴が迷惑をかけたみたいだな。すまなか――
「うおおい、待てッ! 何でアメリカのほうを信じる!?」
「当然さ、俺はヒーローだからね!」
「よーし、アメリカ。俺様、今ものすごく暇だからよ、そのたぷたぷした身体鍛え直すお遊びでもしようじゃねえか」
「ああっ! 俺、仕事があるんだった! もう行かないと、フライトに間に合わな――
「嘘はよくねぇよな?」
「ううう嘘じゃないんだぞ! ほら、カナダが北アメリカから呼んでる!」
「バカか、聞こえるわけねぇだろ」
「……もうどうでもいいから静かにしてくれないか」

 「何だよ、寂しそうにすんなって、ヴェスト! 俺様はいつだってお前の傍に――」と的外れなことを言い出したプロイセンが整えられていたはずのブロンドをぐしゃぐしゃと掻き回す。その手に強く抵抗するドイツと、それを見て愛おしげに目を細めるプロイセン。目前の兄弟はじゃれ合うように軽口を叩き合っていた。
 親愛と恋情の違いを見分けることは、アメリカには難しかった。だから、プロイセンのルビーに湛えられたそれが、日本が彼を想う慕情のそれに重なった。罪悪を感じるように哀れで、けれど隠しきれない熱情を秘めて焦がれるオニキス。どうしてあの島国は、この亡国にあれほど焦がれたのだろう。
 ドイツに向いていた赤がふいにこちらを見た。視線が絡んで、亡国が笑う。まるでアメリカの胸中など見透かしているかのようなその顔は、太平洋の上に弧を描く島国とそっくりに映ったが、そんなことはきっと気のせいだ。気のせいに過ぎないのだと思いたかった。
 滴る血を彷彿とさせる赤が重なる。土地も民も王家も亡くし、けれど今もなお生きている亡国。そんな男と恋仲となり、過去に立ち返ったかのような様相を見せる島国。まるで、二人して時流に逆らっているかのようだった。過去の二人の姿が当然のように重なることが不安すら齎していけない。
 わからなかった。彼らの胸襟など、なにひとつ。もう何もわからなかった。かつて教えを請うた亡国も、強固な繋がりを持つはずの同盟国も、同じだけ遠い、と思った。
 アメリカは胸の奥底に滞留する重苦しい何かを振り切って、かつての師を見た。
 亡国の顔はいつもと変わらない顔で笑っている。いつもと変わらない身体で、いつもと変わらない姿で、いつもと変わらない表情で。けれど、その顔に乗る二つ眼だけが何か奇妙な禍々しさをもって爛々としている気がした。
 赤い、赤い、それは、アメリカには呪いのように見えた。


 

Did the ruined country curse the beloved one

(亡国は愛するものを呪ったか

 

 

 

拍手 2017.10.3 ~ 2018.1.5