TOP > Guilty Gear > Sol x Ky > Novel > 魔法の国 > 03
「――…カイ」
静かに呼ばれた声に振り返る。音もなく佇んでいたソルを見てから、今一度中庭のほうへ視線を向けたが、そこには誰にもいなかった。
………あれ? そもそもこんな夜更けにこんな場所で私は何をしているのだろう。
何か、誰かと話していたような――と考えていると、背中を温かい体温が包み込んだ。背後から覆いかぶさり、前に回り込んできたソルの腕を摩って喉を鳴らす。
「ふふ……何だか随分と甘えただな?」
ぎゅうっと背後から抱いてくる体勢は、抱きしめられているというより、抱きつかれているような感じだった。
「思い出した」
「うん?」
「テメェだった」
「なにが?」
「俺じゃねぇ。最初に手ェ出したのはお前のほうだ」
カイは大きい目をぱりくりと瞬かせて、ソルの言葉の意味に思い至ると、くすくすと笑声を漏らした。
「なんだ、忘れていたのか? ひどい男だ」
「どこが。常識と倫理を備えた真面な俺を陥れたのはテメェだ。魔性の男め」
「ああ、可哀想なソル。こんな悪い男に捕まって骨抜きにされてしまってはな」
「言ってろ」
ソルは腕を解き、強引な仕草でカイを振り向かせ、可愛くないことを言う口をぱくりと塞いだ。
*
何か夢を見ていた気がする。怖ろしくて、ひどく残酷で、それなのにあったかくて、泣きたくなるような。
小さく硬いベッドの上で目を開けて、カイはぼんやりと狭い天井を眺めていた。むずかるように身体を丸めたカイの視界が小さい窓を捉えた。夜の帳が下りる外の世界には大きな月が覗いていた。円を描き、煌煌と輝くそれが何か既視感を呼び起こし、カイは跳ねるように飛び起きた。
カイは寮の自室を飛び出し、いつもは絶対にしないのに廊下を走った。何度も歩いた景色が足早に視界を駆ける。たどり着いた先の部屋の扉をノックもなしに開けた。いつもはこんな夜更けに訪れることなんてない。協調性も規律もない男を説教しに早い時間に訪れることはあっても。
鍵すらかかっていなかった無用心な部屋に入った途端、いつの間にか嗅ぎ慣れてしまった煙草の匂いがした。窓辺で夜空を見上げながら紫煙を燻らせていた男が何事かと振り返る。カイの姿を見とめ、驚いたようにわずかに目を見開いた。緩いスラックスに上半身は裸で明らかに就寝する直前なのに、いつも額を覆っている赤だけはまだ外されていないことを不思議に思いながらも、躊躇なく部屋の中に足を踏み入れた。
驚きの顔もすぐに仏頂面に戻した男は、今度は凶悪な不機嫌を乗せ、睨むようにカイを見た。
「……坊やか。こんな時間に何なんだ」
嫌そうに眉を顰め、冷淡な仕草でカイを追い払う。その目は確かにこちらを見たというのに、こんな夜更けにノックもなしに訪れた常識外れの〝誰か〟を確認しただけで、すぐに興味を失ったようにまた窓の外へ向いた。
それに胸を痛めながらも、カイはもう何も躊躇わなかった。こちらを見ない逞しい身体を強引に振り向かせて踵を上げた。
夢の内容は覚えていなかったが、しようと思っていたことだけは頭に残っていた。
息を呑む音が聞こえる。信じられないほど近くで大きく見開かれた赤茶色の瞳は、この上ない驚愕を表していた。その珍しい姿に、普段から蓄積していた溜飲が少しばかり下がった気がして満足する。炎を操る男の唇は熱いと思っていたけれど、ただただ温かく、鼓動を刻む命を感じさせた。
それは紛れもなくカイのファーストキスであり、何も知らない幼いカイはただ押しつけるだけの稚拙な口づけをして踵を下ろした。
ようやく何が起きたか、何を起こしたか、カイの頭が理解に追いつき、急激に加速した脈のおかげで心臓が痛い。ただ唇と唇を合わせただけなのに、身体は真夏の炎天下にいるのかと思うほど熱かった。
しようと思っていた。しようと思ってはいたけれど、いざ行動にしてしまうと、言いようのない罪悪感と恐怖に襲われ、カイは俯いて薄い肩を震わせた。
男は何も言わない。静かな夜をさらに静寂に彩る沈黙が怖ろしい。
カイは絞首台につれていかれる囚人のような面持ちでいた。謝るべきだろうか。うん、謝らなくては駄目だろう。カイの勝手な気持ちで、身勝手に行動した。ソルからすればいい迷惑だ。
