TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Theme > 化物って罵って
ステンドグラスから溢れんばかりの光が降り注ぎ、祝福を示しているかのようだった。
聖櫃の置かれた祭壇の前で身廊の先の扉を見つめる。キイ、と古びた音を立てて扉が開かれた。その先から現れた純白の姿に目を瞠る。
いつか、こんなときが来るかもしれないと思わなかったわけではない。彼女とはこの先も共にいるのだと漠然と信じていた。だから、その過程にこんな通過儀礼があったとしても何ら不思議なことではない。それは当たり前のように訪れると思っていた。
ルビーの輝きを秘めたような髪がヴェールの下で揺れた。綺麗だ。素直にそう思った。ゆっくりと身廊を進む彼女の姿を焼き付けるように見つめる。横目に入った天使像の慈愛の微笑が、普段よりさらに慈しみに溢れている気さえした。
きっと、神さえも微笑んでくれているだろう。そんな柄にもないことを本気で思った。
彼女はもう手の届くところまで来ていた。祭壇の前にふたり並んで向き合う。邪悪から彼女を守る役割を持つ純白のヴェールに手をかけた。ふたりを隔てる壁のようなそれをゆっくりと上げる。
この先、邪悪から彼女を守るのは俺だ。
――守れるの?
ああ、当然だ。
――本当に?
守ってみせる。何に代えても。
――病気、からも……?
「――ッ…!!」
弾かれたように身体を起こした。無様に乱れる呼吸をそのままに嗤笑を浮かべる。
なんてことはない。こんなもの、どうということはない。こんな悪夢など、見慣れている。ソルは今一度柔らかい寝台に身を沈め、目を細めた。静かな夜がまた悪夢へ導くのなら、それでもいい。そう思うのに、瞼はなかなか閉じようとしてくれなかった。眠れないのなら、この宵の中、息を潜め夜を越すしかない。ソルは背中から刺す視線に気づかないふりで、深い呼吸をした。
安らかな眠りが自分には決して訪れないはしないことを、男は痛いほどに知っていた。
背を向け、大きい身体を丸めるように再び横になったソルの気配を探りながら、カイは静かに瞼を開けた。寝返りを打つようにソルの背に向けて身体を倒す。静かに上下する身体だけでは彼が再び眠りに入ったかどうかはわからなかった。その裸の背に手を伸ばし、けれど触れることなく、カイの手は拳を握り、空を切って寝台に落ちる。
どうして世界は、こんなにもお前に優しくないのだろう。カイは祈るような面持ちで、ソルの背に額をぴたりとくっつけた。
私はお前と会えたことを幸福に思う。お前が悲惨な運命を背負ったからこそ、会えたというのに。こんな残酷な想いを抱いていることを、お前が知ったらどう思うのだろう。お前に優しくない世界に生きる私を。それでも、私は、お前を。
「愛しているよ、ソル」
***
いつからだろう。いつ誰が礼拝に来ても光輝く園ように歓迎する美しい教会ではなく、廃墟と化したそこに足を踏み入れることが多くなったのは。
色鮮やかなステンドグラスは砕け散っていた。リブ・ヴォールトの天井は欠けていて、その間からは辛気くさい薄暗い空が顔を覗かせている。整然と並んでいたはずの柱は所々姿を失くし、鋭利な刃物のように尖っている。祭壇へ続く道である身廊は、先へ行くのを妨げるが如くそこかしこが地に沈み、波打っていた。
朽ち果てたかのような様相を見せる教会。だがそこは、たった数刻前までは人々の祈りの場として機能していたのだと、あちこちに滴る鮮やかな血が主張している。その光景は、どこか遠い昔に見たB級のホラー映画を彷彿とさせた。例えばゾンビが襲ってくるのとどっちがマシだろうと、ひどく愚かな考えが過ぎって唇を歪めた。
化け物によって無惨に破壊された教会の、祭壇があったらしき場所の前に跪く姿に目を細める。すぐ傍に首から折れている天使像が転がっていた。ぷっくりと膨れた頬まで欠けていて、天使の面影など残していなかった。その横で少年が跪き、熱心に祈りを捧げている。少年はまるで、役目を果たせなくなった天使像の代わりに舞い降りてきた天使のようだった。そこまで思って、嗤笑に喉を震わせた。
あの少年が天使なわけあるか。戦場に出れば機械のように化け物を駆逐する、あの少年が。奴のほうがよっぽど化け物じみている。だが、その少年は紛れもなく人間だ。人間らしく在ることを求められない、だからこそ人類の希望という役目を負った人間だ。子どもらしく在ることを許されない哀れな子どもだ。知っている。そんな歪んだ世界を創った一端を自分が担っていることも。
