TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Novel > Unerwiderte Liebe für immer > Ⅰ
国際警察機構の長官室は今日も慌ただしかった。
「……確かですか?」
連続失踪事件の疑いが浮上したとの旨が書かれた報告書から顔をあげて、カイは低い声で訊ねた。
「はい。書かれてある通り、セレスト病院の関与が浮上しました。病院に勤めている清掃員に話を聞いたところ、身なりのよくない患者が運ばれてくるのを見かけるようになったとか。派遣のナースにもどうにか話を聞けました。ボランティアでストリートチルドレンやホームレスの診療をしていると」
「無料クリニックじゃないんですよね?」
「ええ。民間病院です」
「そのボランティアで診療を受けた方々は重度の病気ですか?」
「診断内容はプライバシーに関わるので明かせないと言われました。ただ、入院させることはないとはっきり言ってしましたよ。そこまで無料でできないと肩を竦めていましたが……」
「所在が掴めないのですね」
「はい。ホームレスとなると捜索願は出されないことがほとんどですから、いなくなっても気づかない。ただ手当たり次第聞き込みをしてみると――」
部下の警官はカイの手もとの資料に視線をやった。言葉尻を受け取り、カイが続ける。
「郊外のスラム街で失踪者ですか」
「ええ。ホームレス支援のNPO団体と名乗る人物に声をかけられているのを見たことがあるという証言を取れました」
「それで声をかけられた者が消えた、と」
「そういうことですね。この件と関係あるかはまだわかりませんが、少なくとも三人は失踪者がいると確認が取れました。ただ、ホームレスの失踪は珍しいことではありませんが……。もっと調査すればまだ出てくるかもしれません」
「病院との関連は?」
「確固たるものはありません」
「そうですか……。引き続き、捜査をお願いします」
礼をとって退出した部下の背を見送り、カイは資料に落とした蒼碧を細めた。
Ⅰ. Schlafdorn - 死ではない、王女は100年の深い眠りに落ちるのだ
レオはイリュリア城の執務室に足を踏み入れた瞬間、盛大に顔を顰めた。扉を開いた体勢のまま、デスクの前でぴんと背筋を伸ばして仕事に励む同僚をじとりと見やる。
「……そんな顔をするな。自分でもわかってる」
「本当か? 自分がどんな面しているか本当にわかってるのか」
「どんな顔だ?」
「ハリウッドの大作ホラー映画にゾンビ役でオファーが殺到しそうな顔」
「……それはひどい」
カイは大仰に肩を竦めてみせた。レオは深々と溜め息を吐きながら、ようやく大きい図体のすべてを執務室に収めた。
「何か気がかりなことでもあるのか?」
頼まれていた仕事の書類を渡しながら、大きい目の下にひどい隈を作った友人に首を傾げる。
「いや、ただ単に寝不足なだけだ」
単に、といっていいとは思えない。窓から差し込む陽光に照らされたブロンドは心なしか見知ったものよりくすんで見えるし、頬も少しこけている。抜けるように白い肌は透明感を通り越して、いっそ病人みたいだ。いつもは晴天の青空のように澄んでいるはずの双眸もどこか濁って見える。さらにその下に陣取った隈はひどい有り様だった。
「そんなに仕事が溜まってるのか?」
「そうじゃない。ここのところ、どうにも寝つけなくてな……。おかげで仕事は順調すぎるほどに進んでる」
色濃く疲労の乗った顔でにっこりと笑いかけられて、思わず押し黙った。
寝つけないから仕事をやっておこうと思うあたり、働かないと死ぬ病にでもかかってるのかと疑いたくなる。むしろ喜々として書類に向かっている同僚にぞっとして、レオはカイからペンを取り上げた。
「レオ?」
「休め」
「え……」
「寝つけないでも何でもいいから、とにかく休め」
「やれるときにできるだけ進めておいたほうがいいだろう」
「そんな顔で国際中継に映られても困る」
「メイクでもして誤魔化せばいいんじゃないか?」
「…………………」
あっけらかんと返されて、呆れを通り越してむしろ怖い。
思えば、全人類の希望を背負って戦場を駆け回っていた頃からこんな感じだった。あの頃は、それこそ人間が滅ぶか否かの究極の非常事態だったわけで、年齢にそぐわない上に天使かと突っ込みたくなるような人間離れしたありとあらゆる言動も受け入れてしまっていた。今思い出せば、ここまで我欲のない人間がいるのはむしろ怪異だ。この男は自らのために生きたことが過去一度でもあるのだろうか。
レオが何度目か知れない溜め息を吐き出そうとしたときだった。
「人様のために生きないと死ぬ呪いでもかけられてんのか、テメェは」
背後から突然聞こえた声にぎょっとして振り返る。そこには、音も気配も立てずに軍神が佇んでいた。
「ソル」
突然現れた男に、それこそホラー映画の主人公並みに驚いて心臓をバクバク鳴らしているレオとは裏腹に、カイはどこまでも冷静に男の名を呼んだ。
極悪人でも裸足で逃げるのではないかと思うくらい凶悪な面構えでカイを睨みつけたソルは、つかつかとカイの座るデスクのほうへと歩みを進めていく。
ようやく生きた心地のしなかった心臓が平静さを取り戻したレオは、めずらしくソルのほうへ加担するため、口を開いた。
「まったくだ。歴史上の偉大と語られた王がお前の姿を見たら度肝を抜くぞ」
「……私は王としてまだまだ未熟だよ」