震える息を吐き出し、カイが意を決して顔をあげようとしたときだった。すごい力で身体を引き寄せられ、強引に顔をあげさせられる。
「んんッ!?」
首を捻ったんじゃないかと思って呻いた唇は次の瞬間には何かに塞がれていた。意外と長いんだなと思った睫毛が揺れた。つい先程見た光景によく似た場景だった。間近で炎のような瞳と目が合う。
何が起きたか理解して、カイが驚愕に引き結んでいた唇をぽかんと開けると、そこを熱いものが侵入してきた。
「んぅっ! んんっ……んっ、」
ぬるぬる動くそれは蛇のよう自由自在にカイの咥内を動いた。少しでもそれが動くと、カイはびくびくと身体を震わせる。身の内側から湧き起こってくるような際限のない熱が次から次へと襲い掛かってきて気が触れてしまうそうだった。
それでも離れてほしいなんてことは思わなくて、カイは絡みついてくる太い腕の中でどうにか手を動かし、ソルの首に腕を回した。
「んんぅ……は、ぁ……んっ!」
カイを抱き寄せる腕の力がさらに強くなる。くちゅくちゅと鳴る淫らなリップ音に、カイはようやく自分の口の中をうごめいているのがソルの舌だと気づいた。認識した途端にさらに身体は熱くなる。
深く長く続けられる口づけに、カイの足から到頭力が抜けた。かくん、と落ちるはずだったカイの身体は逞しい腕に容易く支えられる。それでもひっついている唇は離れなかった。飲みきれなかった涎が垂れているし、目は熱く濡れているし、身体はとろとろに蕩けてしまったのではないかというくらい動かない。そんなひどい状況なのに、ソルはカイを嘲るでもなく、ただ深い口づけを続けるだけだった。
ろくに役に立たない熔けた頭で、何か脚がすうすうする、とぼんやり思う。磁石みたいに離れなかった唇が離れていく様をスローモーションのように見ていると、身体が宙に浮いた。
「んぁ……は、ぁ、あ……ッうわあ!」
抱き上げられたカイの身体は硬い寝台に荷物のように放り投げられた。その際に見えた自分の足が素肌を晒していたことに驚いて、慌てて身体を起こそうとしたが、ソルの大きい身体が覆いかぶさってきて行動に移せない。
いつの間にか下ろされていた下衣は両足の足首に足枷のように絡みついていた。足を少しも広げられない状態で、顔の両隣に肘をついたソルに囲うように覆い被さられて、カイにはもう逃げ場はなかった。
「坊や」
決して名前を紡ぐことのない呼びかけが、低い声で落とされる。間近で合った瞳に、カイは泣きたいような気持ちになった。
炎のように熱く見えるのに、どこか冷たさを内包した不思議な眼。一方でカイの瞳はきっと、熱に浮かされ、だらしのない顔をし、きっと街で見かける男を誘うことが仕事の女性のように、淫らに潤んでいるのだろう。
ソルの熱さと冷たさを併せ持つ瞳は、肉欲だけの熱と冷めた心のように見えた。それでもカイは微笑を浮かべ、自らソルに抱きついた。
――愛されないのなら、あなたはソルを愛さないのですか?
誰かの声が聞こえた気がした。
そんなことはない。例え、どんなふうに思われていたって、その瞳が一生カイを映すことがなくたって、私は。
「ソル」
カイは笑った。決して言葉にすることのない慕情を湛えて。
近づいてきた顔に目を閉じる。先までの淫らな口づけとは違い、いっそ敬虔なほどに落とされた優しい口づけに、カイの眦から雫が一筋零れた。
月明かりすら入り込まない小さい窓。狭い天井。薄汚れた部屋。小さくて硬いベッド。それらは、いつかどこかで見た景色とあまりに正反対だった。豪華絢爛で美しい形は一つもない。花の匂いなんてしない。血と死のにおいが染みついている。それでも。
楽園のようだと、身を灼く熱に身体を委ねながら、そんなことを思った。だってそこに、同じ世界に、ソルがいる。鼓動を刻み、生きている。
――そんなもの、そこら中にありますよ。人の数だけ、いくらでも。
ああ、本当に。
大切なひとがそこに在るのなら、そこはきっと魔法の国だ。例え、そこが業火の立ち昇る地獄だったとしても、私は逃げようだなんて思わない。そこにお前が、いるのなら。
カイは身体の奥底を抉じ開けてくる熱い炎に灼かれながら、唯一の男の腕の中で楽園に舞う天使のような笑顔を浮かべた。
End.
2017.9.29