額を地に擦り付け、血を吐くまで懺悔した日々は最早遠い昔のことだった。わかっている。どんなに懺悔したって、どんなに祈ったって、誰も救ってくれないことを。
「この世界に神がいると思っているのか?」
どれくらいの時間が経っていただろう。化け物と人間の肉塊の中で唯一、鼓動を刻む生体反応へ歩みを進め、二つの種の死体の群れを乗り越えた先の教会の中に少年の姿を見つけてから。ぴくりとも動かずに祈り続ける少年の背を見つけてから一体、どれくらい。
驚いたように立ちあがり、振り返った少年が俺を見た。気配に気付かなかったことを悔いるような顔をしてから、すぐに無表情に戻った少年は問われた言葉を噛み砕いてから、「わかりません」と抑揚のない声で答えた。でも、と続く。
「いつか安らかな夜が訪れると信じています」
信じていると言った。その蒼碧の双眸はただ純粋さだけを宿し、疑いを持つ余念すらなかった。そんなときが訪れることを本気で信じきっている。
「……テメェは誰のためにそれを祈っている」
少年は不思議そうに目を瞬かせてから周囲へと視線を滑らせた。物言わぬ肉塊と成り果てたものたちの血汐が滴っている。
「もちろん、皆さんのために」
何をわかりきったことを聞くのだとでも言うような顔だった。
自分の幸せを願うことすら知らない哀れな子どもは、神聖さを彷彿とさせる白と青の聖騎士の装束を真っ赤に染めながら、場違いなほど柔らかく微笑った。
「……だったら、」
――早く、俺を殺してみせろよ。
懐から取り出した煙草を咥えることで、その言葉を呑み込んだ。
「ソル?」
聞き取れなかった言葉を求めて呼びかける少年に、自嘲するように唇を歪ませて紫煙を吐き出す。
「……わからないと言ったな」
「え?」
ひどく退廃的な気分だった。何か、誰かに責め立ててほしいと思った。それこそ、この天使のような清らかさを纏う子どもにでも。
「坊やに教えてやる」
ぐちゃぐちゃと不快な足音を立てながら少年に歩み寄る。不思議そうに見上げてきた子どもの顎を掴んだ。
「ソル…?」
「神なんていない」
いたら、とっくに俺の心臓は止まっている。
「証明してやる」
小振りな唇に噛み付いて、首から下がる十字架を引き千切った。驚愕に限界まで見開かれた瞳を見て昏く笑った。一時の間を置いて激しく抵抗してくる身体を組み敷いて、乱暴に着衣を破る。
ほら、祈ってみせろ。助けを求めろ。泣き喚いてみせろ。神がいるというのなら、守ってくれるはずだ。こんな最悪な化け物から。
「っ、や…いや、やめて……」
圧倒的に肉体的な力の差があった。抵抗を封じ込め、ソルは心のないモンスターのように振る舞った。
歯を食いしばり怒りを露わに強く睨んでいた少年は、行為が進むにつれて恐怖に慄き、弱々しい声をあげ始めた。
「うう…ふ、ぅ…っ」
その声は小さな子どもの泣き声そのものだった。
それでいい。それがお前のあるべき姿だ。
「、んっ…や……」
ただ化け物を殺し続ける機械ではなく。
「たすけて、」
人類に希望をもたらすシンボルでもなく。
「……たすけて……そる、…」
「ッ、」
伸ばされた真っ白い腕が縋り付くようにソルの首に回った。
子どもが助けを求めたのは、神でもなく、いるかも知らない父や母でもなく、今まさに自分に乱暴を働く男だった。
わかっている。慣れない刺激と熱と不快感と痛みと苦しみに、ぐちゃぐちゃになった子どもがただ目の前にいる俺に助けを求めただけだ。何を考えているわけではない。ただその苦痛から逃れたい一心からの行動でしかないことくらい。それでも。
ソルは回された腕の力が篭るのに任せて、薄っぺらい少年の胸に顔を埋めた。そこには確かな温もりがあった。随分と久しぶりに他人の熱を感じた気がする。
許された、気がした。
それが愚かな錯覚だとわかっていても、どうしようもなく胸が詰まった。
「ソル、そる…」と、もうそれしか言葉を知らないかのように愚かな化け物の名前を呼び続ける子どもを掻き抱いて、ソルは目を閉じた。この幼子の腕の中なら、悪夢を見ないで済む気がした。それもただの愚かな錯覚だとわかっていても。
子どもの身体を掻き抱きながら、ソルはひどく愚かな自分に嫌厭していた。
……そうだ。俺は何も諦めてなんかいない。抗い続けてやる。世界がどんなに残酷でも最後まで抗ってやる。俺は、その辺に転がる化け物のように心を無くしてなんかいない。