困ったようにへにゃりと形の整った眉を下げて言うカイに、ひく、とうっかり頬が引き攣る。そういう発言は支持率を鑑みて言ってほしい。あと若干、嫌味に聞こえる。そういうニュアンスをまったく含んでいないということはわかっているほど付き合いは長いけれど。
「『一個人の力量に頼っているだけの国家の命は短い』」
デスクを通り過ぎ、その奥を物色し始めた男がぽつりと零した。
「君主論か?」
「『人間は恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである』これはとりわけ共感するな」
抑揚のない低い声は、全人類に異常なほど愛されているカイが傷つけられることを心配しているのか、はたまた、お前なんかより恐れられる王のほうがよっぽどいいと嫌味を言っているのか、レオにはわからなかった。
それはカイも同じだったようで、微妙な顔で黙り込んでいたが、飾り棚に伸びた太い腕を見て、色濃く疲労が滲んでいても整った顔は心底呆れた顔に様変わりした。
「また酒か? まったくお前は――ッ……、」
「テメェに王様なんざ似合わねぇよ」
カイの言葉は最後まで音になることはなかった。それは地を這うような低い声が忌々しそうに吐き捨てた台詞に遮られたからではない。カイの身体が糸の切れたマリオネットみたいに突然がくんっと崩れ落ちたのだ。
呆気に取られて、レオはあんぐりと口を開けた。
「やっと寝たか」
頽れたカイの身体を大木のような腕で難なく受け止め、原因の男が事も無げにそんなことを口にする。
レオの愕然とした視線を受け止めて、ソルが億劫そうに口を開いた。
「ディズィーとシンに頼まれたんだよ。こいつを寝かせろって」
金魚のように口をぱくぱくと開閉していたレオは長い沈黙のあと、どうにか声を振り絞った。
「………いや、寝かせたというより気絶させたんだろ……」
「ああ、そうとも言う」
華麗なほどの動きで延髄に手刀を入れ、一瞬にして王を気絶させた男は、面倒そうに意識のないカイの背に腕を回した。そのまま肩にでも担ぐのかと思ったら、もう一方の手を膝裏に回し、横抱きにして持ち上げた。
これが一般的にごくありふれた容姿の二人なら、おそらく何とも思わなかった。だが、ひとりは名前にすら悪を刻む犯罪者顔負けの精悍な男――そしてその容貌は銀幕スターにでもなれそうなほどに整っている――で、もう片方はそろそろ聖人に名を連ねそうな天使顔負けの美貌の持ち主だ。なにか、とても背徳的なものでも見ている気になる。
いや、ただ男が男を運ぼうとしているだけなのだ。人類守護のため戦場を駆けずり回った聖騎士たる者、介護だろうが救護だろうが山ほど見てきた光景だ。そう、それはただの横抱きなのだ。だが、あえて俗な言い方をしたくなる。それはお姫様抱っこだ、と。
何でその抱き方なんだ、と問う気力は残っていなかった。俗に云うお姫様抱っこを成人男性――それも世界一等国の王に――した仏頂面の男は、抱いた痩身をぐいっと自分のほうに強く引き寄せた。……ああ、わかっているさ。密着度が高いほうが安定するんだよな。
そしてもう一つ、背徳さを増長させていることがある。ソルはカイの膝裏と腰の少し上に腕を回している。カイの頭や肩は支えられておらず、意識のない身体がぐったりと重力に従って落ちていた。カイは白い首を大きく仰け反らせた体勢になっている。長いブロンドの髪が白い腕と共にだらりと揺れ、完全に力の入っていないその身体は――……死んでいるように、見えた。
息を詰め、得もいえぬ表情をしているレオを不思議そうに見やったソルは、男一人を少女でも抱えているかのように軽々と抱きながら歩き、レオの横を通り過ぎた。
「あとは頼む」
低く、抑揚のない声が耳を打つ。
「あ、ああ」
はっとして返事をし、振り返ったときにはソルの大きい背とそこからはみ出たカイの頭と足しか見えなかった。それなのにどうしてか、眼裏には大きく仰け反らした雪のように白い喉と、長い金の睫毛を下ろし瞳を閉ざした整ったかんばせが、いやに鮮明に焼けついている。
まるで、正気を失った一人の男が柩の中から美女でも攫っていくかのような異常な光景に見えた。
「……毒林檎でも食べたみたいだな」
思わず口を衝いて出た言葉に苦笑する。
ガラスの柩に入っていたら、どこぞの王子のように死体でも惚れる人間が山ほどいそうだ。確かあの死体に恋した王子は、ガラスの棺を城に運び入れ、四六時中見つめていたのだっけか。暇つぶし程度の気持ちで初版本なんて読むんじゃなかったと心底思わされたおとぎ話だ。女王の城にいた彼女を見て一目惚れをし、探し続けた果てに口づけで目覚めさせる王子がいるロマンチックなストーリーを信じて疑わなかった頃が幸せだった。
主を失った部屋を見渡し、デスクの上の書類に目を止めて溜め息を吐く。寝かせろと頼まれて気絶させるという暴挙に出た男の残像が脳裏を過ぎる。カイが目覚めて事の次第を思い出したら、盛大な喧嘩――という名の仕合い――に発展しそうだ。目覚めたら揶揄ってやるかと喉を鳴らしたレオの目論見は、この先果たされることはなかった。
*
大きい寝台に沈み込む王を男は見下ろした。解かれた長い金の髪が真っ白なシーツに広がり、大きい窓から入った陽光に照らされて煌々と瞬いている。
雪のように白い頬を撫で、身を屈める。血のように赤い唇に重なろうとした熱は、触れる直前で躊躇うように一度止まった。しかし、それは一瞬のことで二人の唇は羽根が触れるようにささやかに重なった。
「Sleep tight, Ky. Sweet dreams.」
(続く)