やることが残っている。今はこの命を止めるわけにはいかない。それでも、お前はいつか、その清らかな手で俺を地獄に落としてくれるだろうか。この長すぎる鼓動を止めてくれるだろうか。
だから、坊や。こんな心のない行為を強いた俺を、一時でも心を無くした俺を、どうか――化け物と罵ってくれないか。
ぐったりと気を失った身体を見下ろしながら、ソルは初めて、この子どもの前で顔をくしゃりと歪めた。
***
「いっ、」
「ん」
「痛い、噛むな」
首筋に鋭い痛みが走って、カイは咄嗟に非難した。この男の噛み癖は甘噛みなんて優しいものじゃない。血が流れた感触にびくりと身体を震わせながら、カイはソルの肩を掴んだ。離そうと試みるがびくともしない。おまけに、首筋に噛み付きながら、間抜けな声で反論してきた。
「はんへ」
「痕が残るだろ」
「別に見えねぇだろ」
「見える。何でお前はこう、きわどい位置につけるんだ」
「へぇ」
「……なんだ」
「きわどい位置じゃなければいいのか」
「は? ちょ、ちょっと……! そんなこと言ってない」
「言った」
「言ってない……!」
再び落ちてくる唇は容赦なく開かれ、鋭い歯が喰い込む。もうすでにカイの身体は足から首まで噛み痕と鬱血の痕に塗れている。こんなにつけておいて、まだ足りないとは意味がわからない。
「んっ……いたい、ソル……噛むなら噛むでもうちょっと優しく……」
「力入れなかったら、血がでねぇだろ」
カイはぎょっとした。
「は……?」
「あ?」
「ち、血を出すためだったのか、その噛み癖」
「ああ」
事も無げに頷かれ、さらにはまたもや感じる肌を貫く痛みにカイは遠い目をした。噛み癖に意味があったとは思わなかった。あったとしてもせいぜい、肌を噛む感触が好みだとか、ちょっとしたフェティシズムみたいなものだと思っていた。それがなんだ、血を出すためとは。というか、そもそも。
「なんで血をだしたいんだ」
カイはこの上なく怪訝な顔で問う。
「うめぇから」
「っひ、ぅ……」
つけた傷痕にソルの唇が吸い付いて、妙な声が漏れる。カイはまさかの理由に動揺しつつも、もう何度も行われてきたその行為に慣れた身体は甘く震えた。
「ッ……ドラキュラか、お前は」
「化け物らしくていいだろうが」
ヘッドギアの影の下にある赤茶が胸もとから上目でカイを見る。さあ頷けとばかりの態度に、お前はどうしてそういうことを言うんだと口にしそうになるのを呑み込んだ。例えばここで、お前は化け物なんかじゃないと言葉にするのは簡単だけれど、そんなもの安っぽい慰めにしかならない。ソルの心を掠りもせず、鼻で嗤われるだけだ。事実、彼の身体を構築する細胞は、人間のそれではないのだから。
カイは何も言わず、ただソルの言葉を完全無視して、彼の髪をくしゃりと撫でた。ソルは幾許か不本意そうな顔をしている。それも黙殺し、少し肩を押して身体を離した。一切の布を纏わない逞しい身体に口もとを緩めながら、ソルの太い首筋に容赦なく噛み付いた。
「ッ、」
想定外だったのだろう。少し痛みに息を呑んだ音が聞こえた。厚い皮膚を突き破り、ぷくりと滲んだ血を舌で舐めとる。咥内に感じるのは鉄の味で、それは本来美味しいと思うはずもない。それでも。
傷口を癒すようにちろちろと舐め回し、カイは顔を離した。
「ん……確かに美味しいかもしれない。これがソルのものだと思えば」
唇を舐め、けろりと言ってみせると、ソルは盛大に顔を顰めた。
「馬鹿じゃねぇのか」
「どっちが」
ほんの少し穏やかさを纏った呆れの声に、口もとが緩む。カイはくすくすと笑声を零しながら、ソルの太い首に腕を巻き付けて抱きついた。ソルもカイの剥き出しの腰へ手を回す。
当然のように再び大きく柔らかい寝台へ身体を沈み込ませた二人は、互いが満足するまで重なり合った。
化物って罵って
(お前はまだ、罵ってくれない)
「愛しているよ、ソル」
背中から聞こえた声に、今宵はもう悪夢が蘇ることはないと、そう思えてしまった。あれだけ閉じることを拒んでいた瞼が自然に落ちていく。
その言葉も、ぴたりと背中にくっつく温もりも、焼印でも刻み込まれたかのようにソルから離れてはくれなかった。
(title by : 天文学様)
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Rev2のアフターAでのソルの「俺はギアだ。化け物なんだよ」を、完全にスルーして話を続けるカイが大好きなんだと言いたかった話。
2017.10